2013年08月03日

英語学習の適切な方向性について


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ここのところ、指導の参考になるかと、自分の学習履歴を振り返っています。

今回は、体験より確信した英語学習の適切な方向性について記します。


前回までの記事(こちらこちらこちら)で述べてきたように、

英語学習において、私は

まとまった分量の英文を(形式にも意識を払いながら)記す

という経験を中高ではしておらず、

大学入学後、英語しか通じない環境において

集中的にその訓練を受けることになったわけですが、

その過程で、主として、

次のような点を体認することになりました。

すなわち、最終的に

文と文とのつながりと全体のまとまりとを意識して一文を超えたレベルで書ける

ようになるために、

大前提として、やはり

まずは一文レベルで自分の言いたいことを文法に則って適切に表現できるようにならねばならない。

文法を学習する大きな目的はそこにある。

このような点についての悟りです。

すなわち、もっと言うならば、

英文法は発信・理解のためのツールであり、

英語で正しく読み、書き、話し、聞くための技術である。

したがって、まずはそのツールの使いどころ、そして使い方を理解することが必要だが、

技術として十分に使いこなせるようになるには、

そのツールを実際に用いて何かを表現する機会を多く持つことが大切である。

併せて、良質の英語に触れ、「これは」と思った語句や言いまわしはその都度書き留めて

自分の発表に活かすことも欠かせない。

私の現在抱いているこのような実感は、前回の記事で記した体験に裏付けられているのです。


posted by 石崎 陽一 at 15:16 | Comment(0) | 思い出話 | 更新情報をチェックする

英語学習の方向性の正しさに対して確信を抱いた機会のこと


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ここのところ、指導の参考になるかと、自分の学習履歴を振り返っています。

今回は、英語学習の方向性の正しさに対して確信を抱いた出来事について記します。


学部時代のライティングの授業において

research paper の執筆指導を通じ

いわゆる academic writing の基礎を叩き込まれ、

journal writing を通じ

アウトプット量の継続的な確保(多作)を習慣づけられました。

慣れないながらも毎回の課題に必死の思いで取り組み、

その都度いただいたダメ出しを消化し、改善を目指しました。

その甲斐あってか、

大学院の入試(入院試験w)においては

英語圏の有識者から、ずっと日本育ちにもかかわらず、

それまでの学習の成果を認めていただく経験をし、

自信をつけたのを覚えています。

どれほど嬉しかったかは、今でもこのような些事を鮮明に記憶していることからもわかります。



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(クリックすると拡大します)



当時、文学研究科英米文学専攻・博士前期課程の入試科目は

英文学史、米文学史、英語史、古英語、中英語、第1外国語(英文和訳、和文英訳)、第2外国語(独文和訳)

というセットから成り立っていました。

上の写真は、その中でも、私が実際に受けた和文英訳の試験問題を示しています。

かねてより、私は

外国語に訳すというのは単なる単語の置き換え作業ではなく

翻訳作業だと考えていましたので、

この試験に臨むにあたり、


1.内容把握(吟味)
2.和文和訳
3.構造分析
4.英訳
5.内容吟味



というプロセスを大切に、与えられた時間を目一杯使って丁寧に取り組みました。



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初日の学科試験が終わり、2日目の口頭試問の折りのことです。

予想だにしなかったことですが、

1年生のときに Sherwood Anderson, Winesburg, Ohio という連作短編集を半年間読んでいただいた

Joseph S. O'Leary 先生(現 英文学科教授)から次のような言葉を頂戴したのでした。

曰く、

「チェスターフィールド卿」の英訳を初め、君のは背景知識に裏付けられた、平易で自然な英語でなされた良い翻訳だ、今回の試験でこれだけの水準の訳を提出したのは君ひとりだ、文士がパトロンに絶縁状を突きつけた文学史上有名なこの事件がピンときていない答案も残念ながら見られたのだよ云々。

Irish English で excellent translation と言われたその響きが今も私の耳の底に残っています。

あの日の口頭試問における O'Leary 神父のコメントは、

それまでの英語学習の方向性の正しさに対する確信を、私に抱かせてくれた講評でした。


(追記)

件の問題文に記された、文士がパトロンに絶縁状を突きつけた文学史上有名な事件について、渡部昇一『英語学史』(大修館英語学大系13、1975年、p.551)より引きます。

Johnson が辞書を企画したとき、Chesterfield にパトロンとしての支持を求めたが、10ポンド贈ってもらっただけであった。7年後、辞書の完成が近いことを聞いた Chesterfield は World 誌に寄稿して Johnson の功を称えて暗にパトロンになることを申し出た。これに対し Johnson が手きびしい拒絶の手紙を出して、文人とパトロンの関係を絶つという歴史的なことをなした。


posted by 石崎 陽一 at 15:15 | Comment(0) | 思い出話 | 更新情報をチェックする

学部時代のライティングの授業のこと(その2)


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ここのところ、指導の参考になるかと、自分の学習履歴を振り返っています。

引き続き、今回も、学部時代のライティングの授業について記します。


学部1年次のライティングの授業はテキストの目次に沿って進められました。

この授業ではゴールがリサーチ・ペーパーの執筆に据えられていましたので、

教科書である The Process of Composition を活用し、

その出発点として、 パラグラフの書き方から、

理由づけ、例証、比較・対照といったパラグラフの展開の仕方を含め、

一歩一歩、

文字どおり、手取り足取り仕込んでいただいた次第です。

執筆の訓練をする素材の種類も、定義・説明・描写・要約・説得というカテゴリー別になっていて、

バラエティに富んだメニューになっていたと思います。

授業のオーガナイズはもとより、毎度の課題の提出と添削、優秀作品のクラスへの提示など、

Suzannah Tartan 先生には本当にものすごい手間と労力と愛情をかけていただいてましたねぇ…。

教職に就いてしみじみそう思います。


(追記)

…そのような追憶に浸りながらページをパラパラめくっていましたら、

書き直しを経てひとまずは完成した当時のパラグラフが挟まってるのが見つかりました。


It is said that Japan lacks social and ethnic diversity, but I think this is a strength for Japan. Because the Japanese society is basically homegenous, and lacks religious diversity, Japan doesn't have to go through many racial problems or religious conflicts, like, for example, in South Africa and the United States. Matt, my former English teacher from New York, told me that in the United States, there are still many racial problems between the White and Black, and he was forbidden by his parents to play with black people when he was a child. Since Japan does not have to face such problems, this lack of social and ethnic diversity is a strength for Japan.


添えられたドラフトになされた赤字の書き込みによると、

的を絞るように、また、具体例を入れるように、という指摘が最初のアドバイス。

文法的にブラッシュ・アップするように、という助言が次の指示。

上の作品は、このような幾度かの改訂を経たとは言え、

今の目から見れば不十分な箇所も残る

大学入学当初の、拙い作品ですが、

私にとっては貴重な思い出の品になっています。


posted by 石崎 陽一 at 14:00 | Comment(0) | 思い出話 | 更新情報をチェックする

学部時代のライティングの授業のこと(その1)


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ここのところ、指導の参考になるかと、自分の学習履歴を振り返っています。

今回は学部時代のライティングの授業について記します。


写真は Joy M. Reid, The Process of Composition(Prentice Hall, 1988)です。

本書は学部1年生のときに Speech & Writing という必修科目で教科書として使った指南書で、

英作文の指導に際しては、今でも折に触れて読み返す参考書でもあります。

この科目の授業のことは、以前、「アウトプットを強いる」という記事で触れましたが、

担当のアメリカ人の先生が良い意味で非常に厳しい先生で、とにかく鍛えられまして。

90分1コマ、週に2コマという通年科目で、

クラスサイズが小さかったこともあり、

スピーチ、ライティング、ともにギューギューに絞られましたですね。

ライティングに関しては、前述の記事でも記したジャーナルの継続的な執筆、定期的な提出のほか、

年度末におけるリサーチ・ペーパーの提出が課題として義務づけられていました。

私は事情があって新聞配達をしながら学生生活を送っていましたので

力はもとより、自由時間も少なく

このアメリカ人教師の情熱的な指導に、文字通り必死になって

ただただ

「食らいついた」

記憶しかありません^^;

当時の仲間と会うと今でも話題になるほど、得がたい経験をさせてもらいました。


posted by 石崎 陽一 at 13:21 | Comment(0) | 思い出話 | 更新情報をチェックする

2012年11月19日

座右の一節


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田中菊雄『英語研究者のために』(講談社学術文庫、1992年)より備忘のため書き留めておきます。


「教えるのは学ぶの半ば」というけれども、確かにそれ以上である。教えてみてはじめて本物になる−これが外国語習得の場合においては特にそうである。(後略)

教壇を試験場と考えて十分の準備と自信とをもって臨むということほど大切なことはない。またその準備もその日暮らしの準備ではいけない。同じ一つのことを教えるのでも、十の力で教えるのと百千の力で教えるのとでは非常なへだたりがある。容易な教材でも決して軽んじてはならない。文法上およびその他すべて教育学上のいわゆる「形式方面」の準備はもとより、「実質方面」すなわち内容方面の研究を怠ってはならない。時にはただ一課を教えるために一冊の書物を読破するだけの努力を払わなければならない。(後略)
(p.179)


一にも二にも三にも予習である。これによってこそ教師は学ぶのである。しかし予習にもピンからキリまである。一夜づけの予習ではだめである。往々にして教師は抜萃の一課を教えるのに一冊の原作を読破する覚悟をもたなければならない。「人一度これをよくすれば我は十度す」という心掛けが必要であると思う。(pp.226-7)


英語教師は常に視野を広くして世界の動きに着目し、言語事象としてこの生きている言語の推移にアップ・ツー・デイトたらんことを心掛けなければならない。また外国語の尊重がややもすれば学生に無批判な外国文物崇拝の念を作り出す恐れのあることを深く戒めて、これを overestimate することもなく、underestimate することもなく、科学的態度を持ち、かつ常に「日本人」たる自覚をもって生徒を導かなければならないことは当然である。

と同時に、また一面では、自分の専門に深い興味を持ち、世紀の騒乱を超越して不断の研究を続けて行かなければならない。
(p.180)


posted by 石崎 陽一 at 23:08 | Comment(0) | 思い出話 | 更新情報をチェックする

2012年09月30日

新聞配達の仕事で頂いたまごころ


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午前2時半起床、身繕いをする。

午前3時、刷り上がったばかりの新聞の束をトラックから受け取り、店内に運び込む。

したたり落ちる汗で新聞を濡らさないように、タオルでふきふき、自転車の前後に山のように積み込む。

朝夕刊、スポーツ紙、工業新聞、競馬情報誌等。

配達は敏速に、正確に。

雨の日、風の日、雪の日、汗の出ない日はありません。

…あのころは競輪選手みたいな太腿をしてました。

積荷の重さに耐えられるようタイヤの太さは通常の約2倍ですから、漕ぐのにそれなりの力がいるのです。


月末、月初めは集金です。

担当エリアの300軒ほどを一軒一軒訪ねてまわる。

お宅に伺うと、お客さまから

「暑いのにご苦労さま」

と、冷えたジュースや栄養ドリンクを頂いたり、

「100円セールやってたから少しだけ持っていきなさい」

とカップ麺を持たせていただいたりしたこともありましたね。

冬には「路面が滑るから自転車気をつけて」と、優しい言葉も。

お客さまのまごころに、心は感謝の気持ちでいっぱいでした。

たかが新聞一部届ける仕事ですが、とてもやりがいを感じ、また今の世の中まんざらでもないなと思ったことでした。

(長い歳月、理不尽なこともそれはそれは多かったけれど。)

今は昔、学生時代のアルバイトの話です。


posted by 石崎 陽一 at 17:37 | Comment(0) | 思い出話 | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

試験は血まみれ


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試験というのはどんなときに受けても苦しいものに変わりはありません。特に大学の学年末試験ともなると大変です。

というのも、試験問題のほとんどが、あの実にイヤな記述式という代物だからです。

○×式、選択式ならある程度の知識と勘があればだいたいの問題は解けるものですが、この記述式というのは少し違います。

たしかな背景的知識と、思考力、発想力、簡潔な文章を作成する力が必要で、その上時間がかなり限られています。

特に外国人の先生の試験となると、もう地獄でした。

それに一夜漬けなどほとんどできないに等しく、

日頃からノートをきちんと取り、本をたくさん読み、問題意識をもって物事を考えながら準備していないと、

試験場では隣の学生の走らせる鉛筆の音を子守歌にして眠るか、壁のシミのパターンを研究しながら1時間半を過ごすことになります。

奨学金受給の有無は成績次第でしたから、苦学生の私にとって試験は一大事でした。


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ですから、必死になって勉強をするのですが、いくら勉強していても不安はなくならないもので、試験の2週間ほど前から極度に緊張した生活が始まります。

そして緊張感が高じてくると思わぬ事態を引き起こす場合があります。

私の場合もそうでした。

年明けの試験に向け、例によって数週間前からかなり緊張していて、あと数日で最初の試験が始まるというとき、その緊張が限界点に達しました。

最近と同じく寒い日の早朝、新聞を配達し終えて専売所のシャワールームで汗を流しているときでした。

いつもと同じように最初に髪の毛と身体を洗いました。洗顔のあと石鹸を洗い流したのですが、顔がまだ何かヌルヌルするのです。

石鹸が十分に落ちていないのかと思いましたので、もうしばらく洗い流していたのですが、一向にヌルヌルが取れません。

おかしいと思って目を開けたら目の前に一面血の海が開けているではありませんか。

どうも、緊張と寒さのため血管が弱くなり、そこでシャワーを浴びたので、鼻血が吹き出したのだと気づきました。

気はついたのですが致し方ありません。

天井を見ながら身体についた血やシャワールームいっぱいの血を洗い流し、天井を見ながらタオルで身体を拭き、天井を見ながら自分の部屋へ駆け込んでティッシュを鼻に押し込みました。

まさしく「上を向いて歩こう」です^^;


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実際には慌てて走ったのでしたが、浴室の天井、廊下の天井と、今まで気にも留めなかったものをあのときほどきちんと見たことはありませんでした。

一つ新しい視点が与えられたような気持ちになって喜んでいました。

少々悲惨な状況に置かれていたにもかかわらず、頭の中ではあまりそれを感知していない。

たぶん大量出血のため意識が朦朧としていて、通常の精神状態ではなかったのでしょう。

貴重な経験には違いありませんが、恐ろしいことです。

この「教育者的」鼻血には数日後にもう一度見舞われることになります。

試験には何とか好成績を収めることができましたが、試験準備のため何週間も緊張し、鼻血を吹くのはもうこりごりです。


posted by 石崎 陽一 at 17:10 | Comment(0) | 思い出話 | 更新情報をチェックする

2011年04月29日

The Oxford English Dictionary のこと


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大学3年生の時の渡部昇一先生の講義は Steven Pinker の Language Instinct でしたが、先生は4月、初回のクラスで開口一番

「可能な限り早く OED を買いなさい」

と言われました。

私は住み込みで新聞配達をしながら生活費を切りつめ、すでに2年生の時に買って「私有」していましたので、内心得意だったのを覚えています。

先生はさらに

「旅行に行くのに10万円、20万円平気で使うのに、OED を買い惜しむのは最大の堕落である」

ともおっしゃいました。

渡部先生のご著書を愛読し、先生の教えを直接受けていましたので
「英語で飯を食う」ことを目指す学生が OED を買うのは当たり前だと思っていましたが、これが上智以外ではあまり「常識」ではないらしいことを後になって知ることがありました。


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その後東京都に奉職し、勤めた初任校で、ある先輩の先生がアドバイスしてくださったのですが、その先輩は

OED を引けるようになったら一人前ですよ。図書館に通いなさい」

と言われたのです。

さすがに「学部の2年の時から持って日々お世話になっています」とも言いかねましたので、その時はただ「はい」と答えておきました。

恐らく「OED を引け」という指導はしても、学部生に「買え」と喝破するような教授は、渡部先生をおいて他にはいないということなのかもしれません。


(追記)

堀田隆一先生によるこちらの記事もが有益です。

OED Online に触れてみる


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その本を買うために金が足りなかったら、アルバイトをして金を得て買った方が、図書館から借りるよりは、結局、時間の節約になると思う。
渡部昇一『知的生活の方法』
(講談社現代新書、1976年、p.111)


知的生活とは絶えず本を買いつづける生活である。したがって知的生活の重要な部分は、本の置き場の確保ということに向かわざるをえないのである。つまり空間との格闘になるのだ。そしてこの点における敗者は、知的生活における敗者になることに連なりかねないのである。知的生活の敗者という言葉が強すぎるとすれば、知的生活に重大なる支障を蒙むると言ってよかろう。
『上掲書』(p.95)



posted by 石崎 陽一 at 18:42 | Comment(7) | 思い出話 | 更新情報をチェックする

2010年12月20日

英語学習に興味を持たせる工夫


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関東支部の勉強会は「英語学習に興味を持たせる工夫」というのがテーマでしたが、私の場合はどうか。


ここでは離島勤務時代のことを思いつくまま極めて簡単に振り返ってみたいと思います。


当時、私は6種類の科目を受け持っていました。次はある年度の持ちクラスです。


1年…普通科・英語T(習熟度別3展開のAクラス)

2年…普通科・英語U(習熟度別3展開のCクラス)
2年…普通科・英語U演習(選択科目)
2年…併合科・英語U(習熟度別2展開のBクラス)

3年…普通科・リーディング(習熟度別3展開のBクラス)
3年…普通科・ライティング(習熟度別3展開のAクラス)


勤務していた高校には島に3つある中学校からほとんどの生徒が進学してきますので、中学校の教室のように多様な学力層の生徒が1つの教室にいると思っていただいて結構です。


ですから、習熟度別クラス編成をしないと焦点をあてにくい。
それで選択科目も含め、授業は毎回6種類準備していました。


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1年…普通科・英語T(習熟度別3展開のAクラス)

幼少期から島に唯一ある英語塾に通うなど英語の素地があり関心が高い。よって検定教科書で“almost all in English”の授業を試みました。例年になく英検2級を受検する生徒が続出。刺激を与えるには成功したか。ただし、教室における生徒の英語の発話量は十分だったと言えるか。


2年…普通科・英語U(習熟度別3展開のCクラス)
   
10名弱のクラスですが着席させ授業に集中させるまでに時間がかかります。雑談から入り授業へ。扱う英文は長期休業中の課題用の薄物等からカップラーメンの歴史やジャパニメーションなど彼らに身近な題材のものをピックアップ。作業系のハンドアウトをたくさん用意しました。時おり洋楽や洋画(特にディズニーアニメ)を活用。途中からは自分たちで素材を探させました。


2年…普通科・英語U演習(選択科目)

文法の演習授業です。選択科目だけあって習熟度でいうとAクラスの生徒が中心なので数研出版の『デュアルスコープ』を土台に説明し準拠問題集で確認していきました。


2年…併合科・英語U(習熟度別2展開のBクラス)

併合科とは農林・家政科のことです。5名ほどのクラスですが授業に集中させるまでに時間がかかります。4月最初の授業で教室に颯爽と入って行ったらセメダインの臭い。男の子が休み時間はとうに終わっているのにハーレーダビッドソンのプラモデルを夢中で作り込んでいる。女の子は着席して談笑。他方で中古車情報誌に読みふける者。ニンテンドーDSに興じる者。机に突っ伏している者。

むろん生活指導から入りましたが、車名やゲームの英語、料理・裁縫に使う動詞の整理など彼らの生活や興味に直結したトピックを教材に仕立ててアルファベットの復習、簡単なセンテンス・ビルディングから始めたのを覚えています。島民に向けた公開講座では郷土料理や郷土芸能、物産などを観光客に英語で紹介する想定の講座をAETとともに企画して実施しましたが、この講座へ生徒にも参加してもらったらみんな生き生きしてたな(^-^)


3年…普通科・リーディング(習熟度別3展開のBクラス)

習熟度別クラス編成(3展開)をするとどうしても真ん中が膨らみますね。英語の力や興味でいってもAクラス寄りからCクラス寄りまで様々でしたが、タスク消化型の授業で音読や同時通訳等を交えつつ結構鍛えたと思います。


3年…普通科・ライティング(習熟度別3展開のAクラス)

英語への関心が高く大学入試を意識している生徒もいるということで、文法の復習と検定教科書に出てくる英文の暗唱・暗写を徹底的にさせ、入試問題を投げ込みで扱い刺激しました。郷土の紹介を英文で書かせ、最後に文集を作りました。


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生徒は習熟度的に低いほど、それに合わせながら彼らの力を引き上げる授業を工夫する必要があります。


教え込むよりも生徒にわかってもらう授業をし、学習の動機をもてるように生徒を誘うことが大切ではないでしょうか。


「英語学習に興味を持たせる工夫」ということで、今から思うと、生徒が自ら学びたくなるような素材の選択、提示や仕掛けにずいぶん心を砕いてたように思います。


一筋縄でいかなかったから、特に併合科の連中には鍛えられたな。


(追記)

授業が6種類、習熟度別クラス編成ゆえ定期考査も毎回6本、あの頃は年間で30本の試験問題を作ってました。こちらも相当鍛えられました。


posted by 石崎 陽一 at 23:18 | Comment(0) | 思い出話 | 更新情報をチェックする

2010年10月26日

プロ意識を持て!


採点がひと段落して書斎の整理をしていたら、
十数年前受けた渡部昇一先生の授業ノートが出てきました。

懐かしさのあまり、整理の手を休めてパラパラとページを繰って
みて、先生の授業のことを思い出しました。


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渡部先生の講義は知的刺激に満ちていました。

例えば、ヨーロッパの近代は、ルネサンスと宗教改革という二大運動で始まるわけですが、それぞれの特徴を鮮やかに描写なさったのが印象的でした。

ルネサンスは、ヒューマニズムを生み、人間中心の水平志向であり、言語的には外来語を取り入れることに積極的で、宗教的にはカトリック、地理的には南欧的で、暖流のごときである。

宗教改革は、ピュアリズムを生み、神あるいは聖書中心の垂直志向であり、言語的には母国語主義で、宗教的にはプロテスタント、地理的には北欧的で、寒流のごときである。

そして、エリザベス朝のイギリスは、その暖流と寒流がぶつかり合った豊かな漁場のごときであって、シェイクスピアという大魚が獲れたのである。

そういうことを言われるわけです。

ルネサンスが水平志向で、ずっと水平に見つめているから、ヨーロッパを出てはるか異国の地にまで船出しようという衝動が起きる。

そうしてずっと水平に見ていたら、アメリカ大陸が見えてくるのであり、それが地理上の拡大である。

何か、ヨーロッパ近代の本質がそれだけでわかったような気持ちにさせてもらいました。

私は毎回の授業を楽しみに、授業では身を乗り出すようにして、目を輝かせて聴き入り、お話を聴くたびに自分が賢くなったように感じたものでした。


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授業ノートの欄外にメモが書きつけてあるのに気づきました。

先生が授業を離れ、または授業の内容を発展させてお話しになった
事柄です。

あるページには古書店で見つけたら是非買うべし、として

徳富蘇峰『近世日本国民史』、岩下壮一『カトリックの思想』、
アンドレ・モロワ『英国史』などの書名が書いてあります。

また、その中に「プロ意識を持て!」と大書したページがありました。

たしかこれは、ある学生の不勉強を注意されたことからクラス全員におっしゃられた言葉だったと思います。

英語ができる人はいくらでもいる。君たちは将来英語で飯を食うのだから、プロとして他学部の学生とははっきり実力の差が出るようしっかり勉強しなさい

という叱咤でした。


このように、渡部先生の授業は単に知識を与える授業ではなく、常に学生を励まし、知的好奇心をかき立て、やる気を起こさせてくださる授業でした。


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あるとき、先輩方と先生を囲んでコーヒーをいただいていたときのことです。

先生はこの頃ラテン語の文章を暗記していると言われて、かばんからその本を取り出されました。

それを学生にお渡しになると、すぐに暗記したばかりのラテン語を披露してくださいました。

そのご様子は、実に楽しそうでした。

気がつくと、私も覚えてみようかという気になっていました。

先生は教室の内外で絶えず刺激を与えてくださいました。そしてなぜかその刺激がいつも無理なく自然な形です〜っと入ってくるのです。

そんなことを考えていて、

先生は物事の一番の「うまみ」を私たちに凝縮して味わわせてくださるのですが、ある話題を語られるときはいつでも

先生ご自身がそれを本当に楽しんでおられるのがわかるからこそ、その楽しさが私たちに余計に伝わってくるのだと思い至りました。

お話を聴いた私たちは、そんなに面白いならぜひやってみたい、という気になってしますのですから本当に不思議です。


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教職につき十数年が経とうとしていますが、渡部先生のように生徒に刺激を与えるのがいかに難しいかをしみじみと痛感する毎日です。

先生の場合、ご自身が理想の姿を提示されることによって私たちを導いておられたのだと感じます。

結局、自分自身を高めないことにはいかなる刺激をも人に与えることはできないのですね。


とにかく、精進したいと思います。


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2010年10月18日

大きな使命と課題


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先週の土曜日、恩師の傘寿(さんじゅ)、80歳のお祝いが紀尾井町でありました。


今年は出向くことができませんでしたが、その日、私にはこれからにつながる収穫がありました。


全力を尽くすことで得られた大きな収穫です。


今度、ご自宅までお祝いと高校の現場で初志を全うしているご報告とをしに行って参ります。


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渡部昇一先生の「英文法概論」を初めて受講した日のことは今でもよく覚えています。


教卓につかれると、細江逸記博士の『英文法汎論』が世界一の文法書であることを力説され、授業が始まりました。


学生が一人ずつ前に出て説明を読み、例文を訳すという作業が続きます。


私は先生の文法的に正確ながら直訳調ではない訳し方を学んだり、

時おりなされる文法的説明の補足や英語英文学に関する研究の余滴をお聞きしたりして、

内面から湧き上がってくる知的幸福感を押さえることができませんでした。


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中でも叙想法(仮定法に対する細江博士の名称)の単元のご説明は忘れもしません。


先生は細江文法で叙実法(Fact Mood)と叙想法(Thought Mood)の違いを読まれた後、


語源的にはmoodもmodeも同じだから、これはFact ModeとThought Modeと言ってもよい。

つまり、英語では動詞や助動詞の形を変えると、頭が「事実を述べるモード」から「想像を語るモード」に切り替わるのです。



という趣旨のコメントをされたのです。


そしてこれは英語に限らずドイツ語を初めとするヨーロッパ系の言語に共通してあてはまる考え方なのですね。


文字通り目から鱗が落ちた瞬間でした。


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現任校に赴任してからは仮定法について先生の受け売りをしていますが、かつての私とまったく同様の感想をもつ生徒が毎年必ず出てきます。


多少なりとも渡部先生と同じ教育効果を上げられていることを嬉しく思います。


渡部先生がご著書や授業や個人的交わりを通して教えてくださった英文法の本質と効用を、私なりの方法で語り継いでいくことが私の使命の1つだと考えています。


そして、自分なりのどっしりと安定したスタイルを築いていくことが、今の私の大きな課題です。


posted by 石崎 陽一 at 22:55 | Comment(2) | 思い出話 | 更新情報をチェックする
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