2016年08月03日

運命や幸福に対する実践的な知恵を与えてくれる書 − 幸田露伴『努力論』


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明治の大作家・幸田露伴、随筆の代表作に『努力論』(明治45年)があります。

運命や幸福に対する実践的な知恵として、常に私の座右にある書物の一つです。

学生時代、渡部昇一先生に存在を教えていただいて以来、折に触れ、私を支え、励ましてくれています。


露伴没後50年の年、1997年にこの露伴の随筆の代表作が『人生、報われる生き方』(渡部昇一編述、三笠書房)として装いを新たにして出版されました。

谷沢永一先生の言葉をお借りすれば、

古典の言語表現を、常套の注釈書や参考書における砂を噛むごとき言葉の置き換えにおちいらず、独自の呼吸で蘇生

させ、現代人が気苦労なく読めるよう翻訳・編述がなされています。


本書のなかでも印象的なのが、自分の人生に福を積み立てるにはどうしたらよいか、三つの秘訣(幸福三説)を説いた箇所です。

三つの秘訣とは、すなわち、惜福分福植福の三つです。


惜福は福を使い果たしたり、取り尽くしたりしないこと。

控えめに自ら抑制することが惜福の心だと語ります。


分福は福を独り占めせず分かつこと。

自分の得た福を惜しまずただちに他人に分け与えることが分福の心だと述べます。


植福は幸福利益の源泉となることをすること。

真の徳と知識の蓄積こそ人と社会の幸福の源泉です。

よって、自分の力・情・智をもって人の世に幸福をもたらす物質・情趣・知識を提供することが植福の心だと説きます。


本書を通じて気骨ある「生き方の原理」を授けてくれた幸田露伴の学恩に感謝するとともに、

それを読むことを教えてくださった渡部昇一先生の師恩に感謝する次第です。


(追記)

「古典の言語表現を、常套の注釈書や参考書における砂を噛むごとき言葉の置き換えにおちいらず、独自の呼吸で蘇生」という谷沢永一先生の評言は1998年1月10日付産経新聞朝刊「正論」欄より引用させていただきました。


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2013年08月20日

英単語の現古辞典


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Stephen Pollington, Wordcraft(Anglo-Saxon Books, 2010)は現代英語から適合する古英語を引き当てる辞典。

見出語に現代英語、それに対応する古英語が示されるだけで、その解説は一切ないシンプルな造りとなっています。

古英語で作文をすることで古英語の文法に親しみたいと考えている学習者向けに書かれました。

以前、「文法のゴールは作文に」の記事で触れましたように、

私も、学生時代、古英語の学習に際しては

Anglo-Saxon Primer に抜粋されているテキストをまずは自分で和訳し、日を置いて、その和訳をもとに古英語を復元、

不明点はこの本をはじめ『古代中世英語初歩』や『古英語入門』などの文法書で確認する、

というようなことをほぼ毎日続けまして、実際、

これで古英語の文法知識がかなり身についた経験があります。

本書はゴールを古英語の作文に据えた文法学習に活用できる適書だと思います。


また、副題に New English to Old English Dictionary and Thesaurus とある通り、

本書は一種の類語辞典にもなっています。

例えば、前半の辞書部で can を引くと cunnan, magan と出て来るという次第。

(ちなみに、古英語の magan は現代英語の may の語源ですから、may の原義は「できる」だったことが看取されますね。)

そして、本書の後半は、前半で登場した単語を概念別に分類し

それぞれの概念ごとに意味的につながりのある関連語を列挙していますので、

主題や概念から出発してある特定の意味を適切に表現する語を引き当てるシソーラスとして利用することができます。

この英単語の現古辞典は特殊な実用性を満たす好著です。


posted by 石崎 陽一 at 16:29 | Comment(0) | 本の紹介 | 更新情報をチェックする

2012年12月30日

福原麟太郎『ヂョンソン』(研究社、1972年)


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福原麟太郎先生のご著書は不思議な魅力に満ちています。私はいつも読後に勉強しようという気持ちを喚起されてきました。

『英文學六講』(角川文庫、1954年)を読んだ折りにはチャールズ・ラムの伝記や随筆集を繙きたい気持ちになり、

「英語辭書の話」(『新英語教育講座』第六卷(研究社、1956年、pp.103-56))の読了後は P.O.D. を常に携帯しておきたい気持ちに駆られたものです。

こうした教育力を有する福原先生の御本は、interesting and instructive でもあります。

盛られた内容が学術的にしっかりしており、かつ肩肘張らずに気軽に読める。

今回ご紹介する『ヂョンソン』(研究社、1972年)もそんな一冊です。


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本書は研究社「新英米文学評伝叢書」の一冊として刊行されました。

「はしがき」によりますと、戦前の偉業である「英米文学評伝叢書」全百巻を戦後に再版する計画があったものの、それは実現せず、

代わりに題目も著者も再考し、その後の研究成果も加味するなど、紙面を一新させることになったそうです。

福原先生が受け持たれたジョンソン博士こと Samuel Johnson(1709-84)は英文学の巨人であり、偉大なる辞書編纂家であり、文芸批評家であり、有能な伝記作家です。

『研究社英米文学辞典 増訂新版』(研究社、1961年、p.534)によれば「今日に至るまでイギリス国民の理想的人物として慕われている」。

英国では、ざわざわと騒がしい会場でも、「ジョンソン曰く」と誰かが言えば、しんと静まりかえる、という伝説があるほどの人物。

その伝記は、後述するボズウェル(James Boswell(1740-95))の『ジョンソン伝』をはじめ D.N.B. の詳細な記述や研究書に至るまで、枚挙に暇がありません。

(生誕300年にあたった2009年には、海外ではさまざまなイベントが行われ、関連書籍も盛んに出版されました。)

中でもボズウェルの作品 The Life of Samuel Johnson(1791)は

世界一の伝記だといわれ、その面白さも随一(本書 p.5)

とされています。

その内容は、1763年に初めて出会った30歳以上も年下の青年ボズウェルがジョンソン博士に御神酒徳利の如く同行し、その言動をつぶさに記録したものであり、


ものを食べるときにどうした、街の角を曲る時にどうしたという様なことまで書いて伝記を拵えた


のです(『英文学入門』(河出書房、市民文庫、1951年、p.151))。

また、齋藤勇『イギリス文学史 改訂増補第五版』(研究社、1974年、p.271)によると Johnson が病没するまでおよそ20年の間彼に会った日数は、僅かにおよそ270でしたが、


彼の会話を出来るだけ多く、そして出来る限り正確に記録することにもっとも情熱をそそぎ執念を抱いた(中略)ときには恥も外聞も忘れて一言一句もききもらすまいと耳を傾け、独特の速記法で記録した。(中略)他の人たちからの、また聞きのものもあるが、機会があればヂョンソンに直接その真偽を確かめる周到さもあった(本書 pp.306-7)


ために、ジョンソン研究には不可欠の第一級資料となっています。

したがって、伝記というよりはむしろ言行録といったほうが適切かもしれません。

そのボズウェルの『ジョンソン伝』と比べますと、本書の構成は、ジョンソン博士の主要な作品を軸として章を構成しているのが特徴と言うことができます。

一生が編年体式に綴られている点は同様ですが、作品にまつわるエピソードがまとまりよく記されており、紀伝体の感さえ抱くほどです。

また、ジョンソン博士は座談の名手でもあり、その人柄は座談によって躍動し、人間や社会に対する英知が遺憾なく発揮されたと福原先生は指摘されます(本書 p.301)。

それ故


ヂョンソン伝記の面白さは、その言行の面白さであり、そのためには、こうこういう場面で、ヂョンソンはこう一喝したというふうに十分に背景と事情が書いていないと、その面白さがわからない(本書 p.D)


と喝破され、巻末にヂョンソン語録を付して本編の言行録的不足を補っておられます。

それにより、たとえば、あまりにも有名な


「いやいや君、かりにも知的な人間だったらロンドンを離れたいと思う者はいないよ。そうだ、ロンドンに倦きたら人生に倦きたということだ。ロンドンには人生の提供するあらゆるものがあるんだからな」

Why, Sir, you find no man, at all intellectual, who is willing to leave London. No, Sir, when a man is tired of London, he is tired of life;for there is in London all that life can afford.(20 September 1777)



というジョンソンの台詞も、ボズウェルが

「もし私がロンドンに定住するようになったら、ときどき訪ねる時味うロンドンに対するすばらしい興味も次第に失せて退屈するようになるかもしれませんね」

と口にしたのに答えて発せられた、という脈絡がわかるといった具合。

巻末のヂョンソン語録は、このように、『論語』と同様の形式にて、博士の人となりが伝わる珠玉の名言がコンパクトに収められており、本書の特長の一つとなっています。

福原先生は『英文学入門』(河出書房、市民文庫、1951年)において


如何に生きるかを考えることを教えてくれるのが、文学の中にあるウィズドムなのであります。ドクター・ヂョンソンは人生のウィズドムを語ったという点で、英国人には非常に意味のある文人なのであります。(p.135)


片言隻句の間に、ヂョンソンが非常に人情が深く又人間のことを知って居った、人生という者はこんなものだということを考えて居た、悟って居たということを思わせるものが沢山あるのであります。(p.160)


と語っておられますが、しかし、それというのも伝記として残されているからこそ財産となり得るわけです。

ジョンソン博士は偉大だが、伝記を残したボズウェルもまた偉大である。

書籍を編集し、世に送り出す人々の社会的意義や歴史に果たす役割は大きい。

そう痛感します。

この冬、ボズウェル『ジョンソン伝』を手に、さらに多くのジョンソン博士の言葉に耳を傾けたくなりました。


(追記1)

「ヂョンソン」という表記について、福原先生は

私は英米の人名地名などをカナがきにするとき、私自身できめたルールに従うことにしているので、ジョンソンではなくヂョンソンと書くことをお許し下さい。(p.2)

と書かれています。

(追記2)

Boswell と言えば一般に「忠実な伝記作家、熱烈な信奉者」の意もありますし、人の言行を記事に「細大漏らさず書く、克明に記録する」ことを表す Boswellize という動詞もあります。


posted by 石崎 陽一 at 14:43 | Comment(0) | 本の紹介 | 更新情報をチェックする

2012年12月16日

『データで読む 英米人名大百科』(南雲堂、1987年)


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ある日本人の名から、ある程度、その人の生まれた時代や世相を連想することができます。

名には流行があることを、私たちは経験的に知っているからです。

では、英米人の first name についてはどうでしょうか。

例えば、Edward はどんなイメージでしょう。

Barbara は?

こうした英米人の first name から連想するものは多くなさそうです。

レズリー・アラン・ダンクリング著・中村匡克訳『データで読む 英米人名大百科』(南雲堂、1987年)は、

英語を母語とする人々の first name が

「過去と現在においていかに使われたか」(p.11)

を統計的に処理することにより、first name が内包する時代的・文化的背景を解き明かそうとするものです。

スタンフォード大学をはじめ、119校の公的機関の協力を得て、現実に使用されている膨大な数の名前を収集、

その使用頻度を横軸に置き、歴史的・地理的要因を縦軸に置いて、その相関関係がさまざまな角度から調査・検討されています。


まず、first name の歴史的変遷の記述に先立ち、

姓名一般に関する社会学的・心理学的な側面から

first name の意義、姓(surname)、肩書き名(title)、中間名(middle name)、愛情名(love name)、あだ名(nickname)などについて述べられたのち、

Norman Conquest(1066年)が Name Conquest でもあったことが示されます。

ノルマン人の名前が急速に英語の名前に取って代わったのですね。

この頃は名前はまだ1つしか付けられていないのですが、中世の終わりになると、人口増加と相まって、2つ目の名前として姓(surname)が登場します。

supername という原義の通り、姓(surname)の大部分は first name から派生。

例えば Richard という名から実に110の姓が生まれ、John から95、Robert から90、William から65の姓が生じたのですが、

他方で、後年、姓から first name が生じるという場合も起こった。

それから、ある国で革命など顕著な出来事が起こると、そこから生じる first name も多くなるとして

清教徒革命や王政復古、名誉革命の生じた17世紀における first name について語られたり

18世紀以降は Betty や Nancy といった愛称(pet name)が独立した名前として女子に付けられるようになったと述べられたり。

ことほど左様にして、first name の歴史を跡づけながら、英語圏で、どの時代にどのような first name が用いられたかが実証的に示されるのです。

その中で、例えば、Mandi, Bobbi, Toni, Terri などの名前が流行するに至った次第なども興味深く語られています。

英米人の名前の在り方を吟味することにより、英米文化の一端に触れることができる。

本書は first name に関する情報、逸話が豊富に収録された好著です。


posted by 石崎 陽一 at 19:33 | Comment(0) | 本の紹介 | 更新情報をチェックする

2012年09月25日

Word Power シリーズ



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大学時代、恩師の薦めで Norman Lewis, Word Power Made Easy(Pocket Books, 1991年)というボキャビルの本を使い徹底的に語彙増強をしました。

非常に効果的な単語集で、めきめき力がついたのを覚えています。

“HOW TO TALK ABOUT DOCTORS”(Sessions 4-6)の一節を例に引きます。


The dermatologist, whose specialty is dermatology, is so named from Greek derma, skin. Adjective: dermatological.

See the syllables derma in any English word and you will know there is some reference to skin−for example, a hypodermic needle penetrates under(Greek, hypos)the skin; the epidermis is the outermost layer of skin; a taxidermist, whose business is taxidermy, prepares, stuffs, and mounts the skins of animals; a pachyderm is an animal with an unusually thick skin, like an elephant, hippopotamus, or rhinoceros; and dermatitis is the general name for any skin inflammation, irritation, or infection.
(pp.61-2;斜字体は原文のママ)


もちろん、皮膚科医は skin doctor で通じるのですが、dermatologist というきちんとした言い方があります。

そしてこれを起点にして derm の付く英単語を芋蔓式に徹底的に仕込むわけです。

斜字体になっている全部の単語(語根)に練習問題が付いていますので、

繰り返しテストをすることにより、読者は同じ単語(語根)にいろいろなコンテクストで出会うことができるのです。

「そういえば大正薬品の皮膚薬にダマリンという水虫薬があったな」

などと想起しながら読み進め、文字通り、1頁読めば1頁分だけの力が付く感じがしたものでした。

これを半年ほどやったら、TIME 誌などを読んだときに知っている単語がまるで違ってくるのですね。

それは別人になった気分でした。


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同じ著者に、Instant Word Power(Signet, 1982年)があります。

最近その存在を知り、入手しました。

こちらは収録されている語彙のレベルはやや低く、

上智、慶應、早稲田などの難関私立大学から英検準1級くらいのレベルになっていますが、この本もまた、面白いのです。

Getting Started のコーナーでの説明(pp.1-5)からして「なるほどなるほど」と頷けます。

とは言っても、ものすごい秘策が書いてあるわけではなく、

1.Be motivated!
2.Hear and say!
3.Practice!
4.Play with the words!
5.Make errors and correct them!
6.See, say, and write the words!


など、

「語幹、接頭辞、接尾辞を知りましょう」

「五官を駆使しましょう」

「使ってみて間違って、それを訂正するなかで覚えましょう」

という、よく耳にする指南ばかりなのですが。

ただ、それがこの単語集を読み進めるなかで自然に行えるように設計されているというわけです。

できれば 1 session は何が何でも通してやってみて、余裕があれば1日に 2-3 sessions やってみましょう、とあります。

早速 Session 1 に取り組みました。


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(クリックすると拡大します)


この写真のような語彙増強系の本で面白くて夢中になったことはあまりないのですが、これはムキになります。

読んで、書いて、音読しているうちに、スパイラル式の訓練方式に巻き込まれていて、語彙がどんどん増えていく気がします。

各 session とも、まず


Picture a pedal−a gas pedal, a brake pedal, a bicycle pedal.

A pedal is operated by foot power.

Think of a pedestal−the base, or foot, of a column or statue.

Consider pedestrians−they get about on foot.



のように新出の語(語根)が示されたあと


1.Pedal, pedestrian, and pedestal have some relationship to what part of the body?
(foot)

2.You step on a pedal with your( a ). A pedestrian travels on( b ). A pedestral is the( c )of a statue or column.
(a,b,c:foot)

3.The syllable ped- in pedestrian, pedestral, and pedal comes from the Latin root ped-. Ped- means(   ).
(foot)

4.To drive a car, you press the gas( a )with your foot. To stop a car, you press the brake( b ).
(a,b:pedal)

5.A person who walks in the streets is a( a ). A statue rests on a( b ).
(a:pedestrian b:pedestal)

6.The root ped- means(   ).
(foot)


のように重要なところが穴埋め式で問われるのですが、難しくはありません。

このような語根や接頭辞、接尾辞の説明が繰り返し出てきます。

そして「また説明の繰り返し?」と思ったところで、新しい情報が1つ追加されます。


7.Human beings are bipeds. A biped has two(   ).
(feet)


でもって、その1つ追加された情報と少し前にやった情報とが交錯した問題が次々と出されるため、知識として整理され、記憶に残るのですね。


8.A squirrel gets around on four feet, an octopus needs eight, a snake manages without any. But you have two feet−you are a(   ).
(biped)

9.A biped has(   )feet.
(two)

10.The prefix bi- means(   ).
(two)


以降の sessions でも折に触れて復習できるように仕組まれています。

programed learning により、長い単語を覚えるのが楽しくなる本です。


(追記)

Instant Word Power(p.@)に次の一節があります。

THERE IS NO WEAPON AS POWERFUL AS A RICH AND DYNAMIC VOCABULARY

Scientific surveys have shown that academic, social and professional advancement are directly linked to the scope and effectiveness of your vocabulary.


なお、Word Power Made Easy(pp.17-8)ではこの辺の事情が詳述されています。


posted by 石崎 陽一 at 10:27 | Comment(0) | 本の紹介 | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

「数える」文化の多様性


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「数える」とはどういう営みか。

数えようとするものを、何か基本となるものと対応させることです。

それは人間の指であったり、小石であったりします。

朝鮮語で五は「閉じる」、十は「開く」だそうです。指を順番に折っていって全部閉じた状態が五、それをまた順に伸ばしていって全部開いた状態が十、というわけです。

英語の計算(calculation)は、ラテン語の小石(calculus)に由来するというし、日本語のヒトツ、フタツのツもマレー語の小石「バツ」にかかわりがあるといいます。

加藤良作『数詞って何だろう』(ダイヤモンド社、1996年)は、世界中の「数詞の文化」を渉猟する interesting and instructive な書です。


posted by 石崎 陽一 at 11:45 | Comment(0) | 本の紹介 | 更新情報をチェックする

2012年07月20日

初めて恋を知った悲しみ


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思い出の一冊に、『100万回生きたねこ』という本があります。

作・絵ともに佐野洋子さんの手になる絵本です。


100万年も しなない ねこが いました。100万回も しんで、100万回も 生きたのです。りっぱな とらねこでした。100万人の 人が、その ねこを かわいがり、100万人の 人が、その ねこが しんだ とき なきました。なこは、1回も なきませんでした


という書き出しで始まるこのお話の中で、猫は、ある時は王様の、またある時は船乗りの猫になったりするのですが、その誰をも愛さず、ついには野良猫になります。

ひたすら自分を愛し、他を愛することを知らなかったこの猫が、ある日、自分に全く見向きもしない白い猫に恋をします。

そして子供ができ、幸せに暮らすのですが、相手はただの猫ですから、やがて死に至ります。

そのとき、100万回生きた猫は初めて泣いて、100万回泣いて、白い猫の横で静かに動かなくなる。


ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした


で、この物語は終わります。

今回は子供たちのリクエストでこのお話の読み聞かせをしたのですけれども、やはり、白猫との出会いの辺りから涙腺を刺激され、最後は涙を禁じ得ませんでした。


posted by 石崎 陽一 at 02:39 | Comment(0) | 本の紹介 | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

三好助三郎『独英比較文法』(郁文堂、1968年)


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活字が小さいのとレイアウトに工夫がなく読みにくそうなので
初めは敬遠していました。

パラパラ目を通してもドイツ語ばっかり、肩が凝りそうで文字通り
「積読」していました。

しかし、ひとたび通読を始めるととにかく面白い。

目の洗われるような記述、「そうだ」と膝を打ちたくなるような記述、
「なるほど」と感心してしまうような記述の宝庫。

例えば、

英語では受動態は、ドイツ語よりもひんぱんに用いられる。それについては、イギリス人の考え方が客観的であり、客体を強調することが好まれるためとも説明せられている。しかし英語では他動詞が、ドイツ語よりもはるかに多いこと、またS+V+Oの配語法が厳格なため、強調せらる目的語を文頭に出すための手段として、受動態が用いられることが、大きな理由であろう。ドイツ語では受動態は、形式的で冗長なため、口語では好まれない。そのために受動態に代わる他の表現を求めようとする傾向が強い。

…という調子のコメントが随所に満載されているのです。

このようなコメントよりも事実の羅列の方が役に立つという記述主義的発想もあるでしょうが、私にはこういったコメントがたまらなく面白いのです。

面白く、かつためになる(interesting and instructive)良書です。


(追記)

上記の引用は『上掲書』(p.188)より行いました。


posted by 石崎 陽一 at 20:14 | Comment(0) | 本の紹介 | 更新情報をチェックする

2011年01月12日

関口存男『中級講話 趣味のドイツ語』(三修社、1985年、第15版)


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『中級講話 趣味のドイツ語』というタイトルは語学の参考書にはいささか不向きと思われるかもしれません。著者自身もそう感じたのか、「はしがき」でこの「趣味」という語の由来を述べています。


本書は「中級」の学習者を対象に編まれたとのことですが、そもそも「中級」というのがよくわかりません。関口氏の言葉を借りれば、

「中級」を定義するとすれば、だいたい斯ういう風なことになるでしょう:『中級とは、少しはやつたがまだなんにもわかつていない程度のことである』。

少しやると高級みたいな氣がして来る……なんにもわかつていないと氣がつくとすぐ初級と謙遜する……この二方面を合して考えると只今の定義になるわけで、わけのわからないヌエみたいな定義ですが、ものがヌエだから定義もヌエになるのはやむを得ますまい。

(p.1)

ということらしいですが、この中級者を教えるのが一番やりにくいと氏は言っています。それは、小学校の3年生から高校の卒業生までを一同に並べて講義をするようなものだからであるようです。

ここに彼一流の哲学が出てくるのですが、

けれども大所高所に立って事を考えてみるならば、小學生と中學生と高校生を一室に集めて授業するということは、そんなに非常に無茶苦茶なことでしょうか? ドイツ語をやつた人と五年やつた人とを一堂に集めて講習するということは、そんなに頗る甚だ非常にとても絶對に不可能な暴擧でしょうか?

私はこう思います:人をヘえるというのは、人を「刺戟」することである、と。大してヘえるところがなくてもよい、「刺戟」さえすればよいのだ、−これが私の信念です。刺戟さえすれば大抵の人は後は自分でやつて行きます。後を自分でやつて行かないような人なら、ヘえたつてどうせやつて行きはしないでしょう。

ドイツ語を半年やつた人と十年やつた人とを一堂に集めて、これにドイツ語を「ヘえる」というのは、それは頭つからインチキと断定してよろしい。これにドイツ語を「刺戟する」というのは充分意味をなします。「趣味のドイツ語」というチャキな名は、實はこう云う意味なのです。

(p.2)

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2011年01月06日

井上ひさし『本の運命』(文藝春秋、1997年)


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子供の頃に本とどんな出会い方をするかにより、その人にとっての本の価値は変わってくると思います。


本書は、戦時中の幼少時代から故郷の山形に図書館を造るに至るまでの、著者の本との付き合いの歴史を、さまざまなエピソードを交えて面白おかしく書いています。


山形県の田舎町に生まれた著者は、決して豊富な本に恵まれてはいませんでした。それでも自宅の商売用の雑誌や父親の愛蔵書を読み漁り、家庭の事情で施設に入ってからもまるで「食う」ように本を読んでいったそうです。


高校時代、映画代欲しさに寮の本を売り飛ばしてしまった話、大学図書館の館員と繰り広げた熾烈な闘い、作家になったある日自宅の床が本の重みで抜けた話など、笑ったり感心したりしながら、私は、著者の本に対する深い愛情を読みとりました。


子供に本を読ませたい大人も、そして大人自身も一読の価値ある良書です。


posted by 石崎 陽一 at 00:38 | Comment(0) | 本の紹介 | 更新情報をチェックする
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