2017年01月07日

川崎病と闘う日々



「日本の循環器診療に大きな足跡を残した先人達に、その研究と経緯をお伺いすることで、循環器病の歴史を探る対談シリーズ」が日本心臓財団のウェブサイトに連載されています。

題して「Meet the History」。

ユーモアを交えながら、当時の苦労や人とのめぐり合わせなど、他では聞けない多くのエピソードを盛り込まれています。

このインタビュー企画より以下の記事にリンクを貼らせていただきます。


川崎病と闘う日々


posted by 石崎 陽一 at 16:22 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2016年08月03日

渡部昇一『書痴の楽園』



敬愛する友人から便りをもらい知りました。


渡部昇一先生が DHC シアターでもたれていらっしゃるトーク番組のことです。

題して『書痴の楽園』と言います。


先生が英語学の分野でケンブリッジ大学の図書館長も認める世界一のプライベートライブラリーを構築されていらっしゃることは有名ですが、

その書庫のなかで書物をはじめ様々なテーマについて語っていらっしゃるのですね。

知的生活者としての先生のお姿が見られて心楽しく、嬉しくなる番組です。










渡部先生が勧めておられる幸田露伴の分福の精神に則り

皆さまと共有をさせていただけたらと思いまして、早速、投稿した次第です。

それでは、また。


(追記1)

関連記事はこちら。

渡部ゼミ定例会に出席

学会と恩師の誕生会

空間と格闘中

just a small part of my private library


(追記2)

「#1 書庫探訪スペシャル〜前編〜」の18分56秒あたりに倹飩(けんどん)に関する説明のテロップが出現しますが、誤りがあります。正しくは、渡部昇一『95歳へ!』(飛鳥新社、2007年、p.34)によれば、

木版の本を入れる桐の細長い書物箱

のことを指しています。


(追記3)

「#2 書庫探訪スペシャル〜後編〜」の25分30秒から29分05秒までの less foolish のお話は先生のお人柄と言いますかお考え方が色濃く出ていて大好きです。


(追記4)

谷沢永一『紙つぶて(完全版)』(PHP文庫、1999年)に付せられた渡部先生による巻末解説より引きます。

日本の図書館は午前三時には開いてくれない。しかし谷沢は丑の刻であろうと午の刻であろうと、日曜であろうと祭日であろうと、交通機関を使うことなしに入館できる施設図書館(プラーベート・ライブラリィ)を持っていたのである。


(追記5)

こちらもどうぞ。





後者の映像のなかでは15分頃に紹介される blessing in disguise(仮装した幸福;幸福は貧乏に仮装してやってくる)の概念に、これまで、何度、励まされたかわかりません。



●「やはり、身近なことが、一番重要なんでしょうねぇ。」(11分55秒)

● 22分52秒

● 29分30秒


posted by 石崎 陽一 at 12:13 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

よい講演が含む3つの部分


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太田朗『否定の意味 意味論序説』(大修館、1980年、p.F)より備忘のため書き留めておきます。


かつて J.R. Ross は、東京における講演の冒頭で、よい講演というものは3つの部分を含んでいなければならない。すなわち、講演者も聴者もともに分っている部分、聴者に分っていないで講演者のみが分っている部分、両者ともに分っていない部分、の3つを含んでいないといけないという趣旨のことを言った。


posted by 石崎 陽一 at 04:12 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2014年12月13日

「母」の比喩について


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慶應大学の堀田隆一先生が運営されている「hellog〜英語史ブログ」は日頃から多くを学ばせていただいているウェブサイトです。

本日付の記事において提供されていた話題に、特に興味を引かれました。


Necessity is the mother of invention.


と言いますけれども、father でなく mother が用いられているのがかねてより不思議だったからです。

上の記事で堀田先生が触れられているように、


「母」とは何かを派生的に生み出す源


という視点から考えると、たしかに、この場合、必要から発明が生み出されるのですよね。

長年の疑問が氷解した気がしまして、思わず筆を執った次第です^^


(追記)

いとうせいこう氏は

なぜ日本語がきちんと聞こえるか。俺は浄瑠璃を習った時、この言語の秘密を教わったからわかる。「産み字」=母音を大事にするからだ。近頃はアナウンサーさえ子音を強調してしゃべる。あれは日本語ではない。意味が頭に入って来ない。

ツイートしています。



posted by 石崎 陽一 at 22:33 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2014年12月07日

ドイツ語においてトピックとして現れる要素


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岡本順治・吉田光演 編『講座ドイツ言語学 第1巻 ドイツ語の文法論』(ひつじ書房、2013年)より備忘のため書き留めておきます。


文頭位置は、「主語の位置」と見なされることも多いが、主格主語が文頭に現れるのは、ドイツ語全体の60%程度である(中略)。この数字が物語ることは、たしかにトピックとして現れる要素は主語が多いのであるが、少なくとも残りの40%は、主語以外のものがトピックとして用いられているということである。


posted by 石崎 陽一 at 09:50 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2014年08月24日

宇宙の中に完全なものなどない


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渡部昇一 編『ことばコンセプト事典』(第一法規、1994年、p.A)より備忘のため書き留めておきます。


三宅雪嶺が明治42(1909)年、日本哲学史上画期的な大著『宇宙』を書き上げた時、跋文の中に「……筆せし後に新想新材を獲、獲るが儘に改むれば、更に新なるを獲、幾回改刪するも遂に完成を認むる能はず。完成を認めずんば世に公にせずと定めんか、永遠に公にすべからず」と言い、荀子の「天地に全功なし」ということばを引用している。これは、「宇宙の中に完全なものなどない」という意味であろう。私は執筆者の方々に何度もこの「天地に全功なし」ということばをモットーとすることをすすめ、とにかく全力を尽くして調べ考えた以上は、限りなき完全を求めることを一時停止して原稿を書き上げることを求めた。


(追記)

私の手元にある版(三宅雄二カ『宇宙』(政ヘ社、1909年再版))では、当該箇所は622ページに記載されています。


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posted by 石崎 陽一 at 16:38 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2014年06月14日

vaporization と evaporation の違い


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(retrieved from:http://goo.gl/9KC8mB



生徒から尋ねられ、vaporization と evaporation の違いについて調べていたところ、


Differencebetween.net


に有益な記事を見つけました。


−−−−−−


Difference Between Vaporization and Evaporation


というエントリーより備忘のため書き留めておきます。


Vaporization has three types:

Boiling, wherein the transition from liquid phase to gas phase takes place at or above the boiling temperature, and it occurs below the surface.

Sublimation, wherein the transition from solid phase to gas phase takes place without passing through a liquid phase, and it occurs at temperatures and pressures below the triple point of a substance.

Evaporation, wherein the transition from liquid phase to gas phase takes place below the boiling temperature at a given pressure, and it occurs on the surface.

Evaporation, therefore, is a type of vaporization of a liquid into gas on its surface. It is a part of the water cycle wherein solar energy causes the evaporation of water from oceans, seas, and other bodies of water as well as the moisture in the soil. When water is exposed to air, liquid molecules turn into vapor and rise up to form clouds where they are accumulated until such time that they are released back to earth as rain.

(中略)

Summary:

1. Vaporization is a transitional phase of an element or compound from a solid phase or liquid phase to a gas phase while evaporation is a type of vaporization wherein the transition from a liquid phase to a gas phase takes place below the boiling temperature at a given pressure, and it occurs on the surface.

2. Vaporization changes the phase or state of matter from a solid or liquid to a gas while evaporation changes the liquid state of matter into a gas.

3. Vaporization can occur with boiling, sublimation, or evaporation while evaporation can happen with the right amount of heat, humidity, and air movement.



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2014年01月07日

思慮ある問いはいわば知識の半分なり


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標題は Francis Bacon の言です。


A prudent question is, as it were, one half of wisdom.


ということですね。


prudens interrogatio quasi dimidium sapientiae.


がその原文です。

先日、渡部昇一先生より教わりました。


(追記)

ラテン語の原文は田中秀央・落合太郎 編著『ギリシャ・ラテン引用語辞典〔新増補版〕』(岩波書店、1963年、p.598)より引きました。


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2013年08月28日

日本人のための英文法、という視点


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以前、記事でも取り上げましたが、

Google Scholar は無料で使える論文検索データベースです。

今日、このサービスの検索窓に“江川泰一郎”と打ち込みまして、

「英文法今昔」と題する講演録の存在を知りました。

こちらをクリック。)

1995年5月20日に東京は拓殖大学で開かれた日本英語教育史学会第11回全国大会における

江川泰一郎先生(東京学芸大学名誉教授)による記念講演を抄録したもので、

『日本英語教育史研究』(Vol. 11(1996), pp.81-92)に掲載されたものです。

なかでも、次の箇所に関心を引かれました。


このように、デクラークの文法と僕の文法は、これ以外でもほとんど同じだと思う記述が何カ所もあるんですね。これはデクラークもベルギー人ですから英語は母国語ではない、僕ももちろん英語は母国語ではない。そこで、疑問に思う点は共通しているのではないかと思います。だから私は、「日本人のための英文法」ということをよく考えるんです。やはり何を疑問とするかということです、そしてこういう点はもっと説明がほしいんだと言う所は母国語の文法書からはなかなか出てこないんですが、たまたま出てくることもあってうれしくなります。昔の人が良いことを言っているのが随分あるのに、今までそれに気づいていないのはおかしいなと思い、僕の本にも髄所に載せたわけです。しかしむしろ、母国語の文法書ではちょっとしか書いてないのが普通なんで(中略)そのちょっとしか書いてないところをこちらは広げていって、そしてこういうなんだと説明する必要があろうと、そういう事が私の仕事だと思って今までやってきました(後略)(p.92)


外国人(日本人)だからこそ抱く疑問から出発し、温故知新の精神で国内外の文献の渉猟を行う。

これは私たちが英文法の指導に臨むにあたり意識するべき姿勢だと強く感じています。


posted by 石崎 陽一 at 14:02 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2013年04月20日

「時間」に関するアボリジニの考え方


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青山晴美『もっと知りたいアボリジニ−アボリジニ学への招待』(明石書店、2001年、p.93)より備忘のため書き留めておきます。


アボリジニの考え方では、時間は線ではなくてサークルだ。歴史はくるくる回る環の中で、すでに確立された一定のパターンの繰り返しとして理解される。祖先ははるか遠い昔に、完璧なる世界と人間が最も幸福に暮らしていける状況をつくり出した。だから、子孫の役割は祖先のつくり出した世界を忠実に次世代に伝えるだけだと考える。

伝統的なアボリジニの考え方には、過去、現在、未来の区別はない。過去は過去だけにとどまらない。儀式はある意味では、ドリームタイムの時代を現在によみがえらせるためのものである。創造の過程が再び現在にやってくる。例えば、水不足で困った時に、かつてドリーミングの中で祖先が雨を降らせた話にまつわる儀式をすると雨が降ってくる。



(追記)

関連記事(「時制について」)はこちらをクリック


posted by 石崎 陽一 at 13:03 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2012年10月16日

外山滋比古先生の肉筆原稿

Vol.8_渾然一体―言霊のさきはふ国―.pdf
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振り返りますと、外山先生のご著作との出会いは大学入試においてでした。

上智大学外国語学部の国語の問題が、『修辞的残像』を素材に出題されていたのですね。

試験ということを忘れてただただ読み耽る。


外国語を読む場合には、誤解を恐れる気持がなかなか消えない。


で始まり、


繰返して言えば、言語における単純誤解は除かれるべきものである。しかし、誤解をすべて一概に否定してしまう考えには、いま一つ反省は必要である。人間精神の深層に根ざし、理解をも支えている心的要素によって起る誤解に対しては、新しい態度をもって臨まなければならないであろう。


で終わるこの一節(pp.90-7)に強く惹かれた私は、

当時は問題冊子を持ちかえることが許されていなかった関係もあり、

問題の末尾に示された出典を心に刻み、

入試の後、早速、四ッ谷から神保町は古本屋街へと繰り出し、小宮山書店にて『修辞的残像』(みすず書房、1968年)を1,400円で購入したのでした。

「伝達のグラマー」と題するこの一節との出会いがどれほど印象的だったかは、20年(!)を経た今でもこの経緯を鮮明に覚えていることからもわかります。

それ以来、先生のご本は専門書や文庫本、対談集も含め、恐らくほぼすべて所有し、精読・味読しています。

(いちばんのお気に入りは『赤い風船』(福武文庫、1986年)ですかね。)

石崎はこの名エッセイストに大きな影響を受けまして、勧めておられる著者の著作を手当たり次第に購入しては読破していったほどです。

文体にも感化をされました。

先生の肉筆原稿は、いまアルクさんのグループ会社で翻訳を手がけるトランネットさんのホームページにおいて PDF 形式で閲覧・入手することができます。(こちらをクリック。)

この週末は、こちらのHPからダウンロードさせていただいた肉筆原稿をお手本に、模写で原稿用紙の升目を埋め、息吹を肌で感じようと考えています。


Vol.01 訳せぬ「であろう」?
Vol.02「私」の問題
Vol.03 段落とパラグラフ
Vol.04 △ と ▽
Vol.05 象は鼻が長い
Vol.06 敬語の妙
Vol.07 言文不一致
Vol.08 渾然一体 ― 言霊のさきはふ国 ―
Vol.09 あいまいの美学
Vol.10「文法がない」?
Vol.11 アイランド・フォーム ― 以心伝心



posted by 石崎 陽一 at 21:39 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2012年07月29日

「代価」と「対価」


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ネイティブスピーカーと相互添削で語学学習が進められる Lang-8 というサイトで、「代価」と「対価」の使い分けについて尋ねられました。


読者の皆さまはどう答えますでしょうか?


私は説明に大変悩みましたが、最近愛読している『日本語 語感の辞典』(岩波書店、2010年)によりますと

「代価」は

「品物の値段をさし、改まった会話や文章に用いられる堅い」語で、

「対価」は

「財産や労力を与えた見返りとして受け取る金額をさし、
 改まった会話や文章に用いられる専門的な」語とあります。

なお、

「代価」は

「あるものを手に入れるためにやむをえず犠牲にするもの」の
 意味にも用いられる、とも書かれています。

用例も抜き出しておきますね。

 貴重な代価を支払って手に入れる

 対価として妥当な金額



posted by 石崎 陽一 at 19:34 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2012年07月28日

前置詞で始まる関係詞節は意外な内容を提示する


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千葉大学・久保田正人先生が運営されている英語質問箱というサイトがあります。

その質疑応答の中で興味を引かれたやりとりを備忘のため書き留めさせていただきます。


:質問「前置詞+関係代名詞」へのご回答で、「前置詞で始まる関係詞節は、意外な内容を提示するときに用いられる形式です」とお答えになっています。どうして関係代名詞の前に前置詞が付くとそのような意味になるのでしょうか。


:この構文の意味を最初に指摘したのは Bolinger (1974) "On the passive in English," LACUS 1974. だと思います。関係代名詞に that を用いる場合(既知の内容を導く)と、wh 語を用いる場合(未知の内容を導いたり、忘れかけている聞き手の記憶を呼び起こす)との意味のちがいをふまえて、前置詞付きの関係詞節構文では、関係代名詞は必ず wh 語をとり、that はとらないという事実から、そのような関係詞節構文は聞き手にとって意外な内容を表すとしています。以下は「ルルドの泉」に関する文章です。

In the year 1858 the Blessed Mother, Mary, appeared to a 14 year old girl, Bernardette, near Lourdes in France in the grotto of Massabide. At Mary's request, she scooped a hole in the ground, from which a spring of water began to flow. Since then, countless miracles have occurred there.

from whichの部分に、「すると、そこから、・・・」といった驚きの感じがよく出ているでしょう。



(追記)

大修館書店『英語教育』2009年9月号(p.57)所収、渡部昇一「アングロサクソン文明落穂集[440]きまぐれ文法論に御用心」より関連記事を引いておきます。


桂冠詩人の John Driden が1672年に書いた随筆の中で、文の末尾に前置詞がくるのは「あまり優雅な言い方でない(a less than elegant phrasing)」と言ったために、その影響は今でも残っているそうだ。関係代名詞の前に前置詞を置く書き方(at which など)はその名残らしい。



posted by 石崎 陽一 at 17:04 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

Œconomy に見られる合字(連字)Œ について


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18世紀イギリスの日刊新聞 The Spectator の創刊号(1711年3月1日(木)付)を読んでいます。

Addison が The Spectator Club 同人を代表して新聞発行の趣意を述べ、兼ねて自己紹介をしている箇所です。Batchelor, publick, smoak, Artizan など当時の書字法の実態が伺い知れて興味深いのですが、


I am very well versed in the Theory of an Husband, or a Father, and can discern the Errors in the Œconomy, Business, and Diversion of others, better than those who are engaged in them;....(施線は現筆者による。)


この一節中の Œconomy に見られる合字(連字)Œ について、大塚高信編『英語慣用法辞典』(三省堂、1961年、pp.651-2)の‘Ligature’の項より備忘のため引いておきます。

(なお、Ligature は double letter とも言い、2字以上を1本に鋳造した活字のことです。)


æ, œ(Æ, Œ)は一般的には二重母音の1種と考えられているが、その発音[OE ではそれぞれ a と e の中間音、ó の i-umlaut, ModE では[iː];[iː](または[e])]からいって二重母音ではなくて短母音である。この æ, œ は発音も同じであり、あるタイプの活字では相互に非常に似ていて植字工がよく混同する。そこで、⑴普通の語で綴りが二重字と単一の e との間を動揺しているものは、e と綴ったほうがよい:phenomenon, pedagogy, medieval[英国よりも米国にこの傾向が強い]。⑵まだ⑴の段階に達していないか、あるいは何かの理由でその段階に達しえない語については、æ, œ よりも ae, oe を選ぶ:Caesar, Oedipus.


(追記)

慶應大学の堀田隆一先生が運営されている「hellog〜英語史ブログ」は日頃から多くを学ばせていただいているウェブサイトです。

以下の関連記事も勉強になります。

ギリシア・ラテン借用語における

ギリシア・ラテン借用語における

digraph の問題(1)

digraph の問題(2)



posted by 石崎 陽一 at 07:19 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2012年05月05日

トム・ガリー氏の作物


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東京大学大学院は理学系研究科・理学部のサイトが面白い。

「科学英語を考える」というページを担当されているトム・ガリー氏は翻訳家・辞書編集者。

web英語青年でも“interesting and instructive”なエッセイを書かれていて、私はファンの一人です。


(追記)

「科学英語を考える−理学部ニュース」のサイトはこちら

「英語青年ブログ」はこちら


posted by 石崎 陽一 at 09:09 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2012年05月04日

「久々」と「久しぶり」


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ネイティブスピーカーと相互添削で語学学習が進められるLang-8というサイトで、「久々」と「久しぶり」の使い分けについて尋ねられました。


読者の皆さまはどう答えますでしょうか?




私は説明に大変悩みましたが、最近愛読している『日本語 語感の辞典』(岩波書店、2010年)によりますと

「久しぶり」は

前回から長い時間を経て同様のことが繰り返される場合に、
それを懐かしく思いながら、
くだけた会話から硬い文章まで幅広く使われる


一方、「久々」は

ほんとに久しぶりという意味で、
会話にも文章にも使われる


とあります。

さらに、「久々」には

「久しぶり」をさらに強調した感じがあり、
少々の期間のあとでは使いにくい雰囲気


がある、と書かれていました。

用例も書き抜いておきます。

久しぶりに出かける
久しぶりに会に顔を出す
久しぶりに会って旧交を温める
久しぶりの青空がのぞく
 
久々に作品を発表する
久々のいい天気
久々の対面


う〜む。

特に、「久々」には

「久しぶり」をさらに強調した感じがあり、
少々の期間のあとでは使いにくい雰囲気


がある、という説明には唸ってしまいました。

このように、Lang-8では毎回、日本語を見つめ直すいい機会をいただいています。


(追記)

ちなみに、和英辞典で「久々」を引きますと「久しぶり」を参照するように誘導されてしまいます。

また、同じく愛読する『新明解国語辞典』第6版(三省堂、2005年)でも「久々」を引くと「久しぶり」と出ています。


posted by 石崎 陽一 at 18:45 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2012年01月04日

シーボルトかジーボルトか


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澄むか濁るかについて調べていて、興味深い指摘に出会いました。

「日本醫事新報」(3011号、p.122)という雑誌に掲載された、
岡島光治先生(現・藤田保健衛生大学名誉教授)の随想です。

以下に転載させていただきます。


Sieboldは百何十年前かに長崎へ来、本格的な西洋医学をわが国へはじめてもたらした、日本の医学の大先輩である。同時に帰国後、わが国の文物を欧州へ紹介した大人文学者でもある。(中略)ドイツ語の教科書に従えば濁るのが本当であるが、Sieboldに関しては濁らない書き方がしてある書物が多い。

勤務先の大先輩・斉藤信教授(ドイツ語担当、米子医専や名古屋市大の教授を歴任)は、Sieboldの研究で高名であるので、ある時、「濁る」か「濁らない」かを伺ってみた。即座に教示があり、彼はオランダ東インド会社から派遣された医官であるが生地はドイツ南部のビュルツブルグ。その地方の方言的発音として、彼自身は濁らずに名乗っていた(より厳密には「スィーボルト」)。その証拠がいくつも残っている由。そう言えば、電機会社のSiemensも、戦前に本社がベルリンであった頃は、「ジーメンス」と濁っていたようであるが、戦後、ミュンヘン(南独バイエルン州の首府)に本拠地が移ってからは、ドイツ人が「シーメンス」と濁らずに発音している。



(追記)

ちなみに、「日本醫事新報」はたいていの病院がとっている、
いわばお医者さんの業界誌だそうです。


posted by 石崎 陽一 at 21:20 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

「時制」について


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岡道男『ぶどう酒色の海 西洋古典小論集』(岩波書店、2005年、pp.34-36)より引用します。


英語とラテン語の時制は、時を一本の直線として考えるとよく理解できる。(中略)その背景には、時を直線としてとらえる考えがうかがえるのである。


う〜ん。たしかに、私は英語の完了形の概念を教える際、右方向に矢印の向いた直線を活用してきましたが説明によく馴染むわけです。


これにたいし、ギリシャ人は時を永遠にめぐる環(kyklos, 英cycle)とみなした。(中略)またギリシャ人は、過去は「前方」にあるが、未来は「後方」にあると考えていた。この事実はかれらが未来よりも過去にたいしてより大きな関心を持っていたことを示す(後略)


む。したがって、ギリシャ語ではもともと未来は願望や意志などを表す表現によって示されていたのですね。


そして岡氏は筆を進めて、


このように自分の前方に過去を眺め、後方に未来を置く人間が、現在、過去、未来を中心とした「時制」をつくり出すことは考えられない。


こう述べ、次のように指摘します。


つまりギリシャ語の動詞は時のみでなく、ひとつの動作が継続しているか、完了しているか、あるいは瞬時的であるか等を示すのである。これは文法上アスペクト(相)といわれるものであるが、このような動詞の機能は元来、現在の時点から過去を眺めるときにおいてのみ可能である。


この一節に至ったとき、私は文字通り目から鱗が何枚も落ちる気がしました。


実に面白い。


興味深い記述はさらに続きます。


他方ラテン語では「前方」は過去ではなく、未来を意味するようになる。(中略)一般にローマ人は、ギリシャ人とは対照的に、日常の生活においても、国家の建設においても、つねに未来を見つめ、将来を配慮した。それはローマ人の現実的な気質の反映でもある。


そして、こう結論づけられます。


ラテン語においてアスペクトに代わって(同時にアスペクトを利用して)整然たる時制の体系がつくり上げられたのも決して偶然ではない。


この滋味溢れる研究余滴、柳沼重剛『語学者の散歩道』(研究社出版、1991年)とならぶ愛読書になりそうです。


posted by 石崎 陽一 at 04:58 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

小発見!


めっきり寒くなりましたね。今朝久しぶりに子供たちの長袖を着せたら半袖に、ズボンは膝丈になっていて驚きの小発見^^ ; 

この夏、ずいぶんと大きくなったものです。


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『英語語源辞典(縮刷版)』(研究社、1999年)で調べ物をしていて小発見。

dentistという単語がフランス語から英語に入ってくる以前は、「歯医者」を表す単語にtooth-drawerが使われていたとのこと。

見るからに痛そうなネーミングです(>_<)

tooth-drawerが英語文献上最初に用いられたのは1387年、dentistの初出文献の年代は1759年ですが、

この間は引っこ抜くより他になかったんですかね。


あれ。


たしかにウィキペディアの歯学の項には

1500年代に砂糖の国際貿易が盛んになると同じくして、ヨーロッパの貴族においてう蝕が広まった。その当時の治療法はほぼ抜歯のみ

という記載がありました…


posted by 石崎 陽一 at 21:38 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする
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