2013年08月10日

見習う手本を正しく選ぶ


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村田聖明『[続]ひとりぼっちの英語人生』(日本英語教育協会、1984年)より備忘のため書き留めておきます。


十八歳で渡米し、まず私立の高校へ入った。(中略)いわば英語の「稽古」を常にしているようなものだった。この意味で、英語を勉強するために英語圏へ行く人が一番気をつけなければならないのは、日本人と接触しないことだ。(中略)仮に、お互いに英語を話しても、下手な者同士の「稽古」は効率的ではない。

だから、「アメリカに何年いた」ということ自体は、その人の英語修行の内容とは関係がない。肝心なことは、アメリカに何年にいたか、ではなく、「どのようにして」いたかということなのだ。
(pp.110-1)


アメリカやイギリスへ行きさえすれば、ひとりでに英語がうまくなる、というのは間違いである。それに比べれば、一歩も日本から外へ出なくても心がけ次第で英語に上達することも可能である。今日の日本では、それが可能な機会や教材が十分にある。要は心がけなのだ。(p.111)


私の場合、幸か不幸か、在米七年の大部分は太平洋戦争と戦後の期間であった。開戦後まもなく、アメリカ西部海岸の日系人の強制収容に巻き込まれて、収容所に送られた。しかし、収容所の中では日経米国市民の人たちと接触をすることによって、英語の修行には事欠かなかった。

彼等に英語で日本語を教えたことも、大変勉強になった。
(p.111)


おかげで、収容所から出て初めてアメリカの大学の一年生になった時、それは日本を発ってまる二年語だったが、大学の勉強についていくのにたいした苦労はしなかった。(p.111)


しかし、私の英語の苦行はまさにこの頃から始まった。働きながら四年で終える大学の課程を二年半で終えるということは、自国語で大学の勉強をする人にとっても、相当きついと思われる。しかし、私はなんとかこれをやりとげ、そのあと、一日五時間、週七日の労働で学費と生活費を稼ぎながら、普通は二年かかる大学院の修士課程を一年で終えた。

この間、いうまでもなく、起きている時間の圧倒的大部分はアメリカ人との接触に費やされた。この点、私の在米期間が戦前、戦中、終戦直後という期間であったことは幸せであった。顔を合わせる日本人が少なかったからである。
(pp.11-2)


すべての技術の向上は、よい技術の模倣から始まる。(p.113)


posted by 石崎 陽一 at 23:09 | Comment(0) | 印象に残ったこと | 更新情報をチェックする
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