2011年05月31日

英文法に対する誤解を解く



以前記したように、私は英文法史(特に18世紀)に関心があり研究を続けています。(そのときの記事はこちら。)


今回のエントリーではその過程で得た知見を活かし、英文法に対する誤解を解いてみたいと思います。


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実はつい最近、

今の英文法が使えないのは結局ラテン文法の枠組みに英語を無理矢理組み込んだことによる

という趣旨の発言を耳にしました。


ええ、まぁ、たしかに、英文法の発生期においてはラテン文法の枠組みに英語をはめ込んでいく努力がなされたのはありましたが、

規範文法(学校文法)の成立過程はこれとは逆にラテン文法から離れていくことでした。


すなわち、英語をラテン語化しようとしたのではなく、その逆にラテン文法を徹底的に英語化したのですね。


もちろん、枠組みや用語は当時「普遍的」とされたラテン文法のそれを用いるのですが、その内容はできるだけ英語の genius に近い形にもっていこうとする努力の過程。


それが英文法成立の歴史なのです。


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発生期の英文法に関して、大塚高信博士は次のように述べておられます(下線は現筆者)。


Shakespeare が Stratford の grammar school に於て small Latin と less Greek を學んだといはれる1580年頃には、英語の文典なるものは存在して居なかつた。之はしかし Shakespeare にとつては幸運であつたと謂はなくてはならぬ。何故なら、後から出來た文典の性質より推して當時の文典を想像してみ、それによつて若し彼が art of writing English correctly をヘはつて居たとしたら、恐らく吾々は今日Hamlet にもMeasure for Measure にも接し得なかつたであらうと思ふ。それ程初期の英語文典は英語の genius を無視したものであつた。即ち單に Latin 文法の器に英語の酒を盛つたに過ぎなかつたのである。


ここにありますように、たしかに初期の英文典はラテン文法の模倣であり、英語の genius を無視しており、無理がありました。


しかし、16世紀の Bullokar や 17世紀の Ben Jonson に始まり、18世紀半ば以降、Dr.Johnson, Priestley, Lowth を経て、18世紀末、Murray により英文法が一応の完成をみるまで、約200年の間、英文法家はラテン文法の枠組みをできるだけ英語の genius に近づけようとしていました。


このように英文法はラテン文法の英語化に他ならないのですが、どうも誤解されているところがありますので筆を執ったという次第です^^;


(追記1)

ちなみに、上記の文法家たちがラテン文法の枠組みを棄てなかったのは、それにより他の言語も習得しやすいという利点があったからです。

また、たしかに規範文法(学校文法)のおかげで Shakespeare は出なくなりましたが、その代わり論理的に考え、ものを書く技術が発達し、エッセイなど散文が盛んになって、英国の文壇に色を添えることとなりました。

(追記2)

大塚高信博士の引用は『英文法論考』(研究社、1952年)所収の論考「W.Hazlitte の文典に就いて」(p.302)から行いました。


posted by 石崎 陽一 at 12:27 | Comment(0) | 英文法史 | 更新情報をチェックする
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