2017年04月23日

井戸の深さが自信を生む


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渡部昇一『発想法 リソースフル人間のすすめ』(講談社現代新書、1981年)第5章「井戸の深さが自信を生む」より備忘のため書き留めておきます。


学者は一つでもいいから深い井戸を持てばよい。しかしそういう学者の中でも、学問の深さとともに、学識の豊かさで際立っている人がいる。(p.142)

英文学における福原麟太郎、漢文学における吉川幸次郎、内藤湖南といった人の場合は、深さとともに豊かさで際立っている例である。(中略)この人たちの発想の豊かさは、やはり、持っている井戸の数と関係があるように思われる。(p.142)

発想の泉から次から次へとアイデアを湧出させる場合には、最初の泉が、“自信” という水脈に達するまでの深さを持たなければならない。特に学者の場合は、専門については厳しい批判をしようと待ち受けている人がいっぱい居ることを予想しないわけにはいかないのだから、“自信” を持つところまで究めたものがないと、けっしてアイデアは滾々と湧いてくることなどはないのである。(p.145)

二人とも三十代にアカデミズムの文学研究のもっとも基礎的で堅固な部分において、世界的に通用する仕事をして、その後は、その “自信” によってのみ湧き出すことができるアイデアの泉をもととし、次から次へと自信のある分野を広げていった学者であり、両者に共通なのは発想の “豊かさ” である。(p.153)

吉川博士にしろ福原博士にしろ、外国文学者であるが、日本のことについても発言できるだけの発想の “井戸” をもっていたということは、見のがすことができない点である。(p.154)

豊饒な学者の代表として、漢文学の吉川幸次郎と、英文学の福原麟太郎という、東西の代表的文化圏の学者を一人ずつとりあげてみた。(p.158)

いずれも膨大な研究の積み重ねのある分野である。普通の場合は、その中の一局面に自らのエネルギーを限定して、狭く狭くと攻めて行くのが現代のアカデミズムの常道であり、常識である。そうでもしなければ、研究仲間に嗤われないような仕事はできないとみんなが考えている。(p.158)


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2016年11月12日

理不尽と我慢と目標達成と


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YOMIURI ONLINE に2016年11月05日付で掲載された

ビジネスに役立つ! 落語家に学ぶ「職場の処世術」

と題する横山信治氏(ビジネスコンサルタント、元落語家)より備忘のため書き留めておきます。


私が弟子だった当時の落語家の世界は、パワハラもコンプライアンスも全くお構いなしでした。師匠に嫌われると、稽古も付けてもらえないし、高座にも上がれない。しかも師匠は弟子を破門にする人事権まで掌握しているのです。

どれだけ叱られても、どんなに理不尽な扱いを受けても、弟子はひたすら耐えるのです。なぜそこまで我慢するかと言うと、弟子は自分の夢や目標を実現したいからです。

落語家になった限りは、誰もが「噺が上手なりたい」「多くの人を笑わせたい」「有名になりたい」などという夢や目標を持っています。ですから目標を達成するためには、弟子は少々の理不尽な要求にも我慢するしかないのです。今、真打ちで有名になっている落語家たちも、入門当時は相当我慢していたと思います。



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2016年11月08日

「聞き」「読み」「話す」「書く」 − 暗記に王道なし


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2016年08月14日

今は出来ずとも、君なら絶対に出来る


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(タチアオイの花)


このところ、保護者として、指導者として、自分自身と向き合う日々です。


心に強く残った一節を、ブログ「どの子も伸びる どの子も伸ばす」より引用させていただきます。


出来た作物を刈り取ることなど、誰にもできるし、それを教育とは呼ばない、

そうではなくて、目に見えない時にこそ、子どもの可能性を信じて、種をまき、肥料を与え続けること、

私の目指す教育の形がそこにあります。


今は出来ずとも、君なら絶対に出来る、

目に見えないときは苦しいけど、あきらめなければ、必ず夢は叶う、


夢を向かって学ぶ意味、

子どもたちが私に寄せる願いは、きっとそんなところにあるのです。



posted by 石崎 陽一 at 12:34 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2016年07月10日

Omnia probate − quod bonum est tenete の精神をもって


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日本にいて「外国語として」英語を学ぶ際、学習者の学ぶ意欲を刺激する何かが必要です。

「いいから覚えよ」

「反復と継続が大切」

とただ言うだけでは学習は長続きしません。

日頃英語を学んでいくうえで、学習者にいろいろと疑問が湧いてきます。

こうした疑問をタイミングよく解決してやることで、思わぬことがわかって

「もっと学んでみたい」

という気持ちが湧くのではないでしょうか。

そうしたきっかけを時宜に応じて提供することが英語教師の役目のひとつだと私は考えています。

そのためにも、英語に関する知識は、そんなに教える必要はないけれど、教師はうんと持っていなければならないと考えています。


常に「すべてに当たり、よきものをとる(Omnia probate − quod bonum est tenete)」の精神をもって


とは、Dwight Bolinger 氏の研究態度に対する Randolph Quirk 氏の評言です。

この精神で私も精進を続けていきたいと思っています。


(追記)

上記の評言は D.ボリンジャー 著・中右実 訳『意味と形』(こびあん書房、1981年、p.xiv)より採らせていただきました。

なお、同書は

意味と形が一対一の対応関係(one form for one meaning, and one meaning for one form)を保持することこそ、言語の自然な条件であるとする、昔ながらの原理を改めて主張するもの(p.xvi)

です。


posted by 石崎 陽一 at 19:58 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2016年02月11日

knocked it down


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今年度タッグを組んでいる外国語指導助手(ALT)が生徒に

knocked it down

というフレーズの発音の仕方について説明をする際、

黒板に

nak d daun

と音を転写していたのが印象的でした。

音脱落のさまを指摘したのち、この転写を基に生徒に練習させたところ、音連結を滑らかに発音できるようになりました。



posted by 石崎 陽一 at 12:22 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

英語と社会 − 齋藤資晴氏による講義


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齋藤資晴氏(駿台予備学校・英語科講師)によって2012年秋学期に行われた講義が上智大学の Open Course Ware にて視聴できます。

人生の軌跡と、過去から現在に至る仕事や業界の事情などが語られています。


英語と社会



posted by 石崎 陽一 at 22:10 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2015年06月14日

ヒアリング? リスニング?


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『英語教授法展望』(研究社、1959年)所収、小川芳男「諸教授法概観」(p.85)より備忘のため書き留めておきます。


Hearing が単なる聴覚器官に音声を反響させるのみの意味でない点は重要である。「聴く力」を普通 Hearing と言って Listening と言わないのもそのような理由なのである。すなわち Hearing は聞こうとする努力しなくても「聞こえる」音声であると共に I can't hear you 「私にはあなたの言うことが分からぬ」の hear である。今試みに英語の辞書に当たってみると、一つの意味は To perceive sound or something that causes sound であり、今一つの意味は To learn by hearing である。すなわち単に音声を耳に感じるのと、聞くことによって学ぶという二つの意味である。Listen には to learn の意味は普通でていない。多くは To give ear to であり、To pay attention to が listen のもっている最も普通な意味である。



posted by 石崎 陽一 at 04:35 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2015年01月13日

They never fail to impress me.






先日の勉強会の折、ある方から教えてもらった映像。

最後まで見て……




















……泣けました。



(追記)

フラッシュモブについては次のリンクをクリック。

What Is a Flash Mob?


posted by 石崎 陽一 at 17:20 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2014年12月14日

何を学び何を考えるべきか


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(retrieved from:http://is.gd/p75ciT


標題に掲げたテーマの座談会において、マイクロソフトの元・日本法人代表取締役社長だった成毛眞さんが興味深い発言をしています。

(成毛さんは現在は自ら設立した投資コンサルティング会社社長、早稲田大学客員教授をされています。)

漢検ジャーナル(vol.13)(pp.6-10)より、備忘のため、書き留めておきます。


私たちビジネスマンにとっては、英語の98%は「読み」「書き」なんです。海外とメールでやり取りをしたり、契約書を作成したり。ですから、英語の読み書きができない人が来ると、ビジネスの場では困るんです。

ビジネスでは厳密な契約書等のやり取りが当たり前で、文法の係り受けや時制などをきっちり教えておいてくれないと必要な文書が読めない。

よく皆さんが誤解されているのが、外資系の企業で働くには、英語がペラペラでないといけないのではないかということです。私は外資系企業の出身ですが、結論から言うと、そんなことはありません。だって、日本でモノを売るために、日本人の社員を雇っているのですから。商習慣はその文化に深く根ざしています。だから、外資系企業といえどもわざわざ英語に訳す必要はないのです。むしろ、日本のビジネス文化や法律の知識に加え、日本語で複雑なことを理解する能力こそ必要なのです。つまり「何を話すか」。法律でも、科学でも、あるいは医学でもなんでもいいので、専門分野をいかに突き詰めて語れるかが肝心ですね。

その知識なり専門能力を持つ人間でなければ、話す相手の外国人にとっては意味が無いのです。人としての土台の部分をしっかりと身につけているほうが、より重要なのではないでしょうか。

(最近英語も日本語もまあまあできる、だけどどちらも完璧じゃないといった例も見受けられますが)それだと国際ビジネスの場では通用しないでしょうね。言葉が中途半端だと、ただ両方の言葉が使えるというだけで、どこかでコミュニケーションがずれてきます。そうなると、その人のことが信用できなくなってくるんですよ。仕事を任せることができなくなるというかね。

英語教育の重要性が叫ばれていますが、ビジネス現場としては、母語である日本語の語彙力や論理的な文章力の強化など、英語以前の問題としてしっかり教育しておいてほしいですね。

英語が必要という今の風潮は、「社内で英語を公用語化する」などといった大企業からのプレッシャーも原因の一つといえるでしょう。30年ほど前なんて、人材が逼迫していましたから、英語なんてできなくても「入社後に留学させてあげますから、どうぞお入りください」という時代でした。今は景気が悪いから、人を雇いたくないので英語力で選抜をしているに過ぎません。

おそらく数年も経てば、また求人の需要が大きくなってくるので、英語はできてもできなくても構わないとなるでしょうね。要するに雇用の需給バランスだけの問題なんです。ですから、そういう社会の変化に左右されない力というものが、より求められるはずです。



posted by 石崎 陽一 at 08:37 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2013年08月12日

英作文上達の前提条件のひとつ


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何度目でしょうか、喜安璡太郎『湖畔通信・鵠沼通信』(研究社、1972年)をパラパラとめくって楽しんでいます。

その中で日本英語教育協会高等科講座の一篇として出た山田和男氏の『英作文』より、

氏の挙げられた英作文上達の前提条件のひとつが紹介されているのが目にとまりました。


日本語が上手く書けるようになること、英語ですると日本語でするとを問わず表現すること自体に興味がもてること。(p.169)


喜安翁、これを解説して曰く


日本人である以上、日本で教育を受けなかった場合は別として、普通の場合には、日本語が上手に書けない、少なくとも上手に書こうと努力して、それが相当効果を収め得ないような人にはとうてい英作文に上達する見込みはないというのが氏の持論である。Ibid.)


我が意を得たりと膝を打った次第です。


(追記)

ちなみに、私の所蔵している『湖畔通信・鵠沼通信』は大和資雄氏旧蔵のもので、編者である福原麟太郎先生からの謹呈本です。


posted by 石崎 陽一 at 11:21 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2013年08月10日

見習う手本を正しく選ぶ


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村田聖明『[続]ひとりぼっちの英語人生』(日本英語教育協会、1984年)より備忘のため書き留めておきます。


十八歳で渡米し、まず私立の高校へ入った。(中略)いわば英語の「稽古」を常にしているようなものだった。この意味で、英語を勉強するために英語圏へ行く人が一番気をつけなければならないのは、日本人と接触しないことだ。(中略)仮に、お互いに英語を話しても、下手な者同士の「稽古」は効率的ではない。

だから、「アメリカに何年いた」ということ自体は、その人の英語修行の内容とは関係がない。肝心なことは、アメリカに何年にいたか、ではなく、「どのようにして」いたかということなのだ。
(pp.110-1)


アメリカやイギリスへ行きさえすれば、ひとりでに英語がうまくなる、というのは間違いである。それに比べれば、一歩も日本から外へ出なくても心がけ次第で英語に上達することも可能である。今日の日本では、それが可能な機会や教材が十分にある。要は心がけなのだ。(p.111)


私の場合、幸か不幸か、在米七年の大部分は太平洋戦争と戦後の期間であった。開戦後まもなく、アメリカ西部海岸の日系人の強制収容に巻き込まれて、収容所に送られた。しかし、収容所の中では日経米国市民の人たちと接触をすることによって、英語の修行には事欠かなかった。

彼等に英語で日本語を教えたことも、大変勉強になった。
(p.111)


おかげで、収容所から出て初めてアメリカの大学の一年生になった時、それは日本を発ってまる二年語だったが、大学の勉強についていくのにたいした苦労はしなかった。(p.111)


しかし、私の英語の苦行はまさにこの頃から始まった。働きながら四年で終える大学の課程を二年半で終えるということは、自国語で大学の勉強をする人にとっても、相当きついと思われる。しかし、私はなんとかこれをやりとげ、そのあと、一日五時間、週七日の労働で学費と生活費を稼ぎながら、普通は二年かかる大学院の修士課程を一年で終えた。

この間、いうまでもなく、起きている時間の圧倒的大部分はアメリカ人との接触に費やされた。この点、私の在米期間が戦前、戦中、終戦直後という期間であったことは幸せであった。顔を合わせる日本人が少なかったからである。
(pp.11-2)


すべての技術の向上は、よい技術の模倣から始まる。(p.113)


posted by 石崎 陽一 at 23:09 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

文法の効用


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村田聖明『[続]ひとりぼっちの英語人生』(日本英語教育協会、1984年)より備忘のため書き留めておきます。


話しことばも、書きことばも、それが現代の人間のものである限り、「生きた」ことばである。両者の相違は、表現の媒体が音声であるか、文字であるかにすぎない。(p.20)


いかなる国語でも、それが文明国民の国語である限り、二つの媒体によって表現される。すなわち、一つは文字であり、他の一つは音声である。つなり、言語というものは、通常、「書きことば」と「話しことば」という、二つの要素から成り立っているのであり、文明国では、このいずれもが、同様に重要なのである。(p.195)


話しことばを理解し、話しことばによって自己を表現することに必要な、その国語についての習熟度は、書きことばの場合に比べて、はるかに高いものである(p.20)


同じ思想を表現するのに、仮に、Aは五時間かかって五百語の文章をものにするのに対し、Bは即座に同様の文章を作ることができるとした場合、後者の語学力は、前者に比べ、はるかに優れていることはいうまでもない。(p.21)


「実用」とは、人間生活の中における、言語の機能を理解した上での、英語を用いる能力を指すのである。つまり、「実用英語」とは、人間間の広い意味での通信の手段としての英語である。

当然のことながら、それは、話し言葉としてのみの英語でもなければ、読みかつ書くだけの英語でもない。
(p.25)


われわれが英語を駆使することは、それ自体が目的ではなく、手段にすぎないのである。それは、ことばというものがそもそも、手段であるからだ。(p.25)


いうまでもなく、文法は外国語を習得するのに最も効率的な方法である。にもかかわらず、「文法にとらわれずにどんどんしゃべるようにしないから、英語がうまくならないのだ」という人があるとすれば、これはまことに理解に苦しむ。文法が大切なことでは、話しことばも書きことばも同様である。しかし、現実には、話しことばにおいて、不完全な文でも「間に合ってしまう」場合が多い。これが右に述べたような妄説を生む理由であるかもしれない。(p.95)


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学習環境の急激な変化


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今から約30年前には現在のような学習環境は想像だにできなかったことを示す証言を、

村田聖明『[続]ひとりぼっちの英語人生』(日本英語教育協会、1984年、p.19)より備忘のため書き留めておきます。


しかし、予見し得る将来においては、たとえば、保存された話しことばを、好きな時に、好きな場所で再生することが、書きことばと同様に簡易になることはまずないだろう。


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日本では何語を用いて学校教育をしているのか


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村田聖明『[続]ひとりぼっちの英語人生』(日本英語教育協会、1984年、pp.16-7)より備忘のため書き留めておきます。


先年ニューデリーで開かれた、ある国際会議に参加して、インドの若いインテリと日本の教育制度について話をしていた時のことである。彼が What medium of instruction do you use? という質問をした。

私は一瞬、彼は何を言おうとしているのかと戸惑ったが、これはいうまでもなく、

「日本では何語を用いて学校教育をしているのか」

という意味である。この質問は、戦後独立したアジアやアフリカの諸国が直面している、われわれ日本人の考え及ばない種類の「国語問題」を示唆するものである。

一口にいうならば、これらの旧植民地諸国では、外国人、特にかつての支配者との間に、通信上の問題はないに等しい反面、民族固有の言語を国語として制定し、その普及と実用化を図る上に、多大の困難に遭遇しているのである。

それにひきかえ、わが国は、かつて一度も西欧諸国の植民地であったことがないために、国民全体の外国語の駆使力は、アジアの他国に比べて甚だしく劣っているといえる。



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2013年08月04日

栄花直輝さん




相手から学ぶ姿勢、感謝の気持ちというものが剣道の基本です。

「打って反省、打たれて感謝」と言います。

剣道からは多くのことを学びました。

次に紹介しますのはNHK人間ドキュメントで栄花直輝さんが登場した回です。

「ただ一撃にかける」と題されたこの番組を、私はこれまでに繰り返し見ています。

こと剣道に限らず、

勝利(成功)への執着、相手(失敗)への恐怖を拭い去り、

基本に忠実に、無心でことに臨む姿勢を見習いたいと思うのです。











posted by 石崎 陽一 at 19:23 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2013年08月03日

高橋みゆきさん



大ファンである高橋みゆきさんによるバレーボール教室の風景です。





視聴しての感想と気づきを備忘のため書き留めておきます。


● 音量が場に対して適切であり、発声、滑舌が明瞭で聞き取りやすい。

● 「え〜と」「あ〜」「え〜」などのノイズがないため、指示が明瞭でわかりやすい。

● ひとつひとつの指示が短く、理解しやすい。

● 指示にためらいがなく、明確なのでわかりやすい。

● ひとつの指示にひとつのやるべきことが含まれており、指示が明瞭でわかりやすい。

● 一連の動作をスモールステップに切って提示しており、やるべきことが明瞭でわかりやすい。

● シーンごとに「やってみて、いってきかせて、させてみて、ほめてやる」というプロセスを踏んでいる。

● よかったときはよかったというフィードバックを、個別に、即座に、返している。

● よくなかったときはその場で流れをいったん止めた上で、なぜよくなかったのか、どうすればよくなるのかの説明を簡潔に行っている。

● 主として上記の項目の実践を通じて学習者にプチ達成感を持たせ、やる気を引き出している。

● 目の前の学習者の実態に合わせて(個に応じて)ボールの出し方を調整している。

● やってみせる場合には、自分で演技する以外にも、モデルを適切に活用している。



英語の授業でも活かせる指導上のポイントが満載です。

バレーボール競技の指導者としての経験を通じて、

スポーツの指導から学べることは多いと実感しています。


posted by 石崎 陽一 at 09:27 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

寺本将司さん



剣道界のイチローと称される寺本将司さんの生き様に襟を正しています。





しかし、圧倒的な強さですね…^^;






(追記)

寺本さんによる講習・講話の風景はこちら。ことは剣道に限らず、ためになります。


posted by 石崎 陽一 at 08:24 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする

2013年07月26日

背伸びが、人を育てる


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先ほど『プロフェッショナル 仕事の流儀 背伸びが、人を育てる 校長 荒瀬克己の仕事』と題するDVDを視聴。

前任校の在籍時に京都までお話を伺いに行ったときのことを懐かしく思い出しました^^

教育者の視点として、また経営者の視点として、特に印象に残った台詞を3つほど書き留めておきます。


● 生徒の中に本当にやりたいという気持ちをつけない限りは無理だと。

● やるべき時に、やるべき場所にいて、やるべきことをする。言うべき時に、言うべき場所にいて、言うべきことを言う。そして、人事を尽くして天命を待つ。

● 今までのことはすべて良くなかったのか、というと、それは決してそんなことはないんですよ。「改革」なんていうと、今まであったことは全部ダメで、それを潰してしまって、新しいものをそこに打ち立てるみたいなイメージがとても強いですけれども、本当はそれはきっと間違っていると思うのです。今まであったものの中に良さは必ずあるわけで、その良さをより良くするためには新しいものを入れないといけない。それが時代の変化に応じた改革だと思うのです。



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2013年07月22日

教師は五者たるべし


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数学者の秋山仁さんが教師五者論を唱えておられます。

たいへん興味深く、ここに紹介します。

教師は学者、医者、役者、易者、忍者たるべきとする指摘です。


● 学者

 教師は自ら学び続け、学びの醍醐味を生徒に伝える。


● 医者

 生徒の不得手を早期に見抜き、適切に対処する。


● 役者

 生徒の心に溶け込むような話術を磨き、興味関心を礎とするような授業にする。


● 易者

 生徒の特性、個性、能力、可能性などを総合的に判断し、天職へといざなう。


● 忍者

 生徒に自ら気づくまで、ヒントを与えてじっと待つ。急がず、堪え忍ぶ。


(追記1)

出典は以下をクリックしてご覧ください。

「教師は五者たるべし」秋山仁.pdf

記事のおしまいの方で、ご自身の恩師について

自分が勉強を一生懸命して、人生頑張っているわけです。その先生の後姿を見て、やはりおれたちもちょっと努力しなきゃいけないかなって思うんですよ。(中略)数学の先生が数学だけ教えるのは、あまり生徒を惹きつけないんですよ。

と語る秋山さんの言葉にも大きく、大きく頷いた次第です。


(追記2)

産経新聞(2009年3月22日付)において、1998年に『走るジイサン』で小説すばる新人賞を受賞された池永陽さんが次のように語っておられました。

作家生活も10年が経過すると、書くときにも「慣れがでてくる。悪い方の慣れ。そうしたごまかしのテクニックを使わないように『慣れるな、ごまかすな』と、自身に言い続けている」と、語る。

文中の「作家」を「教師」に、「書く」を「教える」に変えると10年経験者への戒めの言葉となりますね。


posted by 石崎 陽一 at 22:12 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする
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