2010年09月17日

私のゴールデンタイム(その2)


ここ十数年、断続的にではありますが、

朝3時の絶対的な静けさのなか

私はある1つのテーマに取り組んでいます。


今回はそのことについて書きたいと思います。


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現在でこそ英語は国際語と言われるほど強力な言語になっていますが、

たった400年前には、英語には文法書1冊なく、綴り字はめちゃくちゃ、語彙は貧弱ということで、

英語は野蛮な言語として大陸の人たちに軽蔑されていました。

大陸の人たちだけでなく、イギリスの識者も母国語(つまり英語)に対する劣等感に悩まされていました。

英語では「まともなこと」が表現できない。



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この「まともなこと」というのは、古典文学が表現しているような知性を指します。

イギリスの島で再び古典文化が花開くルネサンス以降、

イギリスの識者たちは英語もラテン語のような雄弁な言語になってほしいと考え始めました。

語彙を豊かにすれば、綴り字を統一すれば、そして何より規範的な文法を手にすれば、

それまでの言語的劣等感から抜け出すことができるのではないかと彼らは考えました。


こうして16世紀以降、イギリスで散発的に文法書が書かれ始めます。


そして200年ほど試行錯誤の時期が続き、18世紀後半の約40年間に英語は急速に安定を迎えることになります。


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その安定に大きな役割を果たしたgrammarianの1人にロバート・ラウス(Robert Rowth)という人がいました。

1762年に出版されたこの人の英文法書は文字通り飛ぶように売れた。

各国語に翻訳もされた。

例えば現在では「彼は全然ものを知らない」と言いたいときに否定語を重ねて

*He doesn't know nothing.

と言うのは標準的ではないとされていますが、

こうした「標準」の原型を築いた人、と言えばわかりやすいでしょうか。

ラウスの英文法書の普及以来、二重否定が標準英語から追放されたと言われています。

それまで散発的にいくつも文法書が書かれていたにも関わらず、

なぜ18世紀後半にこの人のこの文法書がこれほどまでの影響力をもつようになったのか。

このことについて私は興味をもち、卒業論文以来の研究テーマにしています。


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この研究には18世紀のイギリス全般について知る必要があり、

ここ1年と少しは、毎朝、Johnson's England という論文集を読み続けています。

この論文集の編集目的は

to depict the life of the period in English history which may legitimately be described as the Age of Johnson

にあり

Johnson lived from 1709 to 1784;(中略)It seems proper to characterize as the Age of Johnson the last fifty years of his lifetime,....

ということで

この本ではだいたい1730年〜1780年頃のEnglandの人々の暮らしについて

TRAVEL AND COMMUNICATIONS
LONDON AND THE LIFE OF THE TOWN
TOWN-LIFE IN THE PROVINCES
INDUSTRY AND TRADE
POVERTY, CRIME, PHILANTHROPY

など27の切り口を設定し、それぞれについて専門家が概説しています。

1巻400ページほどで2巻ありますが、ここ1年と少し、毎朝ノートをとりながらコツコツ読み進めている次第です。

また別の機会にこの話も聴いてくださいね。


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今日は授業準備、文化祭の反省、来週末のチームキムタツ関東支部勉強会に向け発表準備、散髪、買い物、支払い…


天気もいいし、これからいろいろ動きます(^-^)


それでは、また。


(追記1)

如上のイギリス人の国語意識史にまつわる記述は
渡部昇一『英語学史』(大修館英語学大系13、1975年、vページ)
を下敷きにしています。

(追記2)

Johnson's England については

A.S.Turberville (ed.), Johnson's England
(Oxford University Press, 1967, p.v)

から引用しました。


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毎日一時間、仕事と直接関係のないことに頭を使おうと決心するならば、そのことによって生活のクオリティが一変するだろうと予想してよい。毎日一時間だけ今までやらなかった「高級な」ことをやることによって、残りの二十三時間の生活のクオリティが善変するのではないだろうか。丁度、五分の体操と五十分の散歩によって、残りの二十三時間五分の間の体の調子がよくなるように。

生活のクオリティを変えるためには大した時間も、金も不要である。一時間だけ変えれば残りの二十三時間も変わるのだと悟った時に、実行の決心が生ずるだろう。


渡部昇一『クオリティ・ライフの発想』
(講談社、1977年、14ページ)



posted by 石崎 陽一 at 10:46 | Comment(0) | 近況報告・雑感 | 更新情報をチェックする
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