2012年11月07日

CROWNTを用いた指導実践の概要


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CROWNTの Lesson 1 は中学校からの橋渡しで比較的易しく、Lesson 2は物語文で、時系列による展開をするため読みやすい。

よって、これら2レッスン分の素材は

● 英語を英語のまま理解する
● まとまった分量の英文を聴き、長時間集中力を切らせずにポイントを聴き取る
● リスニングの力を付けることで速読力を伸ばす

こういった練習をするにあたって最適な素材ですので、リスニングを中心にした授業を企図。

Lesson 2 まではリスニングによる概要把握から入り、速読による情報検索を経て、ポイント解説をしたのち、本文暗唱のためのトレーニングを段階的に行う。

よって、その仕込みとして授業冒頭に語彙指導を位置付け、語彙リストを用いてクイックレスポンスの活動をさせることにより未知語の数を減らす段取りを組みました。

大学入試でも、例えば東大のリスニングでは500 wordsから700 wordsの英文が読まれます。およそ教科書の1レッスン分に相当します。

よって、時間にして約5分間聴き続ける集中力を早い段階から養う必要があります。

合わせて、同じ素材を繰り返し聴いたり、音読したりして、長さに慣れることも有効なのですね。

Lesson 3 以降は本格的な説明文・描写文が続きます。

語彙・表現、文構造ともにこの段階での本校生徒の平均的なレベルを越えていましたので、リスニングを中心に据えることはせず、授業のアプローチを変えることにしました。

授業冒頭に語彙指導を行ったのち、精読プリントを用いてポイント解説をし、本文暗唱のためのトレーニングを段階的に行うようにしたのです。

本文の理解にかける時間をできる限り圧縮し、本文の英語を実際に使用(活用)する場面をなるべく多く設定するよう心がける。

CROWNTに登場した文章については、いちど各自で翻訳したあと、その翻訳から原文が戻せるようにと指示を出す。

まずは、口頭で、最終的には、文字で、本文が再生できる状態にし、定期考査に臨ませる流れを貫きました。

そして現在は CROWN PLUS(level 3)を読み進めており、その授業における扱い方は先日の記事で概略を記した通りです。


何か独自のことをしよう、というのではなく、現時点の生徒にとってベストのことをしよう、という気持ちで私はやっています。


posted by 石崎 陽一 at 22:53 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年11月06日

英語学習の手段としての訳読


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英語学習の手段としての訳読について、澤井繁男『誰がこの国の英語をダメにしたか』(生活人新書、2001年)より備忘のため書き留めておきます。


少なくともこの点は誰もが認めるであろうが、母語で語れる以上のことを外国語で語ることはできないし、母語で理解できる以上のことを外国語で理解することはできない。さらにいえば、どんなに外国語だけで理解しているつもりの人がいるとしても、それは実は、母語との参照関係の上で理解していることに無自覚なだけだといいたい。(p.89)


訳読を軽視する種類の人は、言葉の味わい、そして深さをついぞ体験しえぬ、ある意味で幸せな人である。

鉛筆を持って実際に紙に訳を書いてみないとその深さは実感できない。
(p.90)


訳出しようとしてはじめてわかりうることだが、目で読んでわかったつもりになっていたり、英語でわかった気になっていても、その原義にまでみずからの視野が至っていないことが実感されるはずである。だから訳出は自己点検なのである。(p.111)


(追記1)

JAELL 日本英語英文学会の学会誌『日本英語英文学』第23号(2013年、pp.105-128)所収、杉山幸子「文法や訳読は本当に『使えない」のか?」(The Pros and Cons of Grammar Translation Method: Is It Really Harmful?)も参照。

文法や訳読は本当に『使えない」のか?


(追記2)

ことばに対する能動的態度を育てる取り組み − 初等中等教育における英語教育の発展のために −

posted by 石崎 陽一 at 20:59 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年11月04日

授業内活動としての翻訳


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菅原克也『英語と日本語のあいだ』(講談社現代新書、2011年)より備忘のため書き留めておきます。


生徒たちが英文の意味を理解しているかどうかを確かめるには、生徒たちの母語(日本語)に訳させてみるのが、もっとも確実である。英語の運用能力がまだじゅうぶんでない生徒たちに、英文の意味を英語で説明せよと言っても、どだいムリな話である。教室で日本語を用いる道を、あえて封じてしまうことの窮屈さは、こんなところにもあらわれる。(pp.67-8)


英語を「読む」際の読み方は、いろいろである。一字一句ゆるがせにせず精読することもあれば、段落ごとにおおまかな意味がわかればよいとする読み方もある。いわゆる速読といわれる読み方だが、速読ができるようになるには、どこかで精読の経験を積んでおく必要がある。ひとつひとつの文について、何もわからないような状態では、速読など望むべくもない。また、多読ということも必要になる。自分自身の英語力に見合った速度と読み方で、とにかくたくさん読むのである。ただし、わからないと感じる英語があまりに多ければ、多読の意欲はそがれてしまう。ここでも、精読の経験が基礎になる。(pp.85-6)


英語を読むにあたって、日本語にいちいち訳す必要などない、英語は英語としてそのまま読めばよい、という主張がある。これは、まったく正しい議論である。英語は英語として読めばよい。日本語に訳さなければ理解できない、ということはけっしてないし、英語で読んで、そのまま理解できるようになることこそ、望ましい。

問題は、どのようにしてそのレベルまで達するか、ということである。
(pp.68-9)


高校生になってちょうど半年が過ぎたばかりの公立高校1年生に対して、何ら説明を加えることなく、例えば


A day doesn't pass in my life in which I fail to look at the miracle of nature.


という英文を


I look at the miracle of nature each day in my life.


という英文に言い換えて理解させることは、いったい何を理解させたことになるのだろうかと思います。


多少中身のある英語の文を読もうとする際、どうしてもその意味を日本語で知りたい、と思うことがあるはずである。英語で読んでもよくわからないので、日本語でどういう意味なのか知りたいと思うのは、日本人英語学習者には当然の心理である。英語のような、日本語とはかなり異質な外国語を学ぼうとする学習者が、母語を通じての理解を求めるのは、ごく自然なことだと言ってよい。(p.69)


精読の訓練は、教室という場でしっかりと経験しておかなくてはならない。辞書や文法書を引きながら、英語の読み方をみずから学ぶことはできるが、わからないところについて確認し、質問できる機会はどうしても必要になる。それに、自分ひとりで読んでいて見過ごしているところ、思わぬ間違いをしているところなど、教室でしか発見しえないこともある。そこは訳すまでもない、と思っていた英語の文に、思いも寄らぬ意味が隠されていた、というようなこともある。そうしたことを教えてくれるのが、教室という場である。(p.86)


訳読を通じて、意味はわかったと感じるなら、わかったという意味を確認しつつ、何度でも音読すべきである。(中略)内容を理解したうえで音読するなら、意味のまとまりを考えながら、読むことができる。(中略)そのようにして何度も同じ文章を読んでいると、表現のひとつひとつが、文章全体のなかで、どのような意味、機能を担っているかが、あらためて理解できる。日本語の訳を離れ、それこそ直読直解するかたちで、英語の意味が頭に入ってくるようになる。(p.87)


訳読の目的は、英語のテキストが語学的に正確に理解できているかを確かめることにある。構文の把握、語義の選択等に誤りがないか、テキスト全体の文意がとれているかどうかを見ることにある。(中略)ただし、訳読の過程において、英語(翻訳元・起点)と日本語(翻訳先・終点)のあいだの対応を考えることを、忘れてはならない。英語と日本語において対応するもの、同等のものを見つけ出す力は、じつは英語のテキストの理解力とも関わっている。

英語のテキストと日本語のテキストのあいだの対応を、みずから考え、工夫してゆくことは、英語という言葉についての認識を深めることにもつながる。英語と日本語のあいだを往復するなかで、日本語の表現に対応する英語表現が見いだされてゆく。同時に、英語と日本語のあいだで対応関係の見いだしにくいものが、げんに存在することを意識するようになる。それは、英語という言葉の問題にとどまらない、英語をとりまく文化の領域に目を開くことにつながるであろう。

訳読は、あくまでも英語学習の手段にすぎない。だが、手段をおろそかにすれば、目的の達成も困難になりかねない。
(p.184)


訳すとおかしな日本語になる。意味の不明なところがいくらでも出てくる。どうしても訳せないところがある。仕方がないから、辞書を引いては何度も読み返す。そんな地道な作業をつづけた末、どうもしっくりとこない、日本語の感覚では腑に落ちないところが残る。あせる。いらだつ。あきらめかける。

それは、自分自身の思考能力に砥石をかけるような経験である。母語としての日本語の論理、発想とはかけ離れた、思いもかけないものとの出会いであり、衝突である。(中略)英語を日本語に訳してみること、訳読をするという作業は、自分自身に対して思考訓練を施すことである。

教室での訳読は、そうした思考訓練がどのようなものであり、どのようなものであるべきかを、体験する場を提供する。(中略)何に注意し、どのような手続きをとればよいのか。教えることができるのは、そこまでである。
(pp.198-9)


posted by 石崎 陽一 at 17:41 | Comment(3) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年10月13日

英英辞典の使い所


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The "Indus civilization", an ancient civilization which flourished in the Indus river valley and one of the four great civilizations of the world, was located in Pakistan.


この英文において valley はどんな意味でしょうか?

「谷」でしょうか?

そう問いかけて英英辞典を引かせます。

LDCE では


● an area of land lying between two lines of hills or mountains, often with a river running through it

● the land through which a stated river or great river system flows:the Thames valley



と定義されています。

英語の valley は両側を山や丘に囲まれた平地で、多くの場合、川が流れており、

大河の「流域」や大河の流域にある「平野」の意味があることに気づかせるのがねらいです。

このように、ある英語に対して、それと対応する日本語はあっても、それぞれカバーする意味が少し違うものに関しては、説明を日本語訳だけで済まさずに、英英辞典の説明を入れるよう、私は心がけています。


(試訳)

インダス川流域に花開いた古代都市文明であり、世界四大文明の一つ「インダス文明」はパキスタンにある。


posted by 石崎 陽一 at 18:05 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年10月10日

最近の英文法の授業


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ご訪問ありがとうございます。




今週、英文法の授業では分詞構文を扱いました。

その仕組みとともに、

時・理由などを明確に表すものではなく、suggestive な言い回しで、ゆるやかに主節につながる簡潔な表現であることを伝える。

分詞構文は日本語の助詞のもつ軽妙さ、表現の豊かさとよくマッチします。

読者に解釈を委ねる、その曖昧さこそが分詞構文の特徴であり、文中に占める位置が重要な機能を果たしている点を押さえました。

いまは45分の授業を

● 自作ハンドアウトおよび口頭(板書)によるポイント解説…15分
● 指定テキストの問題の答え合わせ(質疑応答込み)…15分
● 自作ハンドアウトによる問題演習…15分

という具合におおまかに配分していますが、今日は理解のステップを終えた段階で時間を少し多めに残すことができ、問題演習による定着のステップに20分をかけることができました。

定着のステップは、今回、3つに切り、空所補充、和訳のあと、作文で締める形式です。

それぞれのステップごとにハンドアウトを配当し、作業の焦点化を図っています。

( ハンドアウトはこちらをクリック ➜ 分詞構文.pdf

作業中は机間巡視で質問へのフォローアップをしつつ進捗や誤答の状況を把握し、適宜全体へフィードバックをしたのですが、きっちり鍛えられたのではないか。

生徒の声や反応から、そう判断しています。

20名なので小回りがきくのですね。

クラスサイズは重要な要素だとつくづく感じます。




空き時間は実力テストの採点、今月末にある進学指導検討会の発表資料作り、来月頭にある英語劇の台本の編集作業などをせっせとこなす。

帰宅後は家事全般をこなしつつ、家内と子供たちの帰りを待つ。

それなりに充実した毎日を過ごさせていただいている石崎が、西東京よりお送りしました。

明日は久しぶりの外国語指導助手(ALT)とのチーム・ティーチングが楽しみです。

それでは、また。


(追記1)

www.さとなお.com(さなメモ)の本日付の記事「いわゆるひとつの企画のコツ」に関心を引かれました。

(追記2)

外山滋比古『修辞的残像』(みすず書房、1968年、pp.103-4)より備忘のため書き留めておきます。

読者には全部を教えてやる必要はない、ただ気づかせてやればよいのだ、というのはドクター・ジョンソンの有名な言葉であるが、読者の主体的補償の働きを見抜いた達人の言と見るべきであろう。表現に「必要な」こういう不完全性は語法の中にも認められるのであるが、ここでは例を英語の分詞構文にとってそれを考えてみよう。

分詞構文というのは、Seeing the policeman, the thirf ran away.(おまわりを見て、泥棒はにげた)のような文章のことである。前半と後半との論理的繋りは切断されているが、それは読者で補うことが期待されている。表現は「おまわりを見」「泥棒が逃げた」ということで、この構文はこれに「まとまり」を与えることを求める表現法である。分詞構文が読者に与える文体上のニュアンスというものがあるとすれば、こういう論理的不完全さが生ずる抵抗、それを補填するのに必要な知的エネルギーによるものであると言ってよいであろう。このような、いわば飛躍した表現法が固定しうるのは、読者の主体的補充活動そのものが、普遍的に読者に存在していることを物語るものである。


(追記3)

長崎玄弥『超・パワフル英語』(ジャパンタイムズ、1984年、pp.141-3)では、「分詞構文は映画的描写である」という小見出しのもと、分詞構文を含む単文を重文、複文に対比させ、and then で続ける重文を紙芝居的描写と、when で結ぶ複文をスライド的描写と、分詞構文をシネマ的描写(連続動作の描写)と、それぞれ価値づけています。


posted by 石崎 陽一 at 22:56 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年10月03日

二種類目の知識を伝える


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語学は生涯学習です。学んでも学んでも、これでいいということはありません。疑問も次から次へと湧いてきます。

幸いなことに、優れた辞書や参考書が出版されて、ほとんどの知識は検索できる状態にあります。

しかし、私たちが有している時間には限りがありますので、ある知識を早く正確に得るにはどのような書物にあたればよいかを知っておく必要があります。

しかもそれらはできるだけ個人で所有しておきたいものです。

座右に置きいつでも参照できるよう備えておくと学習が非常にはかどるというものです。


Knowledge is of two kinds. We know a subject ourselves, or we know where we can find information upon it.

(知識には二種類ある。ひとつはある主題について自分が知っているという場合の知識であり、もうひとつはその主題についての情報がどこにあるかを知っている、という場合の知識である。)



とは Samuel Johnson(1709-84)の名言です。

私は、授業中、折にふれ、適宜、参考文献を紹介し、所有するように勧めています。


posted by 石崎 陽一 at 21:32 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年08月04日

英文法の扱い方


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『新英語教育講座(第四巻)』(研究社、1956年)所収、大塚高信「英文法の大要と扱い方」より備忘のため書き留めておきます。(漢字は新字体に改めてあります。)


私は平常から、教授法とか訓練とかいうものも、それは必要なことは必要であるが、根本になるのは教師の人格と学問的素養にあると思っている。人格の修養は暫くおいても、学問的素養を深めるということは努力によって仕遂げ得られることであるから、この方面の不足は、とりも直さず教師の怠慢といわなくてはならぬ。(p.212)


何事によらず、人に物を教える場合には、教える内容と、それに対する教える人の素養とは、隔たりが大であればあるほどよい。しかし、その隔たりは隔たりとしておいておかなくてはならない。仮りにも、その隔たりをなくしようとして、自分の知っていることを悉く教え込もうとしたり、教え込まなくても、喋舌って了うというようなことがあってはならない。(p.211)


文法のための文法を教えたならば、中学に於ては勿論のこと、高等学校に於ても必ず失敗する。文法はどこまでも理解を助ける手段方便として教えるという気持を常にもっていなくてはならぬ。(p.210)


posted by 石崎 陽一 at 13:33 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年07月29日

“-ce”の形容詞が“-tial”になる場合に注目


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(名詞, 形容詞)の形で、形容詞の綴りに注意が必要なペアをいくつか示します。

(space, spatial)
(palace, palatial)

(substance, substantial)

(confidence, confidential)
(consequence, consequential)
(difference, differential)
(essence, essential)
(influence, influential)
(preference, preferential)
(reference, referential)
(residence, residential)


これらを眺めてみると、綴り字に関して

-ce で終わる名詞の形容詞形が -tial になる場合に注目。

とまとめることができそうです。

いかがでしょうか。


(追記1)

(commerce, commercial)

などの場合も存在します。

(追記2)

上記の各組は英辞郎の検索窓に *tial と入力して入手しました。


posted by 石崎 陽一 at 21:41 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

名詞か形容詞かわからないときは


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以前、次のような説明をして功を奏したことがあります。



例えば

彼は貧乏だ。

という日本語を英訳する際、

*He is poverty.

とする生徒が多かった。

そこで、

日本語からは名詞か形容詞かわからない場合は
その語に「〜性」や「〜さ」を付けてみる。

それで文章が自然ならその語は名詞です。


そんな風に伝えてみました。

こうすると、

家は安全だ。

という日本語に当てはめて考えた場合

*家は安全性だ。

となり、不適となります。

よって、この場合の「安全」は形容詞を使って英訳することになる。

ざっとこんな塩梅です。

こうすることで、

我々の敵は貧困だ。

という日本語と

彼は貧乏だ。

という日本語とを混乱せず、うまく英語に訳し分けられるようになっていきました。


posted by 石崎 陽一 at 20:11 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年06月16日

授業の「補助線」


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英語Tの教科書でエジプトのAbu Simbel神殿の話を読んでいた際、ユネスコによるヌビア遺跡救済キャンペーンに触れました。

その後別の読書をしていたら、たまたまユネスコの前事務局長をされていた松浦晃一郎さんの記事が目に止まり、コピーを授業で生徒たちに示した次第です。


松浦さんは1999年にアジア初の事務局長として就任し、その後10年にわたりトップに立っていました。

この賢人の存在がなければ、西洋中心だったユネスコが日本を含めたアジアにこれほど関心を向けることはなかっただろうと言われています。

水中にある有形の文化遺産の保護に加え、無形文化財を保護する必要を訴え、実現に導きました。

この事務局長の働きかけにより、2003年に無形文化遺産保護条約が採択されたのですが、それまでは世界的に見れば有形文化財が中心で、要するに、西欧の建築物や歴史遺跡だけが登録されていたのです。

たとえば、僕が力を入れたサハラ以南のアフリカから見れば、サハラ以南のアフリカは無形が中心で、有形はあくまでも非常に限られた国にしかないものです。しかしながらヨーロッパ、特に西欧は世界遺産の文化遺産を全部カバーしている。だから僕は、西欧中心の石の文化の価値観に対して、日本の木の文化やアフリカの土の文化の価値観を対置したわけ。両者の価値は同じものであると西欧側を説き伏せて、やっと条約制定にこぎつけました。
宇田川悟『書斎探訪』(河出書房新社、2012年、p.100)


『上掲書』によれば、松浦さんが現在憂慮している問題は、文化の多様性に密接に結びついた言語の多様性です。

たしかに言語は無形遺産の中に含まれますが、言語そのものは対象になりにくい。

約1万年前、世界に1万以上の言語が存在したようですが、現在では6千から7千に減少しました。

中でも問題なのは、その中で4分の3を占める、絶滅の危機に瀕する少数言語です。

グローバル化が進む中で、いかに少数民族の言葉を守っていくか。

ユネスコの専門家によると、日本でもアイヌ語をきちんと話せる日本人は5人しかいません。

この第8代ユネスコ事務局長はユネスコを離れてからも危機意識を持ち続け、機会があるたびに、言語を守るための国際条約が必要であると説いておられるのです。


教科書の次の課がちょうどハワイ語の歴史に関するもので、しかもアイヌ語にも触れていますので、絶好の「補助線」になったのではないかと判断しています。


posted by 石崎 陽一 at 20:26 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年04月21日

大きな数字の読み方


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英語では四桁以上の数字において、位取りのカンマが三桁ごとに置かれます。

そして、最初のカンマをthousandと、二番目のカンマをmillionと、そして三番目のカンマをbillionと読みます。

1,234,567,895を例に挙げると、三桁ごとに異なる基数詞がくるわけですが、三桁ごとに置かれたカンマで切って

1 billion 234 million 567 thousand 895

とします。つまり、

one billion two hundred (and) thirty-four million five hundred (and) sixty-seven thousand eight hundred (and) ninety-five

と読むわけです。


比較的大きな数字の読み方については、大学入試問題でも散見されます。

いわゆるGMARCHでは、昨年と今年の実施分において、次のような出題が見られました。

2011年の学習院大(法)では「下線部(1)の数字を英語のつづり字(2語)で書きなさい」として、20,000をスペルアウトさせていますし、

今年の明治大(農)でも「問題本文中の下線部(ア)30,000の読み方を、英語で解答欄に記入しなさい」と問われています。

また、昨年の上智大では、法学部(法律)と外国語学部(仏語、西語、露語)の共通問題において、「下線部(19)の日本語訳は(a)〜(d)のどれか」として、120 millionを尋ねています。

授業を通じて教科書の基本的な事項をきちんと習得していけば、大学入試にも十分対応できるんだよ、と1年生に伝えた次第です。


(追記)

2008年の関西学院大・F方式の入試問題では“some 25 million people”の日本語訳を、2007年の明治大・商学部では“over 350 million years”の日本語訳を、4つの選択肢から選ばせる問題が出されています。

2001年の東京理科大学では、理工学部の物理、応用生物科、経営工の共通問題において、「下線部の数字はどう読むか。英語での表記を解答用紙の所定の欄に記入しなさい」として、30,000を読ませています。


posted by 石崎 陽一 at 22:04 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

2012年04月14日

節目節目のテストを大切に


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春休みの課題を範囲にした宿題テストが先日実施されました。

春季課題を提示する際、

「これをこなして初めてスタートラインに立てる。全員で幸先のいいスタートを切ろう」

という話をしましたので、授業開きの際、

「スタートラインに立てましたか?」

と問うてみました。

そして、実施後、帰宅してから間違えた箇所、埋まらなかったところを見直したかを尋ねました。

各授業とも全員の手が挙がらなかったのは残念で、以下のような話をしました。


点数は気にする必要はありません。1回1回を大切にして、100%仕上げていけば問題ありません。

やりっ放しにするのではなくて、毎回見直しをして自分のものにしてから次へ臨みなさい。

テストのときにその点数しか取れなかったとしても、受けた後には満点をとったのと同じ学力を付けていく、という積み重ねが大切です。

宿題テストは到達度テストです。どの程度課題を達成できたかを調べるためのテストです。

くれぐれも点数をとることを目的にしないように。

学習態度が将来につながります。


posted by 石崎 陽一 at 10:54 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする

授業の初期設定


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(真田堀の夜桜)


長い1週間が終わりました。

生徒にとっては学習・部活・行事等、各種ガイダンスが目白押しなフレッシュマン・ウィークでした。この週末はうまく疲れがとれるといいですが…。

私はというと、転勤してすぐに学年団に配属されたことで、急ピッチで様々なことを吸収できています。

ありがたいことです。

この3年間、優雅に忙しく生きていきたいと思います。


この7日間において、ほぼ全てのクラスで授業開きを行いました。だいたい以下の項目について話しました。新入生ということもあり、意識的に細かめにしています。

また一度に総花的に伝えても印象に残りづらいですから、折に触れて詳しく話していくイメージを大切にしています。


自己紹介

人間関係作りのきっかけとして。特に、不安感除去のきっかけとする。

また私のバックグラウンドを語る中で指導経験に触れ、信頼感、安心感、期待感の醸成のきっかけとする。


英語学習のゴール、授業のゴール

「東大英語」「受験英語」なる英語はない。あるのは現実の言語としての英語。

英語力を付ける、つまり英語による「伝える力」「受けとる力」を身につけるのがゴール。そのゴールに到達するよう、授業を組み立てていく。

小テストや宿題テスト、定期考査、各種検定試験や入学試験などはその通過点、中間目標に過ぎない。そこで一喜一憂しない。正しい捉え方をしよう。


使用教材の目的と使用法


授業規律

態度、発言、号令、黒板の状態などについて。(ホームルームクラスで話したのとほぼ同内容。)

speakerの良さはaudienceの姿勢によって最大限に引き出される。

「伝える」ことを意識したやりとり。

チャイム着席。教科担任の姿が入口に見えた瞬間に号令をかける。

黒板がきれいだとそうでない場合と比べてやる気に変化が出るのでは、という話。


そして早速、第1回目の授業に入りました。


posted by 石崎 陽一 at 10:40 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする
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