2013年01月13日

【連載】現代標準英語における二重否定の使用回避を促した要因について(その5)



二重否定の使用回避の時期と原因


二重否定はエリザベス朝(1533-1603)までは話者の属する社会階級に関わらず用いられていた。しかし、現在、標準英語ではこの語法は忌避されている。

上流階級においてこの用法が消滅した時期を、クノレックは詩、小説、戯曲から日記、書簡、説教、そして知的散文に至る様々な文学ジャンルにおける調査の結果に基づいて、推定している。

それによると、

「1766年の時点でもうすでにほとんど上流階級の言語慣用からは完全に姿を消し去っており、ただ下層階級においてしか用いられていなかった」(... sie um diese Zeit[1776]bereits fast ganz aus dem Sprachgebrauch der höheren Schichten geschwunden war und nur noch in den unteren Klassen angewandt wurde.)

ということである。

それでは、この時期に教養階級のことばから二重否定が消失したのは何が原因なのであろうか。

クノレックの調査に依ると、二重否定の使用が最も少ないのは詩である。このことからまず、次のような推測がなされている。

Daß die Dichter sie nicht häufiger anwandten, zeigt, daß man sie doch als etwas Vulgäres, zum mindesten aber als eine nicht zur gehobenen Ausdrucksweise gehörige Sprachform empfand, denn gerade die Dichter hätten sie aus verschiedenen technischen Gründen gut gebrauchen können, da sie mitunter den Rhythmus zu glätten und die Silbenzahl auszugleichen vermag.

詩人が比較的頻繁には使っていないということはすなわち、二重否定が何か卑俗なものとして、少なくとも格調の高い言い回しには属さない言い方として感ぜられていることを示しているのである。というのも、二重否定はリズムを整えたり音節数を調節したりすることができるので、まさに技術的な理由から使おうと思えば便利に使えたであろうからである。


さらに、その作品において neither の後にはほぼ例外なくor を続けるデフォー(Daniel Defoe, 1660?-1731)も、

「オランダ生まれの William Vを支持するため」「イギリス人が混血國民であることを明らかに」する目的で書いた風刺詩『正嫡の英国人』(The True-Born Englishman, 1701)においては nor を使っているという事実から、

... die Poesie, besonders die lyrische, im allgemeinen solche Konstruktionen meidet, die zu stark das Logische unterstreichen. Für die Poesie aber, die z.B. satirischen Zwecken dient, gilt das in viel geringerem Maße, da hier natürlich eine Hervorhebung des Logischen nicht unpoetisch wirkt.

……詩、特に叙情詩は一般的に、あまりにも論理性を強調し過ぎるような構文を取らないものである。しかし、このことは、例えば風刺の目的を果たすような詩に対してはほとんど当てはまらない。というのも、風刺詩では当然、論理性の強調が詩情に乏しいという印象を与えることはないからである。


としている。

風刺詩においては論理性を強調しても、それが詩情を損なうということはないため、二重否定による否定の強調が行われ得るのであるが、その一方で叙情詩では論理性を強調する構文が避けられる傾向があるとの指摘である。

そして以上のことから

「格調の高いことばは否定の要素の殊更に力のこもりすぎた強調に対してある種の嫌悪を抱いているように思われる」(... könnte es fast so scheinen, als ob die gehobene Sprache eine gewisse Abneigung gegen eine zu nachdrückliche Hervorhebung des negativen Elementes hege.)

としている。

この考察から

「一度言語的に鍛えられ、全体的知的体質において、もはや感情強調的ではないような時期においては二重否定は次第に使われなくなるに違いない」(... in einer Epoche, die einmal sprachlich geschulter, dann aber auch in ihrer ganzen geistigen Veranlagung nicht mehr gefühlsbetont war, die doppelte Verneinung allmählich außer Gebrauch kommen mußte.)

と断じ、

「その消失に関与しているのは、論理を求める傾向というよりも、より正確には、目的活動の強まり、すなわち表現活動の弱まりが必然である」(An ihrem Untergang ist aber weniger das Streben nach Logik beteiligt, als viel mehr ein Wachsen der Zwecktätigkeit, ein Nachlassen der Ausdruckstätigkeit erforderlich.)

と結論している。

情念が溢れんばかりのときは、その強い表現意欲のため、感情的に否定語を次から次へと累加してゆくことになる。

が、感情的になることなく理性的に自分の言わんとする内容を伝えようとする際は、冷静にその使用を控えることができるので、余分に否定語を重ねて強めるようなことは見られないということである。

これまで述べてきたところをまとめると次のようになる。

17、18世紀は‘Ausdruckstätigkeit’よりも‘Zwecktätigkeit’が優先された時期であった。そして、否定が殊更に強調された文章は格調高いという印象を与えることはなくむしろ卑俗な感じが付着していた。

それまでは否定の観念を伝えるには否定語を重ねるという心理が強く働いていたのであるが、かくして、上流階級の人々によって自発的に二重否定の使用が控えられる方向に向かったということである。


(追記1)

上流階級における二重否定の消滅の時期に関するクノレックの推定は Knorrek(pp.26-7)から引いた。

(追記2)

二重否定の使用が最も少ないのが詩であることに対する分析は Knorrek(pp.30-1)から引いた。

(追記3)

デフォーは「その作品において neither の後にはほぼ例外なくor を続ける」という箇所は次の記述(Knorrek(p.38))に基づいている。

Sogar Defor, der ... neitheror fast durchgängig vorzieht, weist in seinem ‘True-Born Englishman’ etliche Konstruktionen mit neithernor auf.

(追記4)

『正嫡の英国人』に関する記述は斎藤勇『イギリス文学史』(改訂第4版、東京、研究社、1957年、p.231)より引いた。

(追記5)

叙情詩では論理性を強調する構文が避けられる傾向があるという指摘は Knorrek(p.38)から引いた。

(追記6)

上流階級における二重否定の消滅の原因に関するクノレックの結論は記載の順に Knorrek(pp. 38, 34, 35-6)より引いた。

(追記7)

‘Zwecktätigkeit’も‘Ausdruckstätigkeit’も、両語とも Wilhelm Horn and Martin Lehnert の Laut und Leben:Englische Lautgeschichte der neueren Zeit(1400-1950)(Berlin:Deutscher Verlag der Wissenschaften, 1954)の中で、大母音推移の仕組みを説くのに用いられた語である。それぞれの語に対する規定は次の通りである。

Zwecktätigkeit については、

Der Sprechende will dem Hörer oder den Hörern eine Mitteilung machen, einen Sachverhalt darstellen. Die Sprache ist in diesem Fall auf dieSache gerichtet. Sie strebt nach Klarheit, Kürze und Ordnung. Man nennt sie „Mitteilung“, oder „Bericht“, oder „Darstellung“. Da diese Sprache besonders zweckerfüllt ist, wollen wir sie kurz zwecksprache nennen, und das Sprechen dieser Sprache „Zwecktätigkeit“.(Ibid., p.7)

話し手は、聞き手たちに対して伝達をし、実状を示したいと思う。こうしたとき、言葉は事物に注意が向けられている。明瞭で、簡潔で、整然としたものになろうとする。こうした言葉使いは「伝達」や「報告」、ないし「描写」と呼ばれる。特にその目的に適ったものであるので、こうした言い回しを簡潔に「目的言語」と呼び、これを話すことを「目的活動」と呼ぶことにしよう。


と取り決め、一方、Ausdruckstätigkeit に関しては、

Der Sprechende will seine Gefühlen oder dem Affekt Ausdruck geben. Das tritt zutage in der Verwendung der sprachlichen Mittel, besonders auch in der Tonbewegung ... sie ist geladen einerseits mit Gefühl oder Affekt, und anderseits betont sie den Willen. Im ersten Fall ist sie „Ausdruckssprache“, ihr Sprechen „Ausdruckstätigkeit“(Ibid., p.8)

話し手は自らの感情や興奮を表現したいと思う。これは言語手段、特に語調の変化に明白に現れる……言葉は一面においては感情や興奮を担い、他方では意志を強調する。前者の場合、その言葉は「表現言語」であり、これを話すことは「表現活動」である。


と定めている。

(この項続く)



posted by 石崎 陽一 at 10:25 | Comment(0) | 連載 | 更新情報をチェックする
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