2013年02月11日

【連載】現代標準英語における二重否定の使用回避を促した要因について(その10)



同時代人によるラウスとその文典への評価


前回は主に DNB の記事に拠って文典出版当時(18世紀中葉)におけるラウスの高い学問的名声、社会的評判について述べたのであったが、

次に、ここでは、さらに具体的に、同時代人の下した彼と、また彼の文法書に対する評価を個別に見てみたい。

ラウス自身に対する評言としては、哲学者であり歴史家であったヒューム(David Hume, 1711-76)の「きわめて公平で、聡明な批評家」(a very candid&ingenious Critic)ということばが目を引く。

キャンベル(George Cambell, 1719-96)も The Philosophy of Rhetoric の中で「かの聡明なる紳士」(That ingenious gentleman)と評している。

ハリス(James Harris, 1709-80)はラウスに「学識ある高位聖職者」(the learned prelate)として言及し、

彼の文典については「英語の文法に関する実に見事な論考であり、英語に愛着のある者は誰でも、上品に、かつ正確に何かを書き、また話そうとするならば、よく研究し理解するべき」(... whose admirable tract on the Grammar of the English Language every lover of that language ought to study and understand, if he would write, or even speak it, with purity and precision.)との言を残している。

メソジスト教会の創始者であるウェズレィ(John Wesley, 1703-91)も、ラウスの人となりについては「ときとして偽善的なところがあるし、また、実際には粗がない場合でも粗探しをするところがある」(Bishop Lowth is sometimes hypocritical and finds fault where there is none.)としながらも、

その文法書に関しては「しかし、彼の文法書は現存するもののうちで最良のものであることは疑いを容れない」(Yet doubtless his is the best English Grammar that is extant.)との賛辞を呈している。


(追記1)

この節の引証は、Tübingen 大学の David A. Reibel 教授のタイプ原稿に全面的に負っている。以下、追記2〜5も同様。

(追記2)

「きわめて公平で、聡明な批評家」(a very candid&ingenious Critic)ということばは David Hume, The Letters of David Hume, Volume U, letter No.303. To the rev. Hugh Blair, Written possibly London Autumn 1771 より引いた。

(追記3)

「かの聡明なる紳士」(That ingenious gentleman)ということばは George Campbell, The Philosophy of Rhetoric(1776;Carbendale:Southern Illinois University Press, 1963), p.156 より引いた。

(追記4)

「学識ある高位聖職者」(the learned prelate)および「英語の文法に関する実に見事な論考であり、英語に愛着のある者は誰でも、上品に、かつ性格に何かを書き、また話そうとするならば、よく研究史理解するべき」(... whose admirable tract on the Grammar of the English Language every lover of that language ought to study and understand, if he would write, or even speak it, with purity and precision.)ということばは James Harris, Hermes:or, a philosophical inquiry concerning language and universa grammar からの引用だが、これは Peter Hall, Sermons, and Other Remains of Robert Lowth, D.D.(London:Rivington, 1834)に附せられた Memoir(p.24)に対する注からの孫引きである。ただし、ここにはページの指定の他、出版データが記載されておらず、したがって詳細は不明である。

(追記5)

「ときとして偽善的なところがあるし、また、実際には粗がない場合でも粗探しをするところがある」(Bishop Lowth is sometimes hypocritical and finds fault where there is none.)および「しかし、彼の文法書は現存するもののうちで最良のものであることは疑いを容れない」(Yet doubtless his is the best English Grammar that is extant.)ということばは弟のチャールズ(Charles Wesley)に宛てた1767年2月の書簡にみられる。


(この項続く)



posted by 石崎 陽一 at 17:44 | Comment(0) | 連載 | 更新情報をチェックする
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