2013年01月23日

【連載】現代標準英語における二重否定の使用回避を促した要因について(その7)



18世紀の社会情勢


教養階級のことばにおいて二重否定の使用回避が進行しつつあった18世紀、イングランドは強大な帝国の中心地となっており、そのイングランドの政治的・財政的中心であったロンドンで話されていたロンドン方言が、にわかに重要な世界語となった時期であった。

また当時は、非常にたやすく「社会階層間の『はしご』を昇り降りすること」(for the British to move up and down the social ‘ladder’)のできる時代でもあった。

ロンドンでは紳士のような身なりをしていれば然るべきもてなしをうける、といった具合で、貴族・紳士階級と中産階級との間には明確な差はなかったのである。

ほとんどの階級の人々が自由に交流していた。

しかしながら当時の上流階級・知識階級は、庶民の話すことばは自分たちの使っていることばよりも劣悪なものであり、また、まさにそれ故に庶民の考えることは自分たちよりも劣っているのだとみなしていた節がある。

例えば次の引用にそのことがうかがえる。(和訳は現筆者による。以下同様。)

The best Expressions grow low and degenerate, when profan'd by the populace, and applied to mean things. The use they make of them, infecting them with a mean and abject Idea, causes that we cannot use them without sullying and defiling those things, which are signified by them.

But it is no hard matter to discern between the depraved Language of common People, and the noble refin'd expressions of the Gentry, whose condition and merits have advanced them above the other.

庶民が俗な事柄を表すのに濫用すると、いかに最上の表現であっても、卑しく貶められることになる。庶民が使い、こうした表現に卑しむべき下賎な意味を付け加えてしまうと、我々が用いる際に必ずそうした表現が表す物事を汚して損ねることになってしまうのだ。

けれども、地位や勲功ある故に社会的に上位に居る紳士階級の人々の、気品があり、洗練された言い回しと、庶民の下品で卑しい物言いとを見分けること、これは何ら難しい問題ではないのである。


この時代、「教養階級の『洗練された』ことば使いと庶民の『卑しい』言い回しとの明らかな相違は、とりもなおさず知的能力の違いを反映していると、信じられていた」のである(... it was believed that the contrasts between the refined language of the classically educated class and the vulgar language of the common people mirrored equal differences in intellectual capabilities...)。

前述のように、上流階級と中産階級との間のつきあいは普通であったのであるから、中産階級の人々も同様な見解を抱いていたとしても不思議ではない。

したがって、この「史上空前の社会変動」(unprecedented social mobility)の時代、庶民が出世するには社会の上層階級のよしとする英語、つまり彼らの使っている refined な英語を学ぶことが必要不可欠であり、またその習得が急務となったわけである。

まさにピンカー(Steven Pinker, 1955-)の指摘するように、「教育や自己修養を望む者や教養人として自己を際立たせたい者は誰でも、最もよいとされる種類の英語を学ばなければならなかった」のだ(... anyone who desired education and self-improvement and who wanted to distinguish himself as cultivated had to master the best version of English.)。

しかし裏を返せば、そうすることで社会的に上昇することが約束されていた時代だったということである。

このような御時勢ゆえ、「当時、言語の正確な用法について教えを蒙りたいと考えている人の数は何百万にも昇っており、また、何千もの教師たちが何の遠慮も、また何のためらいもなく断固として教える土台となるようなものを望んでいた」(There were now millions of people who wanted to be told how to use the language correctly;and there were thousands of schoolmasters who wanted a basis for telling them−definitely and without hesitation or qualification.)わけで、「明確かつ信頼できる規則」(definite and dependable rules)を求める声が高まっていたのである。

習う側にとって習い甲斐のある英語へと導いてくれる手引き、教える側が自信をもって教えることを可能にせしめてくれる便覧が必要とされていたのだ。

18世紀はそのような学習者と指導者の双方の要請を満足させる類の文法書に対する需要が急速に高まった時代であったと言ってよい。


(追記1)

「18世紀、イングランドは強大な帝国の中心地となっており、そのイングランドの政治的・財政的中心であったロンドンで話されていたロンドン方言が、にわかに重要な世界語となった時期であった」という記述は以下に基づく。

London had become the political and financial center of England, and England had become the center of a powerful empire. The London dialect was suddenly an important world language.(Steven Pinker, The Language Instinct(New York:William Morrow, 1994, p.373))

(追記2)

「当時は、非常にたやすく「社会階層間の『はしご』を昇り降りすること」(for the British to move up and down the social ‘ladder’)のできる時代でもあった」という記述は David McDowall, An illustrated History of Britain(Harlow:Longman Group, 1989, p.115)に基づく。

(追記3)

「ロンドンでは紳士のような身なりをしていれば然るべきもてなしをうける、といった具合で、貴族・紳士階級と中産階級との間には明確な差はなかったのである。ほとんどの階級の人々が自由に交流していた」という記述は以下に基づく。

In London a man who dressed as a gentleman would be treated as one. It was difficult to see a clea difference between the aristocracy, the gentry and the middle class of merchants. Most classes mixed freely together.Ibid.)

(追記4)

「当時の上流階級・知識階級は、庶民の話すことばは自分たちの使っていることばよりも劣悪なものであり、また、まさにそれ故に庶民の考えることは自分たちよりも劣っているのだとみなしていた節がある」という記述は以下に基づく。

... if the language of the common people was regarded as inferior by the educated upper classes in the eighteenth century, then their ideas and thoughts would be similarly devalued.(Dennis Freeborn, From Old English to Standard English:A Course Book in Language Variation across Time, London:Macmillan, 1992, p.190)

尚、こうした傾向はチューダー王朝以降のものである。

Until Tudor times the local forms of speech had been spoken by lord and peasant alike. From Tudor times onwards the way people spoke began to show the difference between them. Educated people began to speak “correct” English, and uneducated people continued to speak the local dialect.(McDowall, p.85)

チューダー王朝(1485-1603)まではその地方、その地方のことばが領主とその領民とに関わりなく話されていた。チューダー王朝以降はその話しっぷりで領主と領民との区別が明らかになるようになった。教育を受けた人々は「正しい」英語を話すようになったが、そうでない人々は依然として地方方言を話し続けたのである。

(追記5)

The best Expressions で始まる引用は Art of Speaking, rendered into English from the French of Messieurs du Port Royal(1676, 2nd ed., 1708)が原典である。Freeborn(Ibid.)より孫引きした。

(追記6)

「教養階級の『洗練された』ことば使いと庶民の『卑しい』言い回しとの明らかな相違は、とりもなおさず知的能力の違いを反映していると、信じられていた」という内容の引用は Freeborn(p.191)より行った。

(追記7)

「史上空前の社会変動」という内容の引用は Pinker(p.373)より行った。

(追記8)

「教育や自己修養を望む者や教養人として自己を際立たせたい者は誰でも、最もよいとされる種類の英語を学ばなければならなかった」という内容の引用は Pinker(Ibid.)より行った。

(追記9)

「当時、言語の正確な用法について教えを蒙りたいと考えている人の数は何百万にも昇っており、また、何千もの教師たちが何の遠慮も、また何のためらいもなく断固として教える土台となるようなものを望んでいた」という内容の引用は L.M.Myers, The Roots of Modern English(Boston:Little, Brown&Co., 1966, p.212)より行った。

(追記10)

「明確かつ信頼できる規則」という内容の引用は Myers(Ibid.)より行った。


(この項続く)



posted by 石崎 陽一 at 04:48 | Comment(0) | 連載 | 更新情報をチェックする
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