2014年03月29日

認知(cognition)


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認知(cognition)について、池上嘉彦『〈英文法〉を考える』(ちくま学芸文庫、1995年)より備忘のため書き留めておきます。


ここで言う〈認知〉とは、最近の〈認知科学〉(cognitive science)や〈認知心理学〉で言われる意味での〈認知〉である。ごく一般的に言えば、人の〈意味〉を読みとる営みと考えればよいであろう。人間は自分の身体の外から、あるいは内からのさまざまな影響を〈刺戟〉として感じとる。しかし、ただ〈刺戟〉として感じとるというだけではなくて、それが一体自分にとってどういう意味のものであるかを読みとろうとする。(例えば、〈熱い〉とか〈痛い〉と感じるということだけではなくて、それが〈燃えているものの存在〉とか〈身体の異状〉とかいったことであると読みとられるというような場合である。)

この意味での〈認知〉は、術語としてふつう〈感覚〉(sensation)や〈知覚〉(perception)と対比される。過度に単純化した形では、次のようなことが言えるとのことである。例えば、まだ知らない言語に初めて接した時のことを想像してみよう。当初はもちろん〈意味〉は読みとれないし、〈意味〉を読みとることの前提になるようなまとまりも聞きとれない。ただ、何か音が連続して聞こえてくるという状態であろう。これは〈感覚〉の段階である。次に、いくらか慣れてくると、連続していた音の間で、多分〈意味〉と関連していると思われる(それが実際に確認できるのは、もっと後の段階ということになるが)区切りと区切りによって生じる意味あるまとまりらしいものが聞きとれるようになろう。ただし、まだそれぞれに〈意味〉を対応させるというところまでは行かない。これは〈知覚〉の段階と言えよう。そしてさらに進めば、それぞれのまとまりらしいものに〈意味〉を対応させ、全体としての〈意味〉を構成し、読みとるということが可能になるであろう。ここまで来れば、〈認知〉の段階である。(以上はもちろん過度に図式化された説明である。実際には、このように厳密に三つの段階を追って進むとは限らず、とりわけ〈知覚〉と〈認知〉は相互に深く関係し合うことが知られている。)
(pp.193-4)


ここで言う「認知」とは(中略)〈意味を読みとる〉(making sense of)という人間の営みのことである。言うまでもなく、言語は人間の認知の営みがもっとも典型的に行われる場である。そのような認識に立って、認知言語学は、言語の使われ方(つまり、「運用」)ばかりでなく、言語の今ある姿そのもの(つまり、「構造」)にも、人間の認知の営みの特性が濃く影を落としていると考える。言語は、伝統的な考え方としてしばしば言われてきたような「恣意的」(arbitrary)な性格のもの − つまり、そうなっているからそうなっているのだとしか説明できないようなもの − でなく、「認知」という人間の営みに現れる特徴的な偏向性と関連させてその成り立ち、働き方が十分説明できるというのがその前提である。(pp.292-3)


posted by 石崎 陽一 at 21:20 | Comment(0) | 最近読んだ本からの気づき | 更新情報をチェックする
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