2016年07月24日

實踐文法に於ては、學習者の程度といふことが當然問題になるべきである


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大塚高信『英文法論考 − 批判と實踐』(研究社、1952年、p.94)より備忘のため書き留めておきます。


Art としての文法、卽ち所謂學校文法に於て mood は如何に取扱はれるべきであらうか。之に關しては實際ヘ授に經驗のある臨床家の意見を尊重しなくてはならぬ。學理と實際とは必ずしも一致しない。一は眞理を目ざし、他は眞理を目ざさないといふ譯ではないが、他の目的を果す上の便法である。又科學文法には程度といふことは考へられないが、實踐文法に於ては、學習者の程度といふことが當然問題になるべきである。Shakespeare の讀める程度の人と、Æsop 位しか讀めない人人とでは、方便も異る譯である。


posted by 石崎 陽一 at 14:13 | Comment(0) | 文法の学習・指導 | 更新情報をチェックする
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