2017年02月11日

いわゆる represented speech(描出話法)について


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いわゆる represented speech(描出話法)について備忘のため書き留めておきます。


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田中菊雄『英語広文典』(白水社、1953年、p.248)


Jespersen の用いた用語(The Philosophy of Grammar pp.290-2)で、間接話法と直接話法との中間的性質を持つ話法を指して言う。普通伝達動詞(reporting verb)を有せず、いわゆる「地の文」で表現される。

一方において取り扱っている人間やその人の行動に対し第3者として接しながら、他方においてその人間の思惟や感情をその人間に代わって述べるものである。日本語では時に、次のように( )の中に包んで表現されることもある。

「(ぼくの足で届くかな)清は跳躍した。足はやはり宙をけった。倒れた身体の上に豊彦が重なって来た。(この野郎、しゃれた真似するな)右のこめかみがガンと感覚がなくなった。(ピストルのしりでなぐったな)その手にかみついた」『化粧』(大岡昇平)




江川泰一郎『改訂新版 英文法解説』(金子書房、1964年、pp.436-7)


中間的な話法:伝達動詞がない例

作者が作品中の人物の気持ちの動きを第3者的な立場から代弁しているもの。心理描写の手法として小説などでよく使われる。伝達動詞がないので、とかく地の文と誤りやすい。

話法には文法の規則というよりも一般の常識に属する問題が多く含まれている。その常識を基にして、作者のそのときの気持ちが加味されると、直接話法とも間接話法ともつかない文ができあがり、それが作者の文のスタイルとも絡み合ってくる。だから我々は、初歩的段階においては直接・間接の話法の区別をはっきりと識別して覚えなければならないが、その段階を脱したら、現実の英語には直接・間接の区別のできない(またその必要もない)表現が存在することを認識しておく必要がある。




『クエスチョン・ボックス・シリーズ第12巻 話法・語順・否定』(大修館書店、1962年、p.29)


おおよそ「文脈の助けにより、伝達動詞を欠く間接話法的な独立文が、普通は数個続いて、第3者の観点から話者の心の動きを描写する手法」を言うと定義できる。動詞の時制、代名詞の人称、引用符のないこと等の諸点では間接話法的であり、疑問文などの語順や句読法、さらに伝達動詞を伴っていないところは直接話法的です。したがって、描出話法は広い意味ではやはり両話法の中間体です。その大きな特徴は @伝達動詞から独立しており、A主に文体的な特徴に注目した呼称である、という2点にあります。



『特製版 英文法シリーズ 第3集』(研究社、1959年、pp.2733, 2841-8)

 
描出話法は伝達動詞なしで一見「地の文」と同じ体裁でありながら、実は作者が読者に直接説明する文句でなく、作中の人物の胸中の思いや、実際の発言を「地の文」の形式で描き出すものである。一言にして言えば、描出話法は「語順や句読点(特に"?"や"!"等)は直接話法における被伝達文に準じ、代名詞の人称や動詞の時制等の変化は、間接話法における人称・時制の転移という習慣に従って変化させたもの」と言えよう。

直接話法、間接話法、描出話法を比較してみると、次のようになる。

[直接話法]

As she gazed, she saw somebody … Her heart beat. She said to herself, "Who is it? Who can it be? It can't be a burglar, certainly not a burglar, for he is smoking and strolls lightly."

[間接話法]

… She wondered who it was, who it could be. She thought it couldn't be a burglar, certainly not a burglar, for he was smoking abd he strolled lightly.

[描出話法]

As she gazed, she saw somebody, a man, leave the road, step along the pddock beside their palings as if he was coming straight towards her. Her heart beat. Who was it? Who could it be? It couldn't be a burglar, certainly not a burglar, for he was smoking and he strolled lightly. −Mansfield, At the Bay

(彼女が眺めていると、誰か男の人が道路から離れて彼らの柵囲いに沿って牧場をまっすぐ彼女の方にやってくるらしいのが見えた。彼女の胸は鼓動した。誰だろう。一体誰なんだろう。泥棒じゃあるまい、そんなはずはない、煙草をふかし軽い足取りでぶらぶらやってくるのだから。)

直接話法では登場人物の考えが、彼自身の用いた言葉で伝えられる。間接話法ではそれが伝達者の言葉に直されてしまう。描出話法でもこれと同じく、そこにあるのは伝達者の言葉である。しかし、この場合、伝達者は心理的に元の話者(小説では登場人物)と同一化する。伝達者(小説ならばその作家)はその人物の言葉あるいは心理の動きを自ら体験し、その人物の名において発言する。自分自身の声をその人物の声に代用する。そこでは伝達者はその人物を通じて語り、人物は伝達者を通じて語る。描出話法の魅力の一つをなすものは、伝達される会話あるいは思考を包むこの夕闇にも比すべき柔らかな朦朧性にほかならないのである。(Fehr, 'Substitutionary Narration and Description')

描出話法によって伝えられるのは、実際に発言された言葉の場合もあり、単なる思考の動きである場合もある。前者の一種として手紙の内容を伝えることもある。しかし小説などで最も多く用いられ、また最も効果的に働くのは、人物の心理を描写する場合である。刻々の意識の流れを追求する Virginia Woolf などの文学は、描出話法なしにはほとんど考えられないのではないか。




大塚高信『英文法点描』(篠崎書林、1956年、p.51)


ことがら自身につまるつまらぬということはあり得ない。つまるつまらぬは価値の問題で、価値というものは、ある目的に照らしてみた場合の相対的な判断で、猫には小判は一文の価値もない。話法に価値があるかないかは、言語現象の真相を説明する場合、そのような直接・間接という区別をたてることが有意義であるかどうか、若し意義ありとすれば、どのように意味があるかによって定まる。

私は話法の区別をたてるのは、直接・間接の二つの区別を設けるということそれ自身よりも、その二つの区別が判然とたてられない境界的な表現が、現実のことばの上にあるという事実を認識する前提となるという意味で有意義であると思う。つまり直接話法と間接話法の区別よりも、その中間にあるとみるか、あるいは間接話法の一種とみるか、その解釈は人によって違うが、描出話法(represented speech), 経験話法(erlebte Rede), 変装話法(verkleidete Rede), 半間接話法(semi-indirect speech)などと呼ばれる語法の認識と解明が、文法的研究、ひいては、文章解釈法の前提にもち出されたということの方に意義を見い出すものである。



(追記1)

高橋泰邦『日本語をみがく翻訳術』(バベルプレス、1982年、p.172)では描出話法を「主客混淆体」と呼んでいます。

(追記2)

江川泰一郎『英文法解説 改訂三版』(金子書房、1991年、p.481)は

文法用語はどうでもよい。実例に対する認識が大事である

と喝破しています。


posted by 石崎 陽一 at 22:18 | Comment(0) | 文法・語法ノート | 更新情報をチェックする
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