2017年08月27日

田尻悟郎先生の語順一覧表のこと


DSCN0249.JPG



2003年、島嶼の学校に勤めていたとき、

NHK教育テレビの「わくわく授業 わたしの教え方」という番組で

田尻悟郎先生の授業が取り上げられている回を見ました。


当時は習熟度や興味関心に大きな幅のある生徒たちを担当しており、

参考になる点がたくさん含まれていました。


語順一覧表もそのひとつです。


番組を記録した『わくわく授業 − わたしの教え方@ 田尻悟郎先生の英語@』(2008年) というDVDの一場面より紹介します。


1.JPG
(クリックすると拡大します)


この語順表をプラケースに入れ、下敷き代わりにしばらく各自で折に触れ使わせてみましたところ、

英語で表現するときはいずれかの語順にあてはめてみよう、というシンプルな仕掛けが、

習熟度別クラス編成で最も習熟度の高くない普通科の生徒たち、そして、英語に対する興味関心の高いとは言えない農林家政科の生徒たちにも効果てきめんなのでした。

その効果がどれだけ印象的だったかは今でも鮮明に思い出せることからもわかります。

思うに「できる!」というプチ達成感を積み重ねていきやすかったのでしょう。

知りたい、できるようになりたいという気持ちは、当然ですが、どの生徒も有しているのだということを改めて実感したのでした。



DSCN0250.JPG



なお、この語順表は、のちに、『自己表現お助けブック ― 英語がわかる!』(教育出版)に収録されました(初版2008年、 pp.5-7;改訂版2009年、pp.4-5)。

2011年にDHCより出版された『英文法 これが最後のやり直し!』にも採録されています(p.39)。

また、英語指導の部屋【田尻悟郎のWebsite Workshop】というウェブサイトでは

4大語順表と各語順表
語順表中学用
語順表高校用
語順表英語版

がダウンロードできます。


(追記1)

2003年に行われた「英語教育 “6WayStreet” 1回限定ライブ at 筑駒」を収録したDVDがあります。

(現在は販売を終了しているようです。)

その中で、ご発表の最後、田尻先生は

すべて人からもらったものを自分なりにアレンジして自分の目の前の生徒に合わせた授業を心がけています。皆さんも自分なりに咀嚼されて、自分の生徒さんなりの授業に作り替えてください(45分9秒〜45分20秒)

と仰っています。

わたしもそれ以来、このことを心がけて今に至ります。

今さらながら田尻先生から受けている影響も大きいと思い起こした次第です。


(追記2)

神戸学校 − 神戸発未来へ「経験と言葉の贈り物」と題するウェブサイトに田尻先生のご講演が文字化されて掲載されています。

こんな先生に出会いたかった! 〜豊かな人生を送るために子どもたちに伝えること〜


posted by 石崎 陽一 at 10:36 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

神話と自然哲学の関係


xt2a9736.jpg



来週から始まる夏期講習会で1989年に実施された京都大学(法B)の入学試験問題の英文を扱います。

出典は François Jacob, The Possible and the Actual(1982)の Myth and Science と題する章の一節です。

予習の一環に神話と自然哲学の関係について以下にまとめました。

自然哲学は神話の批判として生まれた、というのが肝です。

主な参考書に次の2冊を使用しました。

● R.G.コリングウッド著/平林康之・大沼忠弘 訳『自然の観念』(みすず書房、1974年)

● 伊東俊太郎『文明における科学』(勁草書房、1976年)



sdqh0699.jpg



人間は生まれながらにして真理を知りたいという根源的な欲求を持っています。

「この世界とは何なのか」
「世界はどのように生じたのか」

「人間とは何なのか」
「人間はどのように生きるべきなのか」


こうした問いに対する答えを知りたいという欲求に最初に応えたのが、神話です。


なかでも有名な神話のひとつがギリシャ神話です。

ゼウスという最高神とそれ以外の神々の働きと結びつきによって、世界の在り方や人間の生き方が説明されました。


このように、

物事は神々の働きによってもたらされるという考え方(神話的世界観)

が古代ギリシャの人々を支配していました。


ところが、そんな中、そうした神話による説明では満足できない人たちが現れます。


それが哲学者です。


(なお、「哲学」というと何やら難しそうですが、とにかく真理を知りたいということで、自らに問い、答えを求めて考え続けるその過程、プロセスのことを哲学と呼んでいます。)


sdqh0502.jpg



今からおよそ2500年前、ヨーロッパで最初の哲学者たちが登場しました。

紀元前6世紀頃(日本では縄文時代の頃)、最初に出てきた哲学者たちは自然を考察しました。

初期の哲学者たちは自然を考察する自然哲学者だったのですね。

彼らは既存の神話をもちださず、つまり、神(々)を前提とせず、

自らの観察と思索によって、この世界を読み解こうとしました。

神に代わる万物の根源は何か

を古代ギリシャの自然哲学者たちは考えたわけです。


(追記)

ちなみに、この「根源」を古代ギリシャの自然哲学ではアルケー(ἀρχή:arkhḗ)と呼んでいました。

現代英語では archaeology(考古学)や archaic(初期の;古代の;古風な、旧式の;古語の、懐古的な)という語に残っています。

「根源」➜「初期」➜「古」という連想が働いたのでしょう。


posted by 石崎 陽一 at 12:28 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

強調効果を生み出す − 語順の転倒


xt2a9610.jpg



日本語は、「が」や「を」といった助詞があるおかげで、単語の配列はかなり自由です。

例えば、

「その熊がその男性を襲ったんだ」



「襲ったんだよ、その男性を、その熊が」

などと語順を変えて言うことが可能です。


一方、英語には助詞がありません。

正しく意味を伝えるためには、単語の配列(語順)が大切になります。

The bear attacked the man.

という文を

Attacked the man the bear.

と言っても意味をなしませんし、

The man attacked the bear.

とすると、意味が全く逆になってしまいます。

「その熊が(the bear)」「襲った(attacked)」のように、英語では

主語の次に述語動詞を置く

のが普通の語順であり、この

普通の語順を変えるのは、決まった場合に限られる

のですね。



pf020087.jpg



私たちになじみ深いのは、疑問文をつくるときでしょう。


The bus was late. → Was the bus late?

The bus came late. → Did the bus come late?



こんなふうに、普通の語順が疑問文の語順になることを

語順の転倒

と呼んでいますが、実は、この語順の転倒は疑問文をつくるとき以外にも起こります。

次の例をご覧ください。


(1)I never dreamed of that.

(2)Never did I dream of that.


どちらも「今までそのことは夢にも思わなかった」という意味を表しています。

しかし、(2)は、never という否定語で文が切り出されているため、続く部分に語順の転倒が生じています

(2)の下線部が疑問文でもないのに疑問文の語順になっているのは、それが理由です。

別の例を見てみましょう。

「not only A but(also)B」(AだけでなくBも)という表現が使われています。


(3)The bus was late as usual. It not only came late, but today it broke down.

(4)The bus was late as usual. Not only did it come late, but today it broke down.


双方とも「バスはいつもどおり遅れた。遅れて来ただけでなく、今日は故障もしたんだよ」という内容を伝えています。

ところが、(4)では、(3)の文中にある not only という否定語句が文頭に出され、それに伴い、語順が転倒しているのがわかります。

このように、疑問文ではないのに語順の転倒が生じている場合、混乱しやすく、意味をとりにくくなるので、注意が必要です。

しかし、そもそも、なぜ、正常な語順をあえて変えるのでしょうか?



xt2a9600.jpg



それは、(3)〜(4)の例の場合、not only で文を始め、後続する部分に(疑問文でもないのに)語順の転倒を起こすことで、

not が否定するのは only なのだ

ということを明確にするためです。

そうやって

どの部分が否定の対象になっているか

をはっきりと示し、聞き手の注意を引きつけているわけです。

結果として、

文全体に強調効果を生み出す

ことにつながるのですね。


なお、「not only A but(also)B」(AだけでなくBも)という表現は、話し手がAよりもBのほうに重きを置いているときに用いる言い方です。

Aには話し手が「言うまでもないこと」として挙げる例が、Bに話し手が言わんとする内容がそれぞれ盛り込まれることまで押さえておくと、英文における情報の軽重や流れを的確にとらえることができるでしょう。


それでは、また。


(追記)

「語順の転倒」は「倒置」とも呼ばれます。


posted by 石崎 陽一 at 12:20 | Comment(0) | 文法・語法ノート | 更新情報をチェックする

発音で大事な3つのポイント



xt2a6894.jpg



陰山英男『陰山英男の英語学習「再入門」』(ダイヤモンド社、2011年)所収、特別対談(陰山英男 × 池田真)より備忘のため書き留めておきます。


池田 ついでに発音のポイントだけ言っておきますと、よく言われるLとRの区別だとか、THとFとか、あれはあまり関係ないです。そうじゃなくて、大事なのは3つ。一つは、絶対に母音を市委員の後に入れないこと。(中略)2つ目が、強弱をきちっと付けるということ。(中略)3つ目は、変なところで切らない。


posted by 石崎 陽一 at 09:33 | Comment(0) | 発音・アクセント・文字(の指導) | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

目的を表すいろいろな言い方


xt2a6964.jpg



(1)「何々するために」と、ある行動・行為の目的を表すにはふつう to 不定詞を使います。

I stood on the chair to change the light bulb.(電球を換えるために椅子に乗った)

【注意】

「何々のために」という意味の英語に for という前置詞があります。前置詞の後ろには名詞・代名詞・動名詞が続きますから for doing とすればたしかに「何々するために」となりますが、この言い方はある物の使用目的をいう場合にのみ使うようにします。

This knife is for cutting cheese.(このナイフはチーズを切るためのものです)

This knife is used for cutting cheese.(同上)


(2)目的をもっとはっきり示す場合には in order to do や so as to do を使います。

I shut the window in order to keep out the insects.(虫が入らないように窓を閉めた)

I shut the window so as to keep out the insects.(同上)



(3)in order to do はやや文語的で、もっぱら「目的」を表します。so as to do は口語的で、「目的+結果」の含みをもっています。

I moved to a new apartment so as to be nearer to my work.((結果として)職場にもっと近くなるように、新しいアパートに引っ越した)


(4)よって so as to do を文頭で使うことは多くありません。

In order to appreciate this poem, you should read it aloud.(この詩を鑑賞するためには声を出して読むべきです)


(5)「何々しないために」という場合にはふつう not to do とはせず、in order not to do または so as not to do の形を使います。not の位置に注意してください。

Mike didn't say where he was going so as not to worry her.(彼女を心配させまいと、マイクは行き先を告げなかった)


(6)単に not to do とするのは以下のような限られた場合に限ります。

Take care not to fall.(転ばないように気をつけてね)

Be careful not to fall.(同上;ただし、こちらの言い方の方がふつう)

We're here not to talk but to act.(ここに集まったのは話し合うためではなく、行動するためだ)


(7)to 不定詞を使って目的を表す場合、to 不定詞の意味上の主語を表すには for 何々 to do または in order for 何々 to do を使います。

Fred stepped aside for her to pass.(彼女が通れるように、フレッドは脇へどいた)

Fred stepped aside in order for her to pass.(同上)



(8)このように文法上の主語(文全体の主語)と to 不定詞の意味上の主語が違うときは so that などの接続詞も使えます。so that はあとに助動詞 can, may; will が続きます。

Talk louder so that I can hear you.(聞こえるようにもっと大きな声で話してください)


(9)主節の動詞が過去形の場合には次のように過去形の could, might; would を使うことに注意が必要です(時制の一致)。

Lucy took a job so that her husband could continue studying.(夫が学業を続けられるように、ルーシーは働きに出た)

Lucy took a job for her husband to continue studying.(同上)



(10)口語ではthatを省略することもあります。

I gave him the key so he could move my car.(私の車を移動できるように、彼にキーを渡してやった)


目的を表すのに、so that の他にも for fear や in case という接続詞があります。


(11)「何々するのを恐れて」という意味で「何々するといけないから」という場合には for fear を使います。for fear は文語調ですが、will(would) を続けると口語調に近くなります。

My father doesn't travel by air for fear he will have a heart attack.(父は心臓発作を起こすといけないので、飛行機の旅行はしません)

I held her hand for fear she would fall.(彼女が倒れないように、私は彼女の手をつかんでいた;時制の一致に注意)



(12)「何々する場合に備えて」という意味で「何々するといけないから」という場合には in case を使います。in case は予防の意味を含みます。英英辞典を引くと、so as to be safe if (something happens) とあります。

Keep the window closed in case it rains.(雨が降るといけないから、(その予防として)窓を閉めておきなさい)



posted by 石崎 陽一 at 10:30 | Comment(0) | 文法・語法ノート | 更新情報をチェックする

文末に置かれた分詞構文


sdqh0271.jpg



文末に置かれた分詞構文は、カンマ手前の節の内容の具体化、説明または理由の補足をしている

ととらえることができます。


Worker bees are neuter, being neither male nor female.(働き蜂は中性で、雄でも雌でもない)

Mary remained silent, not knowing what to do.(メアリーが黙っていたのは、どうしてよいかわからなかったからだ)

Kenji is working in Hollywood, hoping to get a chance in the movies.(健二がハリウッドで働いているのは、映画界でチャンスをつかみたいと思っているからだ)

The man died at thirty, struck down by a rare disease.(その方が亡くなったのは、珍しい病気に冒されたためだ)

Fred arrived late, having been delayed by a chapter of accidents.(フレッドが遅刻したのは、事故続きで遅くなったからだ)


posted by 石崎 陽一 at 10:17 | Comment(0) | 読解の学習・指導 | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

日本語の「気づく」にあたる英語の動詞 realize, notice, recognize の使い分け


xt2a9472.jpg



次の日本語を(a)〜(c)のように英訳するとき、

「気づく」にあたる動詞 realize, notice, recognize をどのように使い分ければよいでしょうか?

外国に行ってはじめて日本の伝統文化の素晴らしさに気づく場合が多い。

(a) It is often not until you go abroad that you realize the greatness of traditional Japanese culture.

(b) It is often not until you go abroad that you notice the greatness of traditional Japanese culture.

(c) It is often not until you go abroad that you recognize the greatness of traditional Japanese culture.


続きを読む
posted by 石崎 陽一 at 21:56 | Comment(0) | 文法・語法ノート | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

渡部昇一先生 ご葬儀ミサご報告



渡部昇一先生が2017年4月17日に御帰天されました。


謹んで御冥福をお祈りいたします。




4月19日には東京都千代田区麹町の聖イグナチオ教会 聖マリア聖堂にて葬儀・告別式が密葬で営まれました。

幸い、教会の隣町に勤務校があるため、時間休をいただき、私は参列することができました。


詳細につきましては、上智大学文学部英文学科同窓会のホームページに報告記事が掲載されています。


渡部昇一先生 ご葬儀ミサご報告


(追記1)

5月30日には東京都千代田区麹町の聖イグナチオ教会 主聖堂にてお別れの会を兼ねた追悼ミサ(正確に記せば、「故トマス・アクィナス渡部昇一 追悼ミサ」)が執り行われ、約700名が参列しました。

石原慎太郎氏のほか、安倍晋三氏(内閣総理大臣)、麻生太郎氏(副総理兼財務大臣)、稲田朋美(防衛大臣)などの姿も見られました。

また、6月10日には上智大学文学部英文学科同窓会の主催により上智大学13号館3階会議室にて追悼集会が開催されました。


(追記2)

英語学者としての渡部昇一先生のご略歴


1930年 山形県鶴岡市に生まれる。

1953年 上智大学文学部英文科卒業。

1955年 上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。

同年 上智大学大学院西洋文化研究科助手任命。

同年 ドイツ・ミュンスター大学留学。

1958年 英語圏で最初の英文法史をミュンスターの Max Kramer 書店からドイツ語で出版。

英国における初期英文法の発生に関するこのご研究に対し、国際的な評価を受ける。

同年 同大学より「大いなる称賛をもって」Dr. Phil.(哲学博士)を受ける。

同年 英国オックスフォード大学留学。

1960年 上智大学文学部英文科講師就任。

1964年 上智大学文学部英文科助教授就任。

1968年 フルブライト招聘教授としてアメリカ各地の大学(New Jersey, North Carolina, Missouri, Michigan 各州の6大学)において半学期ずつ1年間、比較文明論を講義する。

1971年 上智大学文学部英文科教授就任。

1994年 ミュンスター大学より「卓越せる学問的貢献の故に」Dr. phil.h.c.(名誉哲学博士)を受ける。

歴史ある同大学が欧米以外の学者に名誉哲学博士号を出したのは創立以来これが初めてのことである。

1997年 上智大学文学部英文科特遇教授就任。

2001年 定年退職とともに上智大学名誉教授就任。


posted by 石崎 陽一 at 11:57 | Comment(0) | 近況報告・雑感 | 更新情報をチェックする

新しきは古きを排除するのではなく選択肢を増やす


sdqh0550.jpg



掲題は堀田隆一先生によるブログ記事のタイトルから採らせていただきました。


とかく二項対立的な図式に陥りがちな英語教育界にも活かしたい視点だと感じた次第です。


大切なのは、二項対立の両項は水と油のように相いれないものであるかのように考えるのではなく、

むしろ、両項の間の調和を保つことではないでしょうか。


というのも、古いものと新しいものというのは、暦が変わるようにいっぺんに変わるのではなくて、

共存するものであり、目的によってそれぞれ役に立つ点があると思うからです。


posted by 石崎 陽一 at 09:51 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

井戸の深さが自信を生む


IMG_1279.jpg



渡部昇一『発想法 リソースフル人間のすすめ』(講談社現代新書、1981年)第5章「井戸の深さが自信を生む」より備忘のため書き留めておきます。


学者は一つでもいいから深い井戸を持てばよい。しかしそういう学者の中でも、学問の深さとともに、学識の豊かさで際立っている人がいる。(p.142)

英文学における福原麟太郎、漢文学における吉川幸次郎、内藤湖南といった人の場合は、深さとともに豊かさで際立っている例である。(中略)この人たちの発想の豊かさは、やはり、持っている井戸の数と関係があるように思われる。(p.142)

発想の泉から次から次へとアイデアを湧出させる場合には、最初の泉が、“自信” という水脈に達するまでの深さを持たなければならない。特に学者の場合は、専門については厳しい批判をしようと待ち受けている人がいっぱい居ることを予想しないわけにはいかないのだから、“自信” を持つところまで究めたものがないと、けっしてアイデアは滾々と湧いてくることなどはないのである。(p.145)

二人とも三十代にアカデミズムの文学研究のもっとも基礎的で堅固な部分において、世界的に通用する仕事をして、その後は、その “自信” によってのみ湧き出すことができるアイデアの泉をもととし、次から次へと自信のある分野を広げていった学者であり、両者に共通なのは発想の “豊かさ” である。(p.153)

吉川博士にしろ福原博士にしろ、外国文学者であるが、日本のことについても発言できるだけの発想の “井戸” をもっていたということは、見のがすことができない点である。(p.154)

豊饒な学者の代表として、漢文学の吉川幸次郎と、英文学の福原麟太郎という、東西の代表的文化圏の学者を一人ずつとりあげてみた。(p.158)

いずれも膨大な研究の積み重ねのある分野である。普通の場合は、その中の一局面に自らのエネルギーを限定して、狭く狭くと攻めて行くのが現代のアカデミズムの常道であり、常識である。そうでもしなければ、研究仲間に嗤われないような仕事はできないとみんなが考えている。(p.158)


posted by 石崎 陽一 at 18:33 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする
ページトップへ戻る