2016年03月19日

日本における外国語学習(指導)について考慮すべき要素のひとつ


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中野好夫『英文学夜ばなし』(同時代ライブラリー、1993年)より備忘のため書き留めておきます。


日本の英語教育の非効率もきわまれりという。わたしも別に否定するつもりはないが、考えても見るがよい。毎週英語の時間というのがいくらあるか、よく知らぬが(せいぜいが五、六時間程度ではないのか)、まず毎日一時間ならいい方であろう。一日二十四時間、一週七日と数えて、毎週合計百六十八時間のうち、英語に接するのは、予習復習を含めてさえ、せいぜい十時間と少々というのが関の山であろう。しかも、予習復習は必ずやるとはかぎらぬし、しかも、教室の一時間といったところで、四、五十人もいるクラスでは、居眠っていてさえときには優に過ごせるのだ。おまけに、教室外ではまず英語など使う必要はないとなれば、いったいこれでどんな効果をあげろというのだろうか。箸は二本、筆は一本、勝負は最初から決まっているといったのは、明治の文人正直正太夫こと斎藤緑雨の名警句だが、日本語は十五時間? 英語は一時間という毎日で、どう上達ができようか、というのである。(pp.150-1)


日本語の場合は、学校での国語教育がどうであれ、とにかく一日の四六時中、すべて日本語の中にひたっているはずである。能力低下は共通でも、国語と英語とでは事情がまったくちがうのだ。(p.151)



posted by 石崎 陽一 at 10:57 | Comment(0) | 最近読んだ本からの気づき | 更新情報をチェックする
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