2017年02月10日

「ことばに対する畏敬の念」をもつ大切さ


DSC00631.jpg



鳥飼久美子『話すための英語力』(講談社現代新書、2017年、pp.220-1)より備忘のため書き留めておきます。


英語に、sense of wonder という言葉があります。自然などの対象に触れることで受ける、ある種の不思議な感動を表現する概念です。環境汚染に警鐘を鳴らした『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソン(Rachel Carson)の遺作 The Sense of Wonder で知られるようになった言葉で、すべての子供が生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」(神秘さや不思議さに目を見はる感性)を、いつまでも失わないで欲しいという、カーソンの願いがこめられています。

邦訳のタイトルがどうなっているか調べたら『センス・オブ・ワンダー』と単純にカタカナになっていたので、日本語に訳しようがなかったのかもしれませんが、私はあえて「畏敬の念」という日本語を使いたいと思います。そして、レイチェル・カーソンが自然について語った sense of wonder を、言語について使い、「ことばに対する畏敬の念」の大切さを語りたい。言語についての神秘さや不思議さに感動する感性があって初めて、外国語学習が実りあるものになると信じているからです。



posted by 石崎 陽一 at 19:41 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2017年01月07日

世の中の流れに流されずに自分流のスタイルを貫く


pros2852a.jpg



『英語教師のNGワード』(研究社、2011年、p.45)より備忘のため書き留めておきます。


自分のスタイルを変えようとしない教師でも、もし生徒の信頼が厚く、教師の真剣勝負でやっている人ならば、(中略)教師としては一流ということになる。ここで大事なことは(中略)変に世の中の流れに流されずに自分流のスタイルを貫くというのも1つの手ではあるということなのである。そのためには、まずは自分の持ち味をきちんと出せて、背伸びをしない指導法を何とか試行錯誤を繰り返しながらも、自分で編み出すことである。

そして、それは自分なりの「指導スタイル」を作り上げるということでもある。しかし、これはことばで言うほど簡単な仕事ではない。うっかりすると単なる独りよがりの身勝手な「教授法」となるおそれがある。応用言語学をはじめとして数多くの実証研究などは、実は(中略)身勝手なものにならないための「歯止め」として使われるべきものである。



関連して、「英語史と英語教育の両分野を専門とされる希有の存在」(寺澤盾『英単語の世界』(中公新書、2016年、p.171))とされる古田直肇氏の「第二言語習得の示唆する英語史の教育的価値」(『これからの英語教育 − 英語史研究との対話 −』(大阪図書、2016年、P.49)所収より引いておきます。


第二言語習得研究というのは、当たり前のことを当たり前のことだと証明する学問である。いわば常識(common sense)の裏書なのである。外国語学習に関して良識的に内省し思索すれば得られるであろう洞察を改めて実証するのが第二言語習得研究の役割といえる。


posted by 石崎 陽一 at 18:29 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2016年11月29日

教授法は教師の数だけ存在する。


N825_shirobgkokeshi500-thumb-260xauto-2230.jpg



中村捷『名著に学ぶ これからの英語教育と教授法』(開拓社、2016年、p.268)より備忘のため書き留めておきます。


教授法には一つの魔法の杖のようなものがあるのではない。教授法は教師の数だけ存在する。教師は、経験の少ない初期には、様々な文献から情報を得て、それを実践し、改良しながら進んでいくことになるが、一定の経験を積んだ後では、自分自身の教授法を持つべきである。その教授法は固定的ではなく柔軟であるべきであって、各自が、その後の研究研鑽によって改善修正しながら、独自の個性的な教授法へと発展させていくべきである。そしてその教授法を絶えず点検改善することによって、さらに進化させるように努めなければならない。これが教師としての責務であると考える。


posted by 石崎 陽一 at 19:40 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

文法訳読法は語学教育には不可欠である。


PPC_ribontopurezent500-thumb-260xauto-1048.jpg



中村捷『名著に学ぶ これからの英語教育と教授法』(開拓社、2016年、p.268)より備忘のため書き留めておきます。


文法訳読法は語学教育には不可欠である。従来の問題点は、英語教育においてこれ以外の訓練を十分にしなかったところにあるのであって、文法訳読法に語学教育上の欠陥があるのでは決してない。これまで様々なアプローチとかメソッドと呼ばれる方法が試されているが、それが実績をあげたということは聞いたことがない。語学の学習は単一の方法ですべてを律することができるほど単純な活動ではなく、語学学習は多面的であって、学習活動の内容にしたがって、それに適した方法が存在すると考えなければならない。


posted by 石崎 陽一 at 19:32 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2016年09月28日

美意識のちがい、異文化摩擦のすさまじさ


N745_zamanohimawari_1500-thumb-260xauto-2036.jpg



中津燎子『英語と運命』(三五館、2005年、pp.316-7)より備忘のため書き留めておきます。


私が最初に気づいた日・英語の深い谷間の現実は、まだ占領時代のことだった。

「日本人の英語はよくわからない」というアメリカ人が多かったが、その八十パーセントは、日本人の声が小さくて聞こえないという単純な理由からだった。しかし、なぜか日本人は一方的に、「文法か、語彙のまちがい」であると思いこみ、正解と思うほかの言葉を探してくるが、相変わらず声が小さい。聞こえないのでアメリカ人は再度聞き返す。それでも聞こえない。最後に時間が足りず、双方であきらめる、といった状況が多かった。

アメリカで暮らしていた頃も、

「聞き返された時、即座に声をもっと大きくしてくり返す」

という、単純なコミュニケイション・スタイルは、外国人やネイティブの区別なく、だれもがふつうに見せる反応だった。しかし日本人の場合はそうならないことが多かった。

続きを読む
posted by 石崎 陽一 at 11:59 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2016年08月31日

英語が役に立つようにするためには


PP_kuraimingurose500-thumb-260xauto-230.jpg



小川芳男『英語教育と国際交流』(平明社、1980年)より備忘のため書き留めておきます。


英語が役に立たないというのは英語は技術学科であるにもかかわらず技術として英語を覚えなかったからである。つまり英語に関する講義は聞いても英語を実践しなかったからである。それはちょうど水泳をやる人が水泳の講義だけ聞いて実際に水の中にはいって泳がなかったり、ピアニストがピアノの話を聞いて実際にピアノを弾く練習をしなかったようなものである。とにかく実践しなかった英語が役に立たないのはむしろ当然である。それでは役に立つように実践すればよいよいうことになるが水に縁のない土地の水泳やピアノを持たない人のピアノの練習に似ていて、四六時中日本語を話す環境にいて英語を実践することはそんなに簡単ではない。(中略)したがって役に立つようにするためには学習者が努力して実践する以外にない。(p.238)

教授法は学校差や、地方差や個人差による修正を加えてはじめてその真価を発揮することになる。この修正を加えるのは主として教師であるが、最終的には学習者個人の責任である。しかし自分の長所や短所を適格に見極めることは学習者には困難であるから結局は良い教師を得ることである。(p.238)

教授法というのは(中略)技術を習得するという面からみると個人個人に即した学習法でなくてはならぬ。英語に「甲の薬は乙の毒」という諺があるが、甲にとって最良の教授法が乙にとって最良の教授法とはいえない。(p239)


(追記)

『上掲書』(pp.264-6)は MIT(Massachusetts Institute of Technology)から出版された You and Your Students という pamphlet に触れ、

このアメリカ第1級の大学の教師を対象に書いた本が実に細かくかつ具体的に教室内の指導法を述べているのである。それはほとんど teaching methodology の本といってもよいほどのものである

と指摘しています。

小川芳男『英語随想』(学校法人佐野学園神田外国語大学、1987年、p.147)にもこの「教師必携書」について言及があります。

なお、この手引に関しては、私は現物を未見ですが、柳沢 正圀(やなぎさわ まさくに)氏が『化学教育』第19巻第2号(社団法人日本化学会、1971年)に

You and Your Students(MIT)の紹介

と題する紹介記事を書かれていることをのちに知りました。


posted by 石崎 陽一 at 14:02 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2016年08月14日

いわゆる「アクティブラーニング」に関する資料


PPG_sutoroberi-aisu500-thumb-260xauto-904.jpg



アクティブラーニング失敗事例ハンドブック公刊版

紹介記事はこちら



失敗マンダラを活用したアクティブラーニング授業の失敗事例分析とその知識化 ― 学生の「やる気」を引き出す観点から ―

名古屋商科大学の経済学部、経営学部、商学部の研究紀要である NUCB journal of economics and information science(Vol.59 No.2)に掲載された亀倉正彦氏の論文です。

紹介記事はこちら


posted by 石崎 陽一 at 10:55 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2016年08月08日

英語を使うことについての緊急性


PPS_yunomarukougen500-thumb-260xauto-445.jpg



家入葉子『文科系ストレイシープのための研究生活ガイド 心持ち編』(ひつじ書房、2009年、p.50)より備忘のため書き留めておきます。


日本人は英語を学校教育の中で学びながら、少しも語学力が上達しない、と世間はいう。(中略)何でも周りの環境のせいにする姿勢自体が、学ぶことから自分を遠ざけているとも言える。しかしもっと本質的なことは、英語を使うことについての緊急性が、日本の場合には、社会として低いということである。「現代社会では英語の運用能力は不可欠である」と叫んでみたところで、多くの場合に、その響きは空しい。人々の多くは、「いつか英語ができるようになれたらうれしい」という気持ちで英語に取り組んでいるにすぎない。「海外旅行をしたときに、英語を自由に話すことができればうれしい」という人もいる。だが、その人は一生の間にいったい何回海外旅行に行くのであろうか。もちろん、だからといって英語を学ぶ必要がないと言っているわけではない。社会も今後どんどん変化していくだろう。また、英語を自由に操ることができる人口が増えることが、社会の変化につながる可能性もある。


posted by 石崎 陽一 at 03:02 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2016年08月07日

最初は核に忠実、核から解放されて本来の自分、原点に戻る


SHI86_akaibara1342500-thumb-260xauto-3934.jpg



2015年12月19日に放送された SWITCH インタビュー 達人たち(俳優・唐沢寿明 × 武術家・中村頼永)より備忘のため書き留めておきます。


唐沢 自然にやるということが一番難しいですよね。

中村 格闘技の世界でも力を抜けといってもなかなかできないですもんね。

唐沢 普通の人で、会話をしているときに、棒読みの人っていないじゃないですか。でもなぜか演技になると棒読みになる人っているじゃないですか。あと、くさくなる人とか。(歌舞伎演者みたいに)「なぁ〜にぃ!?」とか。普段やっていないのに芝居になるとなる人がいるんですよ。

中村 はぁ−!。

唐沢 だからそれを反面教師にして、見てね、なるべく自分はそうならないようにしたいなと思う。だから見たもので勉強にならないものはないんです、ひとつも。

中村 ブルース・リー先生のジークンドーも、最初は核に忠実、核から解放されて本来の自分、原点に戻る。最初学び始めると、格闘技やる前、武術やる前は自分の動きありますよね、でもこういう風に動かなければならないと理にかなった動きを教わると、それはその人の動きじゃなくなりますよね。それはさっき唐沢さんが言われた、ちょっと大袈裟な演技になってしまったり、そんなしゃべりをあなたしないでしょというしゃべりになってしまうように、格闘技でもその人の形じゃない形になっちゃうけど、そこを乗り越えていくと、本来の自分に戻る。その人がその人らしく動きを出せる。…というのは役者のレベルが上がる、ステージが上がるというのと似ていますね。

唐沢 まったく同じだと思います。



posted by 石崎 陽一 at 11:46 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2016年08月06日

語学は要するに特殊な知識の集積である


JS745_pinknoume500-thumb-260xauto-2633.jpg



『関口存男生誕100周年記念著作集 ドイツ語学篇 10 中級講話 趣味のドイツ語』(三修社、1994年、p.40)で、関口存男は次のように喝破しています。


もっと何か重要な話もあろうに、何を好んでこんなゴミゴミした特殊な事を取り上げたのか?と思う人もあるでしょうが、語学というものはそんなものではありません。語学は要するに特殊な知識の集積で、個々の特殊な知識を除いた一般知識なんてものは、学力が進むにつれて、その馬鹿馬鹿しさはだんだんとわかって来ます。学力の最後の段階は、むしろ「個々の特殊な知識を如何に多く、且つ刻明に、且つ自信を以て蓄えているか」ということによって優劣が決するのだ、ということを銘記して勉強しましょう。

人生のありとあらゆる隅々、否、時とすると、ありもせずあらゆりもせぬ隅々まで、一応全部楊子の先でつつき廻すこと−これを称して語学と云うのです。



別の観点から、田島松二『中英語の統語法と文体』(南雲堂、2016年)は次のように提案しています。


すぐれた英語の研究は非英語国から多数生まれている。とりわけ、歴史的な研究では英米をはるかに圧倒している。然らば、われわれ日本人も、日本人であること、日本で教育を受けたことを活かした研究ができるのではないか、いや、やるべきではないのか。(p.12)

テキストを分析的に読む、いや読まざるを得ないという日本人の強み(あるいは弱み)を活かして、一つひとつの語句の解釈やシンタックスなどにこだわりながら、語学的に厳密にテキストを読むという訓詁学的な仕事である。(中略)欧米人には何でもないところで、われわれはつまずき、難渋することが多い。言語、歴史、文化等に裏打ちされた「読む力」が違うのだから当然のことであろう。われわれにとって厄介な、あるいは気になる語句、語法は、彼らから見れば、さしずめトリヴィア(trivia)とでも呼ぶべきものかもしれない。しかし、このトリヴィアの研究をもっと行ったらどうかということを提唱したいのである。日本人だからこそ気づく点も多々あろうし、重要な指摘につながらないとも限らないではないか。(p.13)


posted by 石崎 陽一 at 18:57 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2016年03月19日

An example of the child-centered approach to learning


OSU.JPG
(クリックすると拡大します)


オレゴン州立大学の(正規学生ではない人に大学が教育の機会を与える)エクステンション・サービスが有益です。

ホームページから、様々な教育資材を入手することができます。

例えば、Leadership and Teaching Techniques と題するパンフレットには


You help each member set realistic goals and provide needed encouragement. Best of all, you see that proud smile that says, “I did it,” when you recognize them for a job well done. Did you know that there are many ways to say, “Very good”? How many can you come up with?


としていくつかの励ましが掲載されていますが、ホームページ内を検索すると、


100 Ways to Say Very Good.pdf


として子供に対する褒め言葉の一覧が手に入ります。

私たちも教室での言葉掛けに応用ができそうです。

(私にはとても100個も思いつきませんでした…^^; )



posted by 石崎 陽一 at 12:55 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2015年02月07日

「文法訳読に偏ることなく」


N811_toumeinasaikoro500-thumb-260xauto-2176.jpg



昨年9月下旬に行われた英語教育の在り方に関する有識者会議(最終回)の議事録配付資料とともに公開されています。

配付資料の中には、前回までの議論を基に作成された「今後の英語教育の改善・充実方策について 報告(案)〜グローバル化に対応した英語教育改革の五つの提言〜」と題する報告資料があり、これに基づきなされた議論を追うことができます。

さて、上の報告資料は「改革2.学校における指導と評価の改善」という項目における「中学校・高等学校における指導」という項で


中・高等学校では,英語の教科書の本文や,そこで取り上げられている題材や言語材料を,生徒が関心を持てるように指導すべきである。例えば,他教科での学習内容,学校生活における活動,地域行事,生徒の体験等と関連付けることで,文法訳読に偏ることなく,互いの考えや気持ちを英語で伝え合う言語活動を中心とする授業を構成することが可能になる。

このように,授業を実際のコミュニケーションの場面とする観点から,現在,高等学校では,授業を英語で行うことを基本としているところであり,中学校と高校の学びを円滑につなげる観点から,中学校においても,授業を英語で行うことを基本とすることが適当である。

その際,中・高等学校とも,その趣旨が「生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とするため」であり,「生徒の理解の程度に応じた英語を用いるよう十分配慮すること」を前提としていることを十分に理解することが重要である。



と述べられています。(下線は現筆者による。)

この記述について、大津由紀雄と松本茂の両委員との間で交わされたやりとりを書き留めておきます。


続きを読む
posted by 石崎 陽一 at 11:34 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2015年01月25日

言語教育における翻訳の効用


translation.jpg



How to Teach a Foreign Language(George Allen & Unwin, 1904, p.56)にて、

Otto Jespersen は、特に次の4つの場合において、翻訳は有益で不可欠な手段であり、言語教育に役立つと認めています。


(a)学習者に外国語の意味を理解させる
(b)学習者が外国語の意味を理解しているかどうかを試す
(c)学習者に外国語で表現する練習をさせる
(d)学習者が外国語で表現できるかどうかを試す
  (文法事項を理解しているかどうかを確認する)


(追記1)

『上掲書』はデンマーク語で書かれ、1901年に出版されました。原名を Sprogundervisning(語学教授法)と言っていますが、Sophia Yhlen-Olsen Bertelsen 氏の尽力で英訳されました。

(追記2)

関連記事はこちら。

授業内活動としての翻訳

(追記3)

母語を活用して、あるいは媒介として、英語を教えるほうが能率的な場合は三つあると、毛利可信『生涯英語教師』(pp.70-1)で述べられています。


posted by 石崎 陽一 at 23:11 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2014年08月10日

言語というものの根本的事実と文法上の研究について


N853_kuroikoyagi500-thumb-260xauto-1801.jpg



大塚高信『英文法点描』(篠崎書林、1956年、pp.139-40)より備忘のため書き留めておきます。


言語というものが、人間の頭の中で構成され、口を通して語られ耳によって聞かれるものであるという根本的事実を心得ておれば説明がつく。我々の頭の働きは、記憶力という点だけからみても、或る程度すぐれてはいるが、不完全なところも多い。また我々の頭は、物事を統一化しようとする傾向をもっている。即ち類推による簡易化統一化は、人間の頭の働きの特徴である。同時に、不完全な類推もし、誤った推論をして気づかないでいる。耳に聞いて快いことは、習慣を無視し、統一を破っても認められ、口に出して容易ならば、規則性をも犠牲にする。

一方では、言語は規則的になろうとする。するとまた一方では、種々の原因から不規則的になろうとする。この規則的ならんとする傾向と、不規則的ならんとする傾向の相剋が具体的言語の姿である。だから文法上の研究は、規則性に着眼した組織としての研究と、不規則性に着眼しての反規則的な箇々の事実の説明、その何れかにある筈である。




posted by 石崎 陽一 at 09:59 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2014年08月04日

文法体系外(extragrammatical)の情報が構文の正しい理解を決定する(その2)


NKJ56_reikokkurenga500-thumb-260xauto-2775.jpg



いまから半世紀前、1960年代に、ハーバード大学で構文解析プログラム(computer parser)が開発されました。

コンピュータに入力された文字列を構成要素に分けて詳細に分析してくれるという代物ですが、このプログラムに

Time flies like an arrow.

という一文を解析させたところ、なんでも、以下のように、5通りの読み方が示されたというのですね。

Steven Pinker, The Language Instinct(New York:W.Morrow, 1994, p.209)より引きます。(和訳は拙訳。以下同様。)


Time proceeds as quickly as an arrow proceeds.
(時間は矢が進む速さと同じくらいの速さで進む)

Measure the speed of flies in the same way that you measure the speed of an arrow.
(君が矢の速さを測定するのと同じやりかたで蝿の速さを測定せよ)

Measure the speed of flies in the same way that an arrow measures the speed of flies.
(矢が蝿の速さを測定するのと同じやりかたで蝿の速さを測定せよ)

Measure the speed of flies that resemble an arrow.
(矢に似た蝿の速さを測定せよ)

Flies of a particular kind, time-flies, are fond of an arrow.
(一種の蝿である時間蝿は矢を好む)



馬鹿正直でなかなか笑えますが^^ Pinker 氏も次のように述べています。(Ibid.)


Computer parsers are too meticulous for their own good. They find ambiguities that are quite legitimate, as far as English grammar is concerned, but that would never occur to a sane person.
(コンピュータの構文解析プログラムは細かさが度を超しているのが欠点だ。文法的には完全に正しくても、普通の人なら思いも付かないような多くの意味に気付いてしまうのだから)



昨日の記事で中国の寒山寺をめぐる張継の詩を取り上げ、

文法的には正しい「誤読」や「誤訳」に陥るのを防ぐ原理は文法構造そのものの中にはない

という事実を指摘しました。

今回は

Time flies like an arrow.

という英文を取り上げ、同様の事実を皆さんとともに確認した次第です。


(追記1)

Time flies like an arrow.

は「光陰矢の如し」にあたる諺とされますが、「矢の如し」に相当する like an arrow は付けないのが英語的とされます。

実際、F.P. Wilson, The Oxford Dictionary of English Proverbs(1970, p.823)にも

Time flies.

という形で収録されています。


(追記2)

井上ひさし『私家版 日本語文法』(新潮社、1981年、pp.236-7)にも言及があります。



posted by 石崎 陽一 at 19:51 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2014年08月03日

文法体系外(extragrammatical)の情報が構文の正しい理解を決定する


CSK_burokkunokabetogaitou500-thumb-260xauto-1275.jpg



唐の詩人・張継に「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」と題する詩があります。

中国・江蘇省蘇州の古寺、寒山寺をめぐる七言絶句です。

さて、この名詩の冒頭、「月落烏啼」の箇所だけを示された場合は、文法的に、二様に読むことができます。

「月落チ烏啼イテ」か、「月ハ烏啼(うてい)ニ落チ」か。

はたして、どちらに読むのが正しいか。



NKJ52_taketomishima500-thumb-260xauto-2722.jpg



「楓橋は蘇州府城の西七里にあり、山に面し水に臨み、南北往来するもの必ずここを経る」(一統志)

とあるように、どうも楓橋は山に面しているらしいのですね。

ということは、この山の名が烏啼山であれば「月ハ烏啼ニ落チ」と読むべきであります。

ですから、どちらが正しい読み方か、決めるにあたり、最も簡単なのは、文献調査や地理的踏査を行うこと。

烏啼山の存在の有無を確かめればいい。

すなわち、文法とは関係のない知識や情報によってはじめて、構文の正しい理解がもたらされるというわけです。

構文の正しい理解を決定する文法体系外(extragrammatical)の情報とは、

常識の場合もありますし、

文章の前後関係(context)の場合もありますし、

「烏啼山」のあるなしのような、事実的情報(英語に訳せば real facts とか realities になりますが、ドイツ語の Realien を使う人が少なくありません)の場合もあります。

文法的には正しい「誤読」や「誤訳」に陥るのを防ぐ原理は文法構造そのものの中にはない

という事実は、学習者、指導者ともに、心に留め置くべきでしょう。


(追記1)

ここまでの記事は、渡部昇一『英文法を撫でる』(PHP新書、1996年、pp.66-74)に依拠して記述しています。なお、「月落チ烏啼イテ」のほうに分があるようです。


(追記2)

蘇州はかつて「東洋のベニス」などとうたわれた古都です。寒山寺は水の都・蘇州の西郊の楓橋鎮にあり、唐代の高僧寒山と拾得が住んだことからその名がつけられました。


(追記3)

「烏啼」(うてい)の話を読んだとき、カラスが夜鳴くのはおかしいと思ったのですが、1999年1月11日付「産経抄」によると、「烏」とはカササギ(鵲)のことなのだそうです。カラスもカササギもスズメ目カラス科の鳥。カササギにはチョウセンガラスの別名もあるとのこと。なお、カササギの声は、吉事の前兆とかめでたいことがあると言われ、七夕の夜は織女がカササギにのって天の川を渡ると言います。



posted by 石崎 陽一 at 11:22 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2014年08月02日

定訳を覚える


N866_yakushimanohukaimori500-thumb-260xauto-2244.jpg



これから心理学を専門的に学習したり研究したりする人に向けた助言のひとつとして、

羽生和紀『心理学の基礎英単語帳』(啓明出版、2011年、pp.4-5)は、

専門用語の「定訳」を正確に覚える

ことを挙げています。


日常的な文章や会話の中で、一般的に使われている言葉であっても、特定の領域では、限定された定義を持つ用語として使用されていることがあり、その場合には専門用語としての定訳を用いる必要がある。

たとえば、population という単語は(中略)心理学で用いる統計の専門用語では「母集団」と訳さねばならない。また、behavior も「ふるまい」ではなく「行動」と訳すのが心理学における定訳である。



このことは、こと心理学に限った話ではありません。



posted by 石崎 陽一 at 13:08 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

good-bad は相対評価


MKJ_tocyoumaenooodoori500-thumb-260xauto-1229.jpg



Geoffrey Leech, Semantics(Penguin, 1974, pp.99-106)によると、

good と bad の対立は、

man と woman のような二項対立ではなく、親と子のような関係的対立でもなく、polar opposition(両極的対立)にあたります。

すなわち、中央に norm(基準線)があって、そこからどのくらい離れているかにより、どのくらい good / bad かが決せられるのですね。

言い換えれば、good か bad かの評定は、基準の取り方、物差しの種類、目盛りのつけ方の問題に還元されるというわけです。



posted by 石崎 陽一 at 10:10 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2014年07月17日

翻訳家の心得


E146_sudoribokujyou500-thumb-260xauto-2569.jpg



河野一郎『翻訳上達法』(講談社現代新書、1975年、p.120)より備忘のため書き留めておきます。


「われわれの言おうとすることが、たとえ何であっても、それを現すためには一つの言葉しかない。それを生かすためには一つの動詞しかない。それを形容するためには一つの形容詞しかない。さらばわれわれはその言葉を、その動詞を、その形容詞を、見つけるまでは捜さなければならない。決して困難を避けるためにいい加減なもので満足したり、たとえ巧みに行ってもごまかしたり、言葉の手品を使ってすりかえたりしてはならない」というのは、フローベールの有名な《一語説》であるが、それほど気張る必要はないにしても、翻訳であるからといって甘えがあってはならない。



posted by 石崎 陽一 at 09:46 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする

2014年07月14日

断言に気をつけたい


D157_winchikrenganoietomidori500-thumb-260xauto-2549.jpg



My father complains that a lot of young people litter the park and that they think nothing of it.
(公園にゴミを捨てる若者が多く、彼らはそれを何とも思っていないと父は不満を言う)



and によって2つの that 節が結ばれる 上のような文の構造を把握する視点のひとつとして

「and + that」は2つ目の that 節の合図である

などと学習者に提示する場合があるようです。

ある特定の英文に留まらず、多くの英文に共通して用いることのできる視点ですから、

文言自体の適否はさておき、

これは読解のための羅針盤として有用な鍵と言えるでしょう。

(また、英作文に際して応用することのできる視点でもあります。)

ただし、文意に誤解を生じないかぎり、この that の繰り返しを必要としない場合もあることに注意が必要です。

というのも、次の James Hilton, Time and Time Again からの用例をはじめ、この指導言があてはまらない例は散見されるからです。


He suggested seeing her home, which she would not hear of at first − she said there was really no need and she was used to the journey alone.


学習者に教えるか教えないか、いつ教えるか、どう教えるかは別として、指導者は上記のような事情を知っておくべきだと思います。


(追記)

接続詞 that を繰り返すのは、話法の転換に際し、間接話法において、被伝達文が and によって接続されている重文の場合(もしくはそれに準ずる場合)に適用する「原則」に基づいています。



posted by 石崎 陽一 at 00:15 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする
ページトップへ戻る