2012年12月30日

福原麟太郎『ヂョンソン』(研究社、1972年)


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福原麟太郎先生のご著書は不思議な魅力に満ちています。私はいつも読後に勉強しようという気持ちを喚起されてきました。

『英文學六講』(角川文庫、1954年)を読んだ折りにはチャールズ・ラムの伝記や随筆集を繙きたい気持ちになり、

「英語辭書の話」(『新英語教育講座』第六卷(研究社、1956年、pp.103-56))の読了後は P.O.D. を常に携帯しておきたい気持ちに駆られたものです。

こうした教育力を有する福原先生の御本は、interesting and instructive でもあります。

盛られた内容が学術的にしっかりしており、かつ肩肘張らずに気軽に読める。

今回ご紹介する『ヂョンソン』(研究社、1972年)もそんな一冊です。


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本書は研究社「新英米文学評伝叢書」の一冊として刊行されました。

「はしがき」によりますと、戦前の偉業である「英米文学評伝叢書」全百巻を戦後に再版する計画があったものの、それは実現せず、

代わりに題目も著者も再考し、その後の研究成果も加味するなど、紙面を一新させることになったそうです。

福原先生が受け持たれたジョンソン博士こと Samuel Johnson(1709-84)は英文学の巨人であり、偉大なる辞書編纂家であり、文芸批評家であり、有能な伝記作家です。

『研究社英米文学辞典 増訂新版』(研究社、1961年、p.534)によれば「今日に至るまでイギリス国民の理想的人物として慕われている」。

英国では、ざわざわと騒がしい会場でも、「ジョンソン曰く」と誰かが言えば、しんと静まりかえる、という伝説があるほどの人物。

その伝記は、後述するボズウェル(James Boswell(1740-95))の『ジョンソン伝』をはじめ D.N.B. の詳細な記述や研究書に至るまで、枚挙に暇がありません。

(生誕300年にあたった2009年には、海外ではさまざまなイベントが行われ、関連書籍も盛んに出版されました。)

中でもボズウェルの作品 The Life of Samuel Johnson(1791)は

世界一の伝記だといわれ、その面白さも随一(本書 p.5)

とされています。

その内容は、1763年に初めて出会った30歳以上も年下の青年ボズウェルがジョンソン博士に御神酒徳利の如く同行し、その言動をつぶさに記録したものであり、


ものを食べるときにどうした、街の角を曲る時にどうしたという様なことまで書いて伝記を拵えた


のです(『英文学入門』(河出書房、市民文庫、1951年、p.151))。

また、齋藤勇『イギリス文学史 改訂増補第五版』(研究社、1974年、p.271)によると Johnson が病没するまでおよそ20年の間彼に会った日数は、僅かにおよそ270でしたが、


彼の会話を出来るだけ多く、そして出来る限り正確に記録することにもっとも情熱をそそぎ執念を抱いた(中略)ときには恥も外聞も忘れて一言一句もききもらすまいと耳を傾け、独特の速記法で記録した。(中略)他の人たちからの、また聞きのものもあるが、機会があればヂョンソンに直接その真偽を確かめる周到さもあった(本書 pp.306-7)


ために、ジョンソン研究には不可欠の第一級資料となっています。

したがって、伝記というよりはむしろ言行録といったほうが適切かもしれません。

そのボズウェルの『ジョンソン伝』と比べますと、本書の構成は、ジョンソン博士の主要な作品を軸として章を構成しているのが特徴と言うことができます。

一生が編年体式に綴られている点は同様ですが、作品にまつわるエピソードがまとまりよく記されており、紀伝体の感さえ抱くほどです。

また、ジョンソン博士は座談の名手でもあり、その人柄は座談によって躍動し、人間や社会に対する英知が遺憾なく発揮されたと福原先生は指摘されます(本書 p.301)。

それ故


ヂョンソン伝記の面白さは、その言行の面白さであり、そのためには、こうこういう場面で、ヂョンソンはこう一喝したというふうに十分に背景と事情が書いていないと、その面白さがわからない(本書 p.D)


と喝破され、巻末にヂョンソン語録を付して本編の言行録的不足を補っておられます。

それにより、たとえば、あまりにも有名な


「いやいや君、かりにも知的な人間だったらロンドンを離れたいと思う者はいないよ。そうだ、ロンドンに倦きたら人生に倦きたということだ。ロンドンには人生の提供するあらゆるものがあるんだからな」

Why, Sir, you find no man, at all intellectual, who is willing to leave London. No, Sir, when a man is tired of London, he is tired of life;for there is in London all that life can afford.(20 September 1777)



というジョンソンの台詞も、ボズウェルが

「もし私がロンドンに定住するようになったら、ときどき訪ねる時味うロンドンに対するすばらしい興味も次第に失せて退屈するようになるかもしれませんね」

と口にしたのに答えて発せられた、という脈絡がわかるといった具合。

巻末のヂョンソン語録は、このように、『論語』と同様の形式にて、博士の人となりが伝わる珠玉の名言がコンパクトに収められており、本書の特長の一つとなっています。

福原先生は『英文学入門』(河出書房、市民文庫、1951年)において


如何に生きるかを考えることを教えてくれるのが、文学の中にあるウィズドムなのであります。ドクター・ヂョンソンは人生のウィズドムを語ったという点で、英国人には非常に意味のある文人なのであります。(p.135)


片言隻句の間に、ヂョンソンが非常に人情が深く又人間のことを知って居った、人生という者はこんなものだということを考えて居た、悟って居たということを思わせるものが沢山あるのであります。(p.160)


と語っておられますが、しかし、それというのも伝記として残されているからこそ財産となり得るわけです。

ジョンソン博士は偉大だが、伝記を残したボズウェルもまた偉大である。

書籍を編集し、世に送り出す人々の社会的意義や歴史に果たす役割は大きい。

そう痛感します。

この冬、ボズウェル『ジョンソン伝』を手に、さらに多くのジョンソン博士の言葉に耳を傾けたくなりました。


(追記1)

「ヂョンソン」という表記について、福原先生は

私は英米の人名地名などをカナがきにするとき、私自身できめたルールに従うことにしているので、ジョンソンではなくヂョンソンと書くことをお許し下さい。(p.2)

と書かれています。

(追記2)

Boswell と言えば一般に「忠実な伝記作家、熱烈な信奉者」の意もありますし、人の言行を記事に「細大漏らさず書く、克明に記録する」ことを表す Boswellize という動詞もあります。


posted by 石崎 陽一 at 14:43 | Comment(0) | 本の紹介 | 更新情報をチェックする
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