2015年05月10日

大学生による授業見学を終えて


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一昨日は教員志望の大学生が指導教官の先生とコミュニケーション英語Tの見学にいらっしゃり、

いつも以上に快い緊張感をもちつつ授業をさせていただきました。

生徒たちはお客さまが自由に動かれて活動の様子を間近でご覧になっているのにも気づかぬほど熱心に取り組んでいました。

普段と変わらぬ様子を見てもらえたのではないかと思っています。

−−−−−−

事後、90分ほど、研究協議と情報交換をいたした折り、

学生さんとその指導教官の方から、以下のような過褒なお言葉を頂戴いたしましたけれども、

生徒たちのいいところを見ていただいたことはたしかではないかと感じているところです。


研究が隅々まで行き届いているのが伝わってくる

たくさんの中で何を選び出し、どう伝えるか(凝縮するか)という姿勢が徹底している

入学して1ヶ月なのに生徒との人間関係がしっかりできている

生徒との日頃のコミュニケーションの豊富さや教室の雰囲気作りの成果が伺える

生徒とのやりとりを含めた授業テンポがいい、職人技である

授業の後半も生徒に中だるみがない

ペアワークを多用されていたが、生徒はよく取り組んでいた

生徒の発音が全体的にきちんとしていた

−−−−−−

その他、次の質問を頂戴し、それぞれにつき考えるところをお話させていただきました。

貴重な時間を割いてせっかくお越しになられたのですから、できる限りのことをして差し上げようと思いましたが、さて、どうだったでしょうか。


集団における個人的な習熟度の差に対する treatment について、組織面での支援も含め、考えと取り組みとを聞かせてほしい

授業は、一般に、説明、理解、蓄積(memorize)、練習などのフェーズに分けて考えることができる。中でも、進学校と言われる学校の授業では、蓄積と練習を生徒の家庭学習に回しがちだと思う。ところが、先ほどは授業内で蓄積と練習のシーンを確保していた。その狙いは何か。

時代の流れというのか、コミュニケーション、とか、実用性(practical)、とかいったことが授業で求められていると思うが、伝統的な指導法の中に、その辺りが融合しているように見られた。どのような配慮と工夫をされているのか。

−−−−−−

帰宅の途上、満員電車であれこれ振り返っていたのですけれども、

私は、2008年、灘校(兵庫県神戸市)の木村達哉先生にお会いして以来、


講義中心の授業ではなく、生徒の発言・議論を中心とした授業の展開を意識すること

発言すること、議論することの面白さ、つまり、教室でみんなで学習することの楽しさを体験させながら、「伝える力」を涵養すること

いかに意欲を喚起するか、意欲を喚起できる教材を用意できるか、与えられた教材でも、意欲を喚起する新たな切り口を見つけられるか、意欲を喚起する授業の展開とはどのようなものか、を、目の前の生徒の実態を踏まえて工夫すること


などを授業作りの中心に据えてきました。


7年前には見えていなかったことが、いま、少しずつ、見えるようになってきています。

「継続は力なり」ですね。


これからも目の前の生徒のために個の力を高めていくとともに、

東京都の英語教育、ひいては日本の英語教育のためにできることをしていきたいと考えています。


それでは、また。


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学問とはそれ自体が尊いものではない
学べ学べ
学んだすべてのものを
世の人のために
尽くしてこそ価値があるんだ
 (内山壽一)


posted by 石崎 陽一 at 09:40 | Comment(0) | 日々の授業 | 更新情報をチェックする
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