2013年07月17日

先達と歴史に学ぶ姿勢を忘れずに


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渡部昇一『アングロ・サクソン文明落穂集3』(広瀬書院、2013年)より備忘のため書き留めておきます。


Jespersen の言ったことすべてが金科玉条というわけでないことはもちろんだが、現代英語の理解を深めるのに Jespersen 以上のものが現在の学者によって書かれているかといえば、発見するに困難を感ぜざるをえない。新しい術語のみがあって知識がない場合が多すぎるのである。(p.91)


宗教改革以後、方々の民族語(vernacular languages)が独立した。英語もその一つである。民族語にははじめのうち規範性が少なかった。エリザベス朝演劇の表現力は、規範性の欠如ということで説明しうる面がある。しかし外国人から文句が絶えなかった。「英語には規則がなく、野蛮だ」という批判が多かったのである。(中略)それで英文法書が多く書かれた。ラテン語文法に合わせたもの、つとめてそれから離れようとしたものなど、いろいろある。そして18世紀が終わる5年ぐらい前に、規範性のある英文法書が成立したのである。われわれが伝統文法として学んだものは、その延長線上にある。これによって分析的に英語を読みほぐし、文脈を追うことがやりやすくなった。(p.103)


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2013年07月13日

言語と民族のアイデンティティと、いわゆるグローバル化について



言語と民族のアイデンティティと、いわゆるグローバル化

について考える材料をいくつか集めておきます。


大学の授業を英語のみで行うことの是非(イタリアの場合).pdf

【20131216東京新聞】英語万能論はやめよう.pdf

【20140117週刊金曜日】オリンピックと英語教育−反グローバル的改革.pdf

【20160923東京新聞】学問の土着化に誇りを.pdf

● 久保田竜子 著・奥田朋世 監訳『グローバル化社会と言語教育 − クリティカルな視点から』(くろしお出版、2015年)

● 久保田竜子 著・奥田朋世 監訳『英語教育と文化・人種・ジェンダー』(くろしお出版、2015年)


(追記)

久保田竜子氏のホームページはこちら

なお、YouTube でもレクチャーのいくつかを視聴できます。


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2013年06月18日

宅配便の方の丁寧な応対


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先日、「夜分遅くなりましたが、お届け物です」というので、すぐ玄関に出ました。

宅配便の三十代ぐらいの男性が「印鑑をください」と言うので渡しますと、

「大切なものをお預かりいたします」

と丁寧な言葉をいただきました。

今まで荷物の受け取りを何回も経験していますが、これほど丁寧に言われたのは初めてでしたので、

心のこもった言葉に驚き、さわやかな気分になりました。

忙しくても人を思いやる気持を忘れずに私も接していきたい。

本当にありがとうございました。

今度、荷物を送る機会があれば、ぜひその方が勤めている会社にお願いしたいと思います。

ただ、そのときの出来事は一瞬でしたので、その方の名札を見ることができなかったため、

名前がわからないのが残念でなりませんでした。


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2013年06月15日

人を育てるには自分の全人格を相手にぶっつけなくてはならない。


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「一編集者が見た小西友七先生」と題する記事を読みました。

中嶋孝雄氏によるものです。

淡々とした筆致から、小西友七先生のお人柄がひしひしと伝わってきます。


小西先生は弟子の成長を楽しみにしておられた。大学の講義のあと、学生たちとお茶しながら、語り合い討論しあうのが楽しいとよくいっておられた。先生は出講されていた遠くの学校でも学生の質問に丁寧に答えて、気がつくと日は暮れていたということもしばしばであったと聞く。人を育てるという点で優れた先生であった。人を育てるには自分の全人格を相手にぶっつけなくてはならない。先生は偉ぶるところがなかった。数段上の人という印象を与えなかった。すぐ隣の人のように思えた。だから学生は思うことをストレートに、なんの壁も感じずに話すことができ、先生のお人柄に包まれながらさまざまなことを吸収していくことができたのだと思う。


全文は以下をクリック。

一編集者が見た小西友七先生(1).pdf

一編集者が見た小西友七先生(2).pdf


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2013年04月03日

自らの学びに対する責任を自覚させる


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責任の度合い、責任の範囲がこちら[=アメリカ]と日本では違うということに気づいた。


で始まるこちらのブログ記事に目が止まりました。

この記事はサービス業における事例を挙げたのち


日本のいたれりつくせりのサービスは客を甘やかし、アメリカの雑なサービスは客をしっかりさせる。


と続くのですが、

「いたれりつくせりは人を甘やかし、雑さは人をしっかりさせる」

という命題は、学習指導においても真であると感じ入り、気持ちを引き締めた次第。

教えすぎないように、適度に不親切に。

学習する側の、自らの学びに対する責任を自覚させることが肝要ですよね。

もっとも、学習者の発達段階(指導の時期)によるのでしょうけれど。


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狭い路地で、すれ違いざまにお互いが傘をよけあう。そんな「傘倒し」の文化にも代表されるように、日本人はささやかな所作を通じて、他者へぬくもりを伝えてきました。

Re: 社会部 新年の誓い
2009年1月3日付産経新聞



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2013年03月28日

細江逸記『英文法汎論』の源流


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『日本の英学100年 大正編』(研究社、1968年)所収、大塚高信「英文法」(pp.212-4)より備忘のため書き留めておきます。


著者は明治三十九年東京外国語学校を卒業した。英文法の科学的研究の重要性に目ざめた著者は、偶然スウィートの New English Grammar に出会い、“This book it was that first set me in the right direction which I have been following these ten years”と序文の中でいっている。(中略)おそらくスウィートを熱心に読んだ人としては、わが国では最初の数人のひとりであろう。著者の会心の説の一つである Mood 論で、直説法を「叙実法」、仮定法を「叙想法」と呼ぶにいたった動機は、思うにスウィートの Fact-mood, Thought-mood に暗示を受けたものと私は推察する。

もう一つ(中略)スウィートの影響と思われる点は「語の配置法」であろうと思う。英文法で重要な位置を占める配語法は、従来の伝統文法が、配語法の重要でないラテン語を範としたため、あまり重視されなかった。スウィートは Syntax の巻の冒頭に‘Word-order’を掲げてその重要性を強調している。これなども、細江博士に強く訴えるところがあったのではないかと思う。

スウィートのことは著者みずから言及しているが、私はスウィートもさることながら、『汎論』の組織や内容において、スウィートよりも遙かに多く影響を与えているのはアニアンズの Advanced English Syntax ではないかと思う。このアニアンズの本の初版は明治三十七年に出版されているのだから、著者が外国語学校の学生であったとき、すでに読んでいたのではないかと思う。

叙想法の相当句として“may(might, shall, should)+動詞”を「仮装叙想法」と著者が命名したのは、アニアンズの The Subjunctive has, however, been disguised, except in certain forms, in consequence of the “levelling” under identical forms of corresponding tenses of the Indicative and Subjunctive. に暗示されたのではないと否定することはできないだろう。

もう一つ、アニアンズは Predicate の形式として五つの形式をあげているが、これが『汎論』の第一公式の文から第五公式の文の原型でないといったら、あまりにも偶然な一致といわなければならぬ。ただし、このいわゆる「五文型」が、自来わが国の英語界で、圧倒的支持をうけてきたのは、アニアンズの影響というよりも、細江博士の『汎論』によるといった方が正しいように思う。さらに、『汎論』によって一般化された術語は「相当語句」(Equivalent)であろう。もっとも、この Equivalent という術語はアニアンズ専用のものではなく、イギリスの文法用語選定の委員会で決めたもので、ソンネンシャイン(Edward A. Sonnenschein)なども使っているけれども、わが国で一般化したのはアニアンズ−細江の線によっていると私は見たい。



(追記1)

なお、次の小論は、五文型の祖をアニアンズとする、如上の定説を覆す実証的研究です。推理小説を読むような面白さがあります。(次のリンクをクリック。)

5文型の源流を辿る C. T. Onions, An Advanced English Syntax(1904)を越えて.pdf


(追記2)

R.Huddleston and G.K.Pullum, The Cambridge Grammar of the English Language(Cambridge:Cambridge University Press, 2002, p.218)は five canonical constructions という名称で5文型と同じものを記述しています。


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2013年03月06日

イノベーションを破壊する言葉


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東京大学 i.school におけるロジャー・マーティン氏の講演内容の一部を、あるブログ記事より書き留めておきます。


必ず成功するということは、証明できません。新しいアイデアが実行前に成功することは、誰も予測できないのです。やってみないとわからない。組織で新しいアイデアを出すと、「証明しろ」と言われます。そして実現しない。

できないんですよ、証明なんて。新しくないアイデアなら話は通ります。でもそれは古いアイデアです。このことが、会社でイノベーションをつぶしているのです。管理者は、正しい質問をした気になっている。これは良い管理意識だ。でも、正しくない。

(中略)

今の企業にそれができるのか。証明しないとだめ、「実証せよ」と。これは危険な言葉です。イノベーションを破壊する言葉です。仮説的な論理があれば、アイデアを出した人に恥をかかせてはいけません。事前に証明できることなんか、新しいアイデアじゃない。

でも結果を出さないといけません。新しいアイデアを通す時には、判断が必要です。いろんな試みをすることで、イノベーションを起こすしかない。分析はいつも過去を分析して将来を予想しています。まだ起きていないことは、分析できないのです。



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教師の心得


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教師の心得について、あるブログ記事から書き留めておきます。


1.君が教えようとしていることは、「とても大切でとても面白い」ことを決して忘れないようにしなさい。また、それを学生に伝えることも忘れてはいけない。

2.君は、君のクラスにいる学生よりも賢いわけではない。学生よりも「いいひと」なわけでもない。君は、たまたま学生がまだ持ち合わせていない情報をいくらか知っているだけだ。そして学生たちは、君がまだ知らない情報を山ほど知っている。

3.教師として、君は情報を売ろうとしている。あらゆるセールスマンと同じように、君は客の興味を引きつけ、保たなければいけない。さもなくば売れる見込みなどない。役に立つことなら何であろうと利用しなさい。声、ジェスチャー、黒板、ハンドアウト、パワーポイント、漫画、アナロジー、メタファー、何でも、だ。あらゆる手段を尽くして、何とかして学生と繋がりなさい。

4.学生たちはよい授業を受けるために大金を払っている。よい授業を彼らに与えるのは君の義務だ。授業の日、君は疲れているかもしれない。何かに腹が立っているかもしれない。気がかりなことがあるかもしれない。しかし、君のクラスの誰一人として、それに気付いてはならない。君が頭が痛いからとひどい授業をやったとしても、彼らが授業料の払い戻しを受けることはないのだ。

5.自分に合ったスタイルを築きあげなさい。他の先生に合っているスタイルが君に合うとは限らない。

6.学生にとって近付きやすい存在でありなさい。物理的にも、精神的にも。学生の名前を覚え、名指しなさい。教室には授業開始数分前に着き、授業終了後もしばらくそこに留まりなさい。その数分間に雑談することは、しばしば学生の理解のターニングポイントになる。

7.しかし決して授業を延長してはいけない。特に学部の授業では、チャイムが鳴った後に君が話す内容は、全く存在しないのと同じである−君がどれだけ完璧に話したとしても。

8.どんなことであっても、それをまだ知らない者にとっては難しい。これを繰り返し思い出しなさい。君は既に何かを知ってしまっているから、それが簡単に思えるのだ。

9.「無知」と「愚かさ」は決して混同してはいけない。何があっても。

10.もし学生が理解できないのであれば、それは学生のせいではない。これは当たり前に思えるが、驚くほど忘れ去られやすい。

11.昔、自分の師匠に「悪い学生はいない、いるのは悪い教師だけだ」と聞かされたことがある。多分これは完全に真実ではないのだろうが、しかし間違いよりは真実にずっと近い。そして、君は自分の授業において、これが真実であると心底信じているかのように行動しなければならない。



殊に 10 に関しては、私自身、駆け出しの監督の頃、男子バレーの強豪校の監督の先生から頂戴した次の言葉が脳裏をよぎりました。


「いいかい石崎くん、試合に勝ったら選手の力、負けたら監督の責任、と思っていたら、大きな間違いはないよ」


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2013年01月01日

全体のパースペクティブをもって専門に打ち込むことの重要性


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関口存男『中級講話 趣味のドイツ語』(三修社、1985年、第15版、p.350)より備忘のため書き留めておきます。(漢字は新字体に、仮名は現代仮名遣いに改めてあります。)


人世の事というものは、何が何とどう関係しているか、そう簡単には云えません。凡ての部門が凡ての部門と凡ての関係に立っている。深く一事に徹底せんがためには、深く一事に徹底してはならないのです。すべての範囲を抱擁せんがためには、凡ての範囲を抱擁してはならないのです。幅を広く取らんがためには、まず一ヶ所を深く穿つことが必要です。一ヶ所を深く穿たんがためには、できるだけ幅を取ることが必要です。如何となれば、幅は幅に非ずして、奥行きの一種だからです。奥行きも実は奥行きに非ずして、単に幅の一種にすぎないからです。如何となれば、問題は面積の大を狙うにあるのですから、幅と奥行には、別に幅としての絶対価値、奥行としての絶対価値というものはない筈です。

まるで禅坊主の寝言みたいな事になってしまいましたが、単なる一語学者としての私の、此の『半生観』は、おそらくは脳力を資本にして仕事をする有らゆる専門に共通な修身ではないかと思います。

(中略)

今回のお話と関連して、私の Philolog としての座右の銘を御紹介します。文豪 Schiller の言で、ドイツ語は少しむつかしいが まあ研究してください。それは:

Wer etwas Großes leisten will, muß tief eindringen, scharf unterscheiden, vielseitig verbinden, und standhaft beharren.

訳して曰く:大事を遂げんとする者は、徹するに深く、弁ずるに鋭く、猟するに広く、持するに剛なるを要す。



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関心と欲が決定的要素


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関口存男『中級講話 趣味のドイツ語』(三修社、1985年、第15版、pp.346-8)より備忘のため書き留めておきます。(漢字は新字体に、仮名は現代仮名遣いに改めてあります。)


語学語学と云っても、語学という奴は、深く人生の『事柄』と関係しています。卑近な例を取るならば、単語一つ覚えるにしても、自分の頭に関心のない事は、覚えることができません。(中略)要するに単語の暗記ということは、普通人の考えているような、単なる「暗記力」の問題ではありません。「頭が好い悪い」の問題ではありません。その人間が人生諸般の現象に対してどれだけ深く、どの方面にどれだけ強く関心を持っているかによって「暗記力」がきまって来るのです。(中略)単語の暗記(従って文章、句などの理解)は、たとえて云えば人の顔や名前をおぼえるようなものです。自分に何の関係もない、痛くも痒くもない人名を二十も三十も並べてそれを全部おぼえろと云われたって、それは一時間みつめて居たっておぼえられるものではありません。

(前略)それに反して、既に関心が生じている所においては、人名は何の努力もせず、しかも何人でもおぼえる事ができます。(後略)

(前略)此処に『暗記力』という現象の心理的根拠があるので、その法則を一言に要約するならば『すでに自分の関心が潜在的に耕やされつつある方向に関係した単語は、待っていましたとばかり頭にこびりつくが、まだ自分の関心範囲にその該当物のない単語は、どんなに努力しても、どんなに頭の好い人間でも、たとえば胃袋と食物との関係のように這入る量は高がきまっており、また一度這入ってもすぐ忘れてしまうものだ』−こう云えましょう。



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暗記について


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関口存男『中級講話 趣味のドイツ語』(三修社、1985年、第15版)より備忘のため書き留めておきます。(漢字は新字体に、仮名は現代仮名遣いに改めてあります。)


濫読というと言葉がわるいから「流読」とでも申しましょうか。Statarische Lektüre(精読、熟読)に対する Kursorische Lektüre(走読、流読、通読)です(英語でも cursory reading ということを云います)。(p.333)


流読をやっている最中、「これはよく意味がわかる!」という文に遭遇すると、わたしはすぐ本から目を上げて、その文章を(たとえ二行でも三行でも)ソラで云ってみます。つまったら、カンニングをするようにチョット本を見て、何とかしてそれをおぼえてしまうのです。

おしまいには、どんな文でも、二行三行くらいまでは、それを一度読んだきりですぐソラで云えるようになりました(三四年つづけているとです)。しかも、一つの文をいつまでも暗記しているのではなく、どんどん忘れてもいいのですが、とにかく文をよめばすぐそれがソラで云えるように、毎日毎日練習しました。もちろん、あんまり面白いことではないから、半時間と根気がつづきません。たいてい十五分か二十分ぐらいでウンザリしました。しかしそれをとにかく毎日一回や二回は必ずやりました。

そうすると、いろいろと妙なことがおこってきます。たとえば、或る頁のおしまいまできて、まだ文が終らないで次の頁につづいている時などは、すぐ頁を開けないで次の頁の最初の単語が何であるかを、十中八九までは云いあてられるようになります。最初の一語だけではない、時とすると四五語も、自分の想像する通りになって行くことを発見したりなどします。こうなるとモウ進歩しているのです。(しかも変なことには、大して意味のとれない、知らない単語だらけの文章すら、そういう風にして先きを言いあてることができるようになるのです。変ですが、実際そうなるのです)。
(pp.336-7)


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人を教えるとは刺激することである


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関口存男『中級講話 趣味のドイツ語』(三修社、1985年、第15版、p.2)より備忘のため書き留めておきます。


けれども、試みに大所高所に立つて事を考えてみるならば、(中略)ドイツ語を半年やつた人と五年やつた人とを一堂に集めて講習するということは、そんなに頗る甚だ非常に絶對に不可能な暴擧でしようか?

私はこう思います:人をヘえるというのは、人を「刺戟」することである、と。大してヘえるところがなくてもよい、「刺戟」さえすればよいのだ、−これが私の信念です。刺戟さえすれば大抵の人は後は自分でやつて行きます。後を自分でやつて行かないような人なら、ヘえたつてどうせやつて行きはしないでしょう。



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2012年12月23日

医療および医師の比喩


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内科医の方が運営されているブログ「転がるイシあたま」の2012年12月14日付記事より、備忘のため書き留めておきます。


医者は「現実」を重視します。「患者の現実」から診断を導き出しますが「医療の現実」が治療の限界を規定します。限られた時間と有限の資源の中で常に正しい診断が得られるわけではありませんし、たとえ正しい診断がついてもすべての疾病が100%治るわけではない、というのも悲しい現実です。人は必ずいつかは死ぬという厳しい「現実」もあります。「万能薬」「どんな病気でも治る技術」などの「理想」を持ち出してそういった「現実」を簡単に否定することはできません。

だけど、「理想」も重視する必要があります。「患者の未来」「自分の職業像」「社会の中での医学のあり方」などについて何の理想も持たない医師は、職業選択を失敗している、と私は考えています。ですから、医者はベースは理想主義者でそれが現実によってワクをはめられている、と考えたらよいのか、あるいは、ベースは現実主義者でそれが理想という翼で羽ばたこうと努力している、ということなのかもしれません。



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2012年12月20日

猫まっしぐら





何回見てもほのぼのします^^


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2012年12月08日

単調な「多忙」を破れ


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田中菊雄『知的人生に贈る』(知的生きかた文庫、1985年、p.200-1)より備忘のため書き留めておきます。


同じことを五回、六回教えることなどはなんの苦もないことである。苦しいと思うのはまだ人生の修行が足らぬからだ。(中略)同じことを繰り返すようだが、全然同一ということはない。多少の変化がそこに起こってくる。対象にも自分の技術にも。ここに自然の妙味があって、ひとたび悟りの眼が開けた時、多くの興味を一見単調と思われる仕事の中に見出すことができるのだ。


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地に足をつけて考えるきっかけに


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外山滋比古『ライフワークの思想』(旺文社文庫、1983年、pp.152-3)より備忘のため書き留めておきます。


調子に乗った実業界は、学校はもっと役に立つことをやれ、と宣告した。まっさきに槍玉に上がったのが、英語教育。(中略)学校を出たらすぐ使いものになる学生をつくれ、というわけだ。

虫のいい考えである。役に立たなかったら、会社へ入れてから訓練するのが筋であろう。そんな手間はかけていられない。われわれの税金でやっている学校教育だ。もっとわれわれの都合を考えてくれてもいい、というのだろう。

公私を混同した教育観だが、ほとんど批判を受けることなく天下を風靡した。(後略)

自分のプライベートな利益のために、パブリックなものを利用しようとする考えは、いついかなるときも、卑劣である。



(追記)

ご訪問ありがとうございます。この間、定期考査の作問やら採点やらを進めたり、クラスの生徒の個人面談に応じたり、教科「奉仕」の授業の一環に国会議事堂前庭(憲政記念館横)での落ち葉掃除に生徒を引率したり、中3生および保護者のための進学相談会で応談したり、大童でした。あとは成績処理や個人面談を行いつつ、25日まで彼らを授業でしっかり鍛えたいと思います。


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2012年11月24日

いま、どうするか。これからどうするか。


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俳優の堤真一さんが昨晩、鶴瓶さんの番組で次のような趣旨のことを語っていらしたのが印象的でした。


鶴瓶:ボルテージが上がってとてもいい芝居ができたらそれは忘れること。それに引きずられてしまうから。

:もう過去のことだと思わなければいけない。

鶴瓶:そう。失敗だけでなく、うまくいったことも忘れること。

:結局、昨日がうまくいったから、昨日と同じことをやろうと思い、やり出した瞬間に、意識は過去にいってしまっている。昨日を向いてしまっている。舞台に関しては、良かろうが悪かろうが、忘れて次に臨まないと。


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2012年11月19日

私たちの仕事


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靜哲人先生のブログ記事にリンクを貼らせていただきます。

その内容に、激しく同意しました。

命がけの愛情(2011年11月15日付)

「命がけの愛情」の出典(2011年11月20日付)

2012年一のアカン発言(2012年11月16日付)

同じ文法でも軽重がある(2012年11月18日付)


(追記)

1989年度語研大会における先生の公開授業を録画で拝見しました。

大妻多摩高等学校2年生に対する interaction の授業です。


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2012年11月10日

ふね


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CROWN PLUS(level 3)の Lesson 2 は the Mary Celeste (メアリー・セレステ号)にまつわる話です。


Our vessel is in beautiful trim and I hope we shall have a fine passage.


におけるように、vessel や trim などのような海事用語が出てきます。

よって、佐波宣平『海の英語 イギリス海事用語根源』(研究社、1971年)を時折参照しているのですが、vessel の項に興味深い指摘を見つけました。

備忘のため書き留めておきます。


英語の vase(水瓶、花瓶)、vat(大桶)と語源を等しうして、ラテン語 vas に由来し、もと、容器の意であるが、私の考証によると、同じ容器でも液体に関係のある容器にしばしばこの vessel が用いられる。たとえば、vessel(脈管)、blood vessel(血管)、capillary vessel(毛細管)など。この点、日本語の「フネ」が古くから液体に関係のある容器に用いられるのと似ている。酒槽(さかぶね)、湯槽(ゆぶね)など。(p.447)


(追記1)

英語では船を表す語を she という人称代名詞で受けることがあります。

That's a lovely ship. What is she called?
(あれはきれいな船ですね。何という名前ですか)


ラテン語やフランス語では船を表す語は女性名詞であることから、これはラテン語やフランス語の影響の名残とも言われますが、

日本語の女性名に「フネ」が見られることを思い合わせて面白いなぁと思った記憶があります。

(追記2)

岩崎民平『岩崎民平文集』(研究社、1985年、pp.260-3)に「佐波先生のこと」という題名の小エッセイが掲載されています。


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2012年10月14日

巨人の肩に乗った巨人


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今年のノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大学教授の山中伸弥さんが、先日、NHK「クローズアップ現代」に出演され、インタビューに答えておられました。

私の特に印象に残ったのは、以下のやりとりです。


国谷:ノーベル賞の選考というのは、大変慎重に行われるというふうに言われてきたんですけれども、この6年でスピード受賞がされた。ご自身でこれほど早く受賞が決まったというのは、なぜだと思われますか?

山中:これはひとえにジョン・ガードン先生のおかげです。ジョン・ガードン先生から見ると、6年ではなくて、50年なんですね。50年前に示された細胞の初期化という現象を、iPS細胞の技術で、より簡単に再現できるようになったと、そのことによって、ジョン・ガードン先生の50年前の仕事が正当に評価されて、今回、受賞になりましたので、私たちは、私はそこに、言ってみたら、便乗させていただいて、受賞させていただいたようなものですが、これから、次のステップですね、これを臨床に持っていくと、そこはやはり私や、今、研究を行っている若い人たちの義務でありますので、そこをしっかり、牽引役として引っ張っていきたいというふうに思っています。



これを聞いて、私は即座にニュートンの


If I have been able to see further, it was only because I stood on the shoulders of giants.


という言葉を思い出しました。

単なる謙遜ではなく、学問に真剣に取り組む人間の魅力が感じられるお答えでした。


朝日中学生ウィークリー(本日付)では、全国の子どもたちに向け、ご自身の経験を基に、失敗の大切さを訴えておられたのが印象的でした。


ジャンプしようと思うと、かがまないとだめ。思いっきりかがむことは、次にジャンプするためだということをわかってほしい。


「かがむ」とは「失敗する」ことです。


失敗は恥ずかしいことではなく、成功するために必要なこと。失敗しなければしないほど、成功は遠のいていきます。若いうちほど失敗は許されるので、(子どもたちにも)大失敗してもらいたい。


(追記1)

インタビューの内容は次のホームページから引用しました。

クローズアップ現代ノーベル賞受賞 山中伸弥さんに聞く


(追記2)

朝日中学生ウィークリー(本日付)によると、iPS細胞とは

皮膚などの細胞に遺伝子を加え、心臓や神経など体のさまざまな細胞になれる能力をもたせた細胞のこと。「induced Pluripotent Stem cell(人為的に多能性をもたせた幹細胞)」の頭文字をとっている。「i」が小文字なのは、携帯音楽プレーヤー「iPod」のように世間に広がってほしいと山中さんが願いをこめたから

とのことです。


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