2010年08月29日

文法のゴールは作文に


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早いものでもう10日前のことになってしまいましたが

アルクさん主催の授業力UPゼミに参加し

いろいろな意味で、原点を見つめ直す機会になりました。

いまは、講師の木村達哉先生(灘中学・高等学校)から

「文法のゴールを英作文に置いています」

ということをお聞きしたのをきっかけに、私自身の学習歴を振り返っています。

英語そのものの学習履歴について記すのは別の機会に譲るとして、

今回はドイツ語と古英語(Old English)の学習に際してのことを書きたいと思います。



学部生のときから、渡部昇一先生にお願いをして毎週水曜日1時限目に設置されている大学院のゼミに出させていただいていました。

在学中は毎朝の新聞配達の疲れと眠さが常に私につきまとっていましたが、それも吹き飛ぶ緊張感と知的刺激のあるゼミナールでした。

ドイツ語で書かれた、古英語ルーン文字詩に関する論考を購読し発表、議論をする演習です。

この論考は地の文がドイツ語で時おり古英語(Old English)が引用されています。

ある年の後期(10月)から念願の聴講が認められ、2ヶ月ちょっとの夏休みの間、まずはドイツ語と古英語を必死になって独学しました。

夏休みの間は当然ですが授業がありません。

したがって新聞配達の仕事の方だけ、朝夕刊を配り月末の集金と勧誘だけに専念すればいいだけですので、比較的時間がとれました。

私はそれまでドイツ語については必修の授業で読解と会話を軽くやっただけですし、

古英語(Old English)についても英語史の授業で概略を知っている程度でした。

渡部先生のところに学習の指針について相談に行くと、

「私はドイツ語は関口存男(せきぐちつぎお)の『独作文教程』で基礎を作りましたよ」

とご自身の体験を交えて話してくださり、

古英語(Old English)についても

「文法の基礎固めはやはり作文でしょうな」

と助言をいただきました。


・・・・・・。


!? 1500年ほど前の英語で作文…?(@_@)


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『独作文教程』(三修社、1953年)はすでに所有していましたので

神田の古本屋街にある小川図書で先輩から薦められた Sweet's Anglo-Saxon Primer を購入し、かねてから揃えてはいた

市川三喜『古代中世英語初歩』(研究社、1955年)

下瀬三千郎 古賀允洋 伊藤弘之『古英語入門』(大学書林、1990年)

を手元に置き独習を始めました。


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ドイツ語の方は『独作文教程』の例文を丸暗記です。

各課の説明を読んだら、日本語をみて相当するドイツ語がすらすら口をついてくるまで練習し、すらすら言えるようになったらノートに書きつけます。

疑問点は関口存男『関口・初等ドイツ語講座』(三修社、1972年)で該当項目を探して解決します。


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(余白に当時のメモ書きが
残っています)


古英語(Old English)の方は Anglo-Saxon Primer に抜粋されているテキストをまずは自分で和訳し、その和訳をもとに古英語を復元、

不明点はこの本をはじめ『古代中世英語初歩』や『古英語入門』などの文法書で確認する、というようなことをほぼ毎日続けました。

実際、これでドイツ語、古英語ともに文法知識はかなり身につき、何とか渡部ゼミの指定テキストを読むことができるようになりました。


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そんな学習歴を思い出して感じたのですが、文法はたとえて言えば携帯電話のマニュアルのようなものではないでしょうか。

機種変更をして新しい携帯電話(例えばiPhone)を使おうといったときに、まずはマニュアルを熟読、通読し終えてから使い始める人はいないと思います。

とりあえずはそのケータイを使ってみて(=アウトプットが前提)

「あれ、これをするにはどこを押せばいいのかな」

とか

「この機能はどうやって使うのかな?」

とか

疑問が湧くたびにマニュアルを開いて解決(=インプット)していくと思います。

そうか、だとすればやはり文法学習に際して生徒が英語をアウトプットする場面をもっと作らねばなりません。

そして生徒に疑問を持たせ、解決に導く。

そうすれば生徒自ら「気づき」を得られ定着が深まるのではないか。

今回の授業力UPゼミに参加したのをきっかけに、そんなことに今さらながら気がつきました。

ゴールを作文(アウトプット)に置いた文法指導を実践していこうと思っている次第です。


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問題は私のドイツ語の語学力である。大学四年間、週一コマ、大学院では英語をやるいとまに独習したぐらいだから、全くおぼつかない。それで毎日の半分はドイツ語作文を関口存男の『独作文教程』で練習することに決めた。会話はドイツ語会話の本を丸暗記する。ドイツの学生寮にいるのだから話し相手には事欠かない。

渡部昇一『英文法を撫でる』
(PHP新書、1996年、139ページ)



大人になってからも、私は関口存男の『独作文教程』の例文全部を−中には十数行にわたる長いものもある−自宅からの通勤時間の中で覚えた。毎日、その本を一、二ページずつ破って、大型の定期券入れに入れてポケットにしのばせておいた。そしてバスや電車の中で日本語の方を見ながら、独文がすらすら出るようにしたのである。

渡部昇一『知的生活の方法』
(講談社現代新書、1976年、182ページ)



英文科でも第二外国語に力を入れることになったことがある。それでロゲンドルフ先生がフランス語を教え、わたしがドイツ語を教えることになった。わたしは関口存男の『独作文教程』を使い、試験はすべて英文独訳にした。文章を暗記できるようにならない限り、第二外国語はものにならないというのがわたしの信念になっていたからである。わたしも若かった頃だし、気魄十分というところだった。英文科の学生で関口存男でしめ上げられたのは当時のわたしのクラスぐらいのものだったのではないだろうか。これによって当時の英文科の学生のかなりの者がドイツ語に自信を持つようになった。

渡部昇一『渡部昇一小論集成 上巻』
(大修館書店、2001年、p.614)



posted by 石崎 陽一 at 10:33 | Comment(0) | 最近参加したセミナーからの気づき | 更新情報をチェックする
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