2013年01月05日

【連載】現代標準英語における二重否定の使用回避を促した要因について(その1)



はじめに


学部1年の冬、『カンタベリー物語』(The Canterbury Tales, mainly 1387-88)のプロローグを読んでいた折りのことである。(和訳は現筆者による。)

And of his port as meeke as is a mayde.
He nevere yet no vileynye ne sayde
In all his lyf unto no maner wight.
He was a verray, parfit gentil knyght.

そしてその振る舞いについて言えば、娘の如くに楚々としており
一生涯の間、どんな類の人に対しても
決してどんな悪いことをも言ったことはありません。
彼は全く立派な、誠の騎士でありました。


この箇所にさしかかったとき、何か違和感のようなものを覚えたのを記憶する。今にしてみれば、あれは否定語の執拗なまでの繰り返しというそれまでは馴染みのなかった語法に対するごく自然の反応だったように思う。

というのも、現在では “He don't know nothing.” のような表現は非標準とされており、こうした物言いをする人は、それこそ “know-nothing” と見なされてしまうというから、大学入試に出題されるほどの文章において、先の例のように、否定を強めるのに否定語の累加を以てするが如き言い方を目にすることはまずないのが当然と言えるからである。

このように否定の観念の強調の手段として文の至るところに否定語を配置するのは、現代標準英語においては廃れた語法であるため、当時の作品に接する際には、かつてはこのような言い方が行われていたことを心得、念頭において読み進めなければ内容の正確な把握には至ることができないわけである。

それだけに、こうした累加否定の用法の存在は強く頭に残った。


(追記1)

『カンタベリー物語』の本文は大山俊一『カンタベリー物語・プロローグ』(篠崎書林、1931年、pp.3-4(ll.69-72))より引いた。

(追記2)

“know-nothing” という評言は Theodore M. Bernstein, The Careful Writer:A Modern Guide to English Usage(New York:Atheneum, 1977, p.xv)における次の記述に基づいている。

Let us not hesitate to assert that ... ‘He don't know nothing’ are at present incorrect, no matter how many know-nothings say them.


(この項続く)



posted by 石崎 陽一 at 18:31 | Comment(0) | 連載 | 更新情報をチェックする
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