2013年03月23日

【連載】現代標準英語における二重否定の使用回避を促した要因について(その12)



文典の規範性


前回までの記事で、現代標準英語における二重否定の使用回避に及ぼしたラウス文典の影響について、

ラウスの学問的・社会的地位同時代人によるラウスとその文典への評価文典執筆の基本方針という観点から考察してきた。

以上の観点に加えて、ラウスが設定した基準は「最良の作家たち」(our best authors)の用法をも超越するものであった。

「規範性はこの本の大部分に現れており、名高い作家連も容赦はされなかった」(Prescriptiveness appeared in many parts of the book, and reputable writers were not spared)のである。

彼自身のバックグラウンドから生じる発言の重み、発言の持つ信頼性といったものに支えられて、彼の文法書も、学べば大作家の文章でも訂正できるほどの権威、規範性を有していたことがわかる。

こうした姿勢は「教室的態度というもののまさに淵源」(the very fountainhead of a schoolroom attitude)というべきものであり、

これ以後教室における文法の学習は他人の文章の粗探しに終始するようになり、そして自らが書く際にも神経質になり過ぎてその文章はぎこちなく、色褪せたものと化すといった弊害を生むようにまでなった。

しかしこれは逆の見方をすれば、それほど大きな影響力をラウスの文法書が読者に対して示していたことの証左になる。

ピンカーはこの規範性に触れ、「いかに理不尽なものであれ、規範文法の規則はいったん導入されるとそれを根絶するのは至難の業」(... once introduced, a prescriptive rule is very hard to eradicate, no matter how ridiculous)である。

というのも、「実例を以て果敢にもある規則をひっくり返そうとする人は誰しも、自分がその規則を拒否して背いているのだというよりもむしろ、無知であるが故にその規則に従えないのだと読み手側に判断される心配を、常にしなくてはならない」(Anyone daring to overturn a rule by example must always worry that readers will think he or she is ignorant of the rule, rather than challenging it)からで、

こうした規則は「ちゃんとした学校教育を受けられた人たちしか従うことのできないほど、心理的には甚だ不自然なものである故、エリートとクズとを選別するシボレスとしての機能を果たす」(since prescriptive rules are so psychologically unnatural that only those with access to the right schooling can abide by them, they serve as shibboleths, differentiating the elite from the rabble)ものだと述べている。

そしてそれは書き物をする人の神経をすり減らし、疲労せしめる一種の「恐怖」(terror)となるほどだ、とまで極言している。

ピンカーがいかなる時代を念頭においてこの発言をしたかは定かではないが、ラウス以来生じた文典の規範性の大きさを物語ってくれる貴重な証言であることは確かである。


(追記1)

「最良の作家たち」(our best authors)という表現は Robert Lowth, A Short Introduction to English Grammar, 南雲堂英語文献翻刻シリーズ第13巻(郡司利男解説)(東京、南雲堂、1968年、p.12)より引いた。

(追記2)

当時の状況は次のようであった。(和訳は拙訳。)

For a really satisfactory standard he[=a conscientious grammarian]has to look higher−not at the actual sentences the authors wrote, but at the sentences they would have written if they had understood grammar better, and practiced it more carefully−if they had, in fact, studied and followed the book he is in the process of composing.(Myers, p.226)

本当に満足のいく規準を求めて、誠実な文法家たる者はさらなる高みに目を遣る必要がある。すなわちその視線は、著者たちがもしも文法をもっとよく理解し注意深く実践しておれば、つまりもっとはっきり言えばもしも文をこしらえる過程でその文典を研究し従っておれば、きっと書いたであろうと思われるような文章に、据えられなければならないのである。その著者たちがものした実際の文章に目を配る必要はないのだ。

(追記3)

「規範性はこの本の大部分に現れており、名高い作家連も容赦はされなかった」(Prescriptiveness appeared in many parts of the book, and reputable writers were not spared)という文言は Robert Burchfield, The English Language(Oxford:Oxford University Press, 1985, p.96)より引いた。

(追記4)

「教室的態度というもののまさに淵源」(the very fountainhead of a schoolroom attitude)という文言は Myers(p.224)より引いた。

(追記5)

「教室における文法の学習は他人の文章の粗探しに終始するようになり、そして自らが書く際にも神経質になり過ぎてその文章はぎこちなく、色褪せたものと化すといった弊害を生むようにまでなった」という記述は Myers(p.228)の次の記述に基づいている。

... in many schoolrooms the study of grammar became an exercise in fault-finding;and a great many of people who had suffered through it became so nervous about possible criticism that their own writing became labored and colorless.

(追記6)

規範文法の規範性に関するピンカーの発言は Steven Pinker, The Language Instinct(New York:William Morrow, 1994, p.375)より引いた。

(追記7)

「恐怖」(terror)という表現は Pinker(p.375)より引いた。


(この項続く)



posted by 石崎 陽一 at 07:23 | Comment(0) | 連載 | 更新情報をチェックする
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