2011年06月26日

「時制」について


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岡道男『ぶどう酒色の海 西洋古典小論集』(岩波書店、2005年、pp.34-36)より引用します。


英語とラテン語の時制は、時を一本の直線として考えるとよく理解できる。(中略)その背景には、時を直線としてとらえる考えがうかがえるのである。


う〜ん。たしかに、私は英語の完了形の概念を教える際、右方向に矢印の向いた直線を活用してきましたが説明によく馴染むわけです。


これにたいし、ギリシャ人は時を永遠にめぐる環(kyklos, 英cycle)とみなした。(中略)またギリシャ人は、過去は「前方」にあるが、未来は「後方」にあると考えていた。この事実はかれらが未来よりも過去にたいしてより大きな関心を持っていたことを示す(後略)


む。したがって、ギリシャ語ではもともと未来は願望や意志などを表す表現によって示されていたのですね。


そして岡氏は筆を進めて、


このように自分の前方に過去を眺め、後方に未来を置く人間が、現在、過去、未来を中心とした「時制」をつくり出すことは考えられない。


こう述べ、次のように指摘します。


つまりギリシャ語の動詞は時のみでなく、ひとつの動作が継続しているか、完了しているか、あるいは瞬時的であるか等を示すのである。これは文法上アスペクト(相)といわれるものであるが、このような動詞の機能は元来、現在の時点から過去を眺めるときにおいてのみ可能である。


この一節に至ったとき、私は文字通り目から鱗が何枚も落ちる気がしました。


実に面白い。


興味深い記述はさらに続きます。


他方ラテン語では「前方」は過去ではなく、未来を意味するようになる。(中略)一般にローマ人は、ギリシャ人とは対照的に、日常の生活においても、国家の建設においても、つねに未来を見つめ、将来を配慮した。それはローマ人の現実的な気質の反映でもある。


そして、こう結論づけられます。


ラテン語においてアスペクトに代わって(同時にアスペクトを利用して)整然たる時制の体系がつくり上げられたのも決して偶然ではない。


この滋味溢れる研究余滴、柳沼重剛『語学者の散歩道』(研究社出版、1991年)とならぶ愛読書になりそうです。


posted by 石崎 陽一 at 04:58 | Comment(0) | 今日知ったこと、得たこと | 更新情報をチェックする
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