2016年09月28日

美意識のちがい、異文化摩擦のすさまじさ


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中津燎子『英語と運命』(三五館、2005年、pp.316-7)より備忘のため書き留めておきます。


私が最初に気づいた日・英語の深い谷間の現実は、まだ占領時代のことだった。

「日本人の英語はよくわからない」というアメリカ人が多かったが、その八十パーセントは、日本人の声が小さくて聞こえないという単純な理由からだった。しかし、なぜか日本人は一方的に、「文法か、語彙のまちがい」であると思いこみ、正解と思うほかの言葉を探してくるが、相変わらず声が小さい。聞こえないのでアメリカ人は再度聞き返す。それでも聞こえない。最後に時間が足りず、双方であきらめる、といった状況が多かった。

アメリカで暮らしていた頃も、

「聞き返された時、即座に声をもっと大きくしてくり返す」

という、単純なコミュニケイション・スタイルは、外国人やネイティブの区別なく、だれもがふつうに見せる反応だった。しかし日本人の場合はそうならないことが多かった。

観察をつづけているうちに、「声を大きくする」ことは日本語の世界では「はしたない」、または「みっともない」と思われていて、ある種のタブーになっているのではないかと気がついた。つまり人間の心の奥にある「美意識」のモンダイなのだ。こうなるともう、どうしようもない。美意識のちがいほど、異文化摩擦のすさまじさを露にしているものはない。

相手に届かない声や、不透明な言葉による意思伝達はほとんど一顧だにされない英語の世界と、相手にある種の雰囲気が伝わればそれでいいのであって、言葉が耳に入ろうが入るまいがさほど大したことはないという日本語の世界とのちがいは、単なるコミュニケイション・スタイルの問題にとどまらない。

およそ「知的世界」のすべてにおいて、大小、深浅、さまざまの谷間が連なっていると言ってもおおげさではないのである。



(追記1)

『上掲書』(pp.348-9)には「異文化お互いさまリスト」と「異文化間摩擦の発生について」と題する一覧が付せられています。

地球上には異質の文化パターンが無数に存在しますが、特徴をソフト型とハード型の2つに分けて比較したものが前者のリストで、相手が異なった文化をもち、自分とは異なった生き方をしていると理解していても、無意識のうちに心に抱く強弱様々な違和感を列挙したものが後者の一覧とのことです。


(追記2)

中津燎子『BUT とけれども考』(講談社、1988年、pp.89-90)には2つの「お互いさまリスト」が掲載されています。日本(ソフト型パターン主流)から見たときのアメリカ(ハード型パターン主流)はどのように見えるか、または受け取っているか、という図表と、アメリカ(ハード型パターン主流)から見たときの日本(ソフト型パターン主流)はどのように見えるか、または受け取っているか、という図表とです。


posted by 石崎 陽一 at 11:59 | Comment(0) | 教師論・学習指導・進路指導 | 更新情報をチェックする
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